大津地方裁判所 昭和51年(ワ)31号 判決
原告
辻田孝之
原告
山本健治
原告
有田一彦
原告
永島鉄雄
原告
小野次郎
原告
小幡久子
原告
中西正己
原告
真田善之
原告ら八名訴訟代理人弁護士
折田泰宏
同
大沢竜司
同
岡田義雄
同
小野誠之
同
金川琢郎
同
木内道祥
同
北村義二
同
古家野泰也
同
後藤貞人
同
在間秀和
同
桜井健雄
同
武村二三夫
同
谷池洋
同
西川雅偉
同
華学昭博
同
藤田一良
同
松本健男
同
横井貞夫
同
里田百子
同
大西悦子
原告ら八名訴訟復代理人弁護士
橋本長平
同
木村修一郎
同
堀和幸
同
金子利夫
同
正木孝明
同
西口徹
同
中川和男
同
深尾憲一
同
小山千蔭
被告
滋賀県
右代表者知事
稲葉稔
右指定代理人
田野嘉男
外一三名
被告
水資源開発公団
右代表者総裁
高秀秀信
右指定代理人
山住有巧
外二名
被告
国
右代表者法務大臣
高辻正己
右訴訟代理人弁護士
稲垣喬
右指定代理人
大坂正
外一九名
被告
大阪府
右代表者知事
岸昌
右指定代理人
岡田稔
外二名
右被告ら四名指定代理人
横山匡輝
外一二名
主文
原告らの請求中、被告滋賀県に対し、滋賀県草津市矢橋町、新浜町地先に建設中の琵琶湖湖南中部流域下水道浄化センター敷地造成工事の差止を求める訴え、及び右敷地上に右浄化センターの管理本館と熱源棟の建設差止を求める訴えを、いずれも却下する。
原告らのその余の請求は、いずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告滋賀県は、
A 滋賀県草津市矢橋町、新浜町地先に建設中の琵琶湖湖南中部流域下水道浄化センター敷地造成工事をしてはならない。
B 右敷地上に右浄化センターの各施設(ポンプ室、沈砂池、水処理施設、塩素混和池、濃縮タンク、洗浄タンク、脱水機、焼却施設、管理本館、熱源棟及び送風機棟)の建設をしてはならない。
2 被告水資源開発公団は、琵琶湖開発事業に関する事業実施方針(建設大臣の水資源開発公団に対する水資源開発公団法一九条一項の規定による昭和四七年一二月一六日付け指示)及び事業実施計画(建設大臣の水資源開発公団に対する水資源開発公団法二〇条一項の規定による昭和四八年二月二七日付け認可)に伴う
A 別紙一の瀬田川洗堰改築案概略図による瀬田川洗堰の改築工事
B 新旭町、びわ町、湖北町、能登川町、近江八幡市、中主町、守山市及び草津市の琵琶湖岸及び沖合に建設予定の湖岸堤及び管理用道路の新築工事
C 別紙二の南湖浚渫計画位置図及び別紙三の瀬田川浚渫施行範囲図各記載の位置における浚渫工事をしてはならない。
3 被告国は被告滋賀県、被告水資源開発公団のなす右各建設工事に対し、補助金または負担金の交付及び財政、金融上の援助をしてはならない。
4 被告大阪府は被告滋賀県の第1項記載の建設工事に対し、負担金の交付及び資金の融通をしてはならない。
5 訴訟費用は被告らの負担とする。
6 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
(本案前の答弁)
1 原告らの請求中、請求の趣旨第1項Aの訴え及び同項Bの訴えのうち浄化センター敷地上の管理本館及び熱源棟の各建設の差し止めを求める部分並びに同第3項及び同第4項の訴えをいずれも却下する。
(本案に対する答弁)
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
A 原告ら
原告らは、いずれも琵琶湖をレクレエーションの場として利用している近畿の住民であり、原告永島鉄雄は琵琶湖を水源とする草津市営水道の、原告真田義之は琵琶湖を水源とする守山市営水道の、原告中西正巳は琵琶湖を水源とする大津市営水道の、原告小幡久子、同小野次郎、同有田二郎はいずれも琵琶湖から流出する琵琶湖疎水を水源としている京都市営水道の、原告山本健治、同辻田孝之は、琵琶湖から流出する淀川を水源としている高槻市営水道の各受給者であり、琵琶湖の水を飲料水、生活用水として利用している者である。
B 被告ら
イ 被告滋賀県(以下、被告県という)、同水資源開発公団(以下、被告公団という)は、本件差止請求の対象である各工事(以下、本件各工事という)の事業主体である。
被告公団は、水資源開発促進法(昭和三六年法律第二一七号)の規定による水資源開発基本計画に基づく水資源の開発または利用のための事業を実施すること等により、国民経済の成長と国民生活の向上に寄与することを目的として、水資源開発公団法(昭和三六年法律第二一八号)によって設立された法人である。
ロ 被告国は本件各工事の事業主体ではないが、その実施につき被告県、被告公団と通謀し、琵琶湖総合開発特別措置法(以下、特別措置法という)に定められた次のような行為により本件各工事の実施に協力、加功し、原告らの権利、利益を違法に侵害しようとするものである。
すなわち、被告国は本件各工事を含む琵琶湖総合開発計画につき、1、本件各工事につき、各事業主体に多額の負担金または補助金を交付する(特別措置法八条)、2、各事業主体に協力し、さらには事業者及び関係地方公共団体に対し勧告をなすことができる(特別措置法六条)、3、各事業主体に対し、財政上及び金融上の援助を与えることができる(特別措置法一〇条)。
右の各行為は、被告県、被告公団の本件各工事による原告らに対する違法な侵害行為に加担しようとするものである。
ハ 被告大阪府(以下、被告府という)も本件各工事の事業主体ではないが、次のような行為により、被告県の琵琶湖湖南中部流域下水道浄化センター(以下、浄化センターという)の建設工事に協力、加功して、原告らの権利、利益を違法に侵害しようとするものである。
すなわち、被告府は兵庫県と共に、それぞれの利水団体を代表し、毎秒四〇トンの新規利水を求めて琵琶湖総合開発計画の推進を、被告国及び被告県に強く働きかけていた。その結果、昭和四七年三月二七日、被告県と被告府、兵庫県との間で、1、新規開発水量毎秒四〇トン、2、利用水位マイナス1.5メートル、3、非常渇水時における操作は開係各府県知事の意見を徴し、建設大臣がこれを決定するとの申し合わせが成立して、ようやく国会に特別措置法案が提出され成立した。さらに昭和四九年一月三一日、下流負担の総額は一五〇億円とする合意が、被告県、被告府、兵庫県の間で成立した。そして、被告府は兵庫県と協議し、開発水量の49.93パーセントを利水することになり、その利水量に応じて一五〇億円の約半分を負担することとなっている。そして、右金員は浄化センターの建設資金にあてられることになっており、昭和四七年度より一部は支出済である。
以上のように、被告府は被告県に負担金を交付する行為のほか、特別措置法六条により定められた協力行為により、被告県の原告らに対する侵害行為に加担しようとするものである。
2 近畿住民にとっての琵琶湖の重要性〈省略〉
3 琵琶湖と淀川〈省略〉
4 琵琶湖の富栄養化
A 富栄養化現象
イ 定義
富栄養化という用語は、元来は、水中の栄養塩類(窒素、リン)等の増加に伴う藻類生産の増加を中心とする水域生態系の変化、すなわち、プランクトン類の異常発生などを表す陸水学上の用語である。
ところが近年においては、富栄養化という用語は、自然界から流入する栄養塩類のほかに、都市や産業活動の活発化に伴って栄養塩類が多量に加わることによって、湖・湾・内海における富栄養化速度が人為的に加速される現象を示すために使われている。
本件においても富栄養化と言う場合は右の人為的な原因による富栄養化を指している。なお、植物性プランクトンの増殖は、窒素、リンのような栄養塩類以外にビタミンB類、鉄、コバルト、溶存有機物質等によっても影響を受ける。
栄養塩類が人為的に供給されるようになると、一体どういう現象がおこるだろうか。まず、植物プランクトン、特に、藍藻類が異常に繁殖し、その結果、湖水は緑褐色に濁る。このような変化はさらに他の生物の増殖をよび、またある種の生物の生息を抑制することにもなる。これらの死骸はバクテリアによって酸化分解されるが、その際に水中の酸素が多量に消費されるので、湖底付近の溶存酸素は激減することになる。極端な場合は底生生物は窒息死し、嫌気性腐敗に基く悪臭ガスがブクブクと発生するようになる。
貧栄養湖と富栄養湖の特徴を比較すると別紙四のとおりである。
ロ 富栄養化の指標
富栄養か否かを決定するにあたっての基準としては、窒素、リンの湖水中での量が目安となり、窒素では0.2ミリグラムパーリットル(PPMとほぼ同じ)、リンでは0.02ミリグラムパーリットルが富栄養の基準とされている。湖水中において窒素は無機態では硝酸態窒素、亜硝酸窒素やアンモニア態窒素として存在し、また生物体あるいは溶存有機物中の有機態窒素として存在する。またリンは無機リンと有機リンとからなる。
B 本件訴訟提起までの琵琶湖の水質
イ 本件訴訟提起の頃の琵琶湖の水質
この頃南湖は既に富栄養湖にかわっており、北湖は中栄養湖であったが、次第に富栄養湖に近づきつつあった。
ロ 観測項目からみた琵琶湖の水質
a 昭和四一年から同五〇年までの北湖について、項目別に示すと次のとおりである。
SS値(水中に浮遊している有機性物質と無機性物質の量をあらわす値)
0.9ないし2.11PPMで、昭和四四年を除き環境基準値一PPM(公害対策基本法による生活環境の保全に関する環境基準の湖沼のAA類型の基準であり、直ちに達成すべきものと指定されているもの、以下、北湖の環境基準値は同様のものである。)をこえていた。
BOD値(微生物によって分解されやすい有機物の量を分解によって消費する酸素量で示したもの)
年によって増減しながらも一PPMに近づいていた。
COD値(水中に含まれている化学的に酸化されやすい有機物の量を、消費する酸素の量で示したもの(JIS法による測定))
年による増減がみられるものの、昭和四七年以降は1.7ないし2.3PPMで環境基準値一PPMを越えていた。
透明度
年平均4.1ないし5.8メートルであり、過去一〇メートルを保っていたことと比較して、透明度が低下したものである。
底層の溶存酸素
年とともに減少する傾向がみられる。すなわち、滋賀県水産試験場の中健治によると全環境期直前(一一月)の深層水(六〇ないし八〇メートル)の溶存酸素量は一九三一年で一リットルあたり6.64ccであったのが、一九五〇年ないし一九五九年には平均5.26cc、一九六〇ないし一九六九年で平均4.39ccと明らかに年とともに減少している。一九六六年、一九六八年、一九七〇年には3.33cc、3.25cc、3.28ccと非常に低い値を示し水中の酸素量が少なくなっている。この傾向は京都大学の大津臨湖実験場の定期観測結果でもみられ、一九六六年一月の溶存酸素量が4.6であったのが、一九七〇年には九月に2.77という低い値を示している。二七三億トンという大きな容積をもち本来、汚れにくいといわれる北湖ですらこのように汚濁が進行しているのである。
総窒素
増加傾向にあり、0.29PPMに達し、富栄養化の限界値0.2PPMを越えている。
総リン
やや減少気味で、0.012ないし0.008PPMである。
b 同時期の南湖について項目別に示すと次のとおりである。
SS値
3.1ないし8.4PPMで環境基準値一PPMを越えていた(南湖の環境基準値は北湖と同じAA類型だが、達成期間は五年を越える期間で可及的速やかに達成することに指定されていた。)。
BOD値
2.3ないし3.1PPM
COD値(但し、水道法による測定)
1.12ないし1.8PPMで環境基準値一PPMを越えていた。
透明度
1.6ないし2.3メートル
総窒素
増加傾向にあり、0.53PPMに達し、富栄養化の限界値0.2PPMを越えていた。
総リン
ほぼ安定して0.023ないし0.031PPMであるが、富栄養化の限界値0.02PPMを越えている。
c 同時期の北湖の底層の状況
窒素は琵琶湖中央部表層では南湖、北湖の間ではあまり相違がみられないが、北湖の沖部の底層水より著しく高く、また、南湖のどの部分よりも更に高いということである。つまり北湖の沖部の底層水は琵琶湖中でもっとも多くの窒素を含んでいると言うことになる。リンについては、表層水については南湖の方が北湖よりも2.3倍ないし3.4倍高いが底層水については北湖と南湖とではあまり差がない。
これらの状況からみると窒素については、植物プランクトンが増殖しその分解の過程で窒素が溶出し、また、リンについては、前述の如く底層中の溶存酸素が減少傾向にあったため、湖底泥からリンが溶出していることが理解される。北湖の富栄養化は底層からも進行していたのである。
ハ 生物相からみた富栄養化
琵琶湖では、昭和三五年頃から植物プランクトンに著しい変化が起きていた。
まず、南湖の疏水取水口付近では水の汚れたところによく発生する藍藻類が昭和二七年頃を基準にして昭和三七年頃には千倍、昭和四五年頃には数千倍にも増加している。緑藻類も昭和四五年頃には千倍位に増えている。また、北湖の植物プランクトンも年によって変動はあるが、昭和三五年から次第にプランクトンの量が増えている。そして、北湖、南湖とも、プランクトンの量が増えると同時に、水の汚れたところで発生する種類のプランクトンが大発生し始めた。特に昭和四〇年以降は、南湖では赤潮やアオコを形成する藍藻類のナンノプランクトン等、北湖では緑藻類のニードリナエレガンス、藍藻類のミクロキスティス・エルギノーザ等が発生している。
また、植物プランクトンが増加すると、その死骸もふえ、これらが湖底に沈澱する。そのため湖外からの有機物の流入も加わって湖底は汚れその結果、湖底に住む底生動物にも変化が起こった。
昭和四四年頃には南湖では、汚れた水に住むヒメタニシやマシジミが異常に繁殖し、比較的きれいな水に住むナガタニシやセタシジミが激減する傾向が出ていた。ヒメタニシの異常繁殖はその後も続き、本件各工事開始頃にはヒメタニシがナガタニシに置き代わった感があった。
北湖の湖底では、遅くとも昭和四四年頃から水質汚染の指標ともいうべきイトミミズが増加し続けている。
また水生昆虫であるトクナガユスリカやオオユスリカが増加している。また、昭和四四年四月京都市の上水にカビ臭が発生し、翌四五年には大津市内の浄水場、下流の淀川の水を取水している大阪府、大阪市、阪神水道企業団の上水からもカビ臭が発生した。当時から琵琶湖でのフォルミディウムなどの植物プランクトンの異常繁殖に原因があることが指摘されていた。
C 富栄養化の原因
これまでみてきたように、本件各工事開始頃において、すでに琵琶湖は富栄養化が進行しており、特に南湖において著しい。
その原因の一は、滋賀県の人口増加、特に琵琶湖全体の一二分の一の面積しか有しない南湖の周辺地域に滋賀県の人口の多くが集中(一例を上げれば昭和四〇年度の国勢調査によると南湖周辺地域に滋賀県全体の人口の41.5パーセントが集中している。)し、また、滋賀県における人口増も南湖地域が著しい(一例を上げれば、昭和四〇年から同四五年にかけての人口増を都市別にみると、別紙五のとおりである)、その結果、琵琶湖、特に南湖に河川を通じてし尿、家庭排水がこれまで以上に流入するに至り、琵琶湖特に南湖の富栄養化が進行した。
また、その原因の二は、南湖は水深が浅いため、風により湖底泥が巻き上げられ、水が汚れるのも富栄養化の一因となっている。
その原因の三は、浄化作用を有する琵琶湖周辺の内湖や琵琶湖自身の湖辺の消滅、減少である。
内湖の干拓については、その事業は、第二次大戦末期から戦後にかけて、食料増産のため急速に進み、昭和一八年四月に着工された野田沼の干拓から昭和四二年四月に着工され同四六年に完成した津田内湖の干拓まで計一五の内湖、面積にして約二五〇〇ヘクタールに及んでいる。このことは琵琶湖全内湖の四分の三以上が消滅したことを意味する。
湖辺の埋立については、その事業は大正末期の大橋堀埋立から昭和四六年完成の第三次湖面埋立(島の関)に至っており、埋立箇所において二二、総面積は三〇〇ヘクタール近くになる。
これらの干拓、埋立の結果、琵琶湖の面積は昭和三五年には694.5平方キロメートル(国土地理院の毎年一〇月一日の調べによる)であったが、同四九年には673.93平方キロメートル(約三パーセント減)となっている。
D 本件訴訟提起後弁論終結までの富栄養化の進行
イ 生物相からみた富栄養化
本件訴訟提起後も富栄養化は進行し、琵琶湖に赤潮、アオコが発生した。
昭和五二年琵琶湖で、北湖から南湖にわたる大規模な赤潮が発生した。ウログレナという黄色鞭毛藻類による赤潮であった。湖水は褐色になり悪臭を発していた。その後毎年四月から六月にかけて琵琶湖の各所にウログレナによる赤潮の発生が続いた。
このウログレナには魚毒性があり、昭和五三年六月志賀町の養殖場で赤潮プランクトンから遊離する脂肪酸によってニジマスなどが死亡する事件が起きている。
従来も琵琶湖では、局所的に赤潮(当時は水の華とよんでいた)の発生がみられた。しかし、昭和五二年の赤潮は、その発生規模の大きさ及びその後の発生が恒常化したことから、従来のものと全く違っていた。昭和五二年琵琶湖は、本件各工事開始前より更に汚染の進んだ段階に入ったといえる。
昭和五三年には南湖で、今までのアナベナ・マクロスポーラ・バラエティクラッサとは違ったアナベナ・アフィニス(当初は、アヤベナ・マクロスポーラと呼ばれていたが、後にアナベナ・アフィニスと命名された。)が大発生し、南湖で一ミリリットル当たり最高三〇〇〇群体(細胞数で六万細胞)に達したところもあった。
昭和五八年にはアナベナ・マクロスポーラ・バラエティクラッサを主としミクロキスティスも混ざったアオコが南湖の南西部に幅一〇メートル、長さ一〇キロメートルにわたって発生して、湖面が緑色のペンキを流したようになった。
昭和六〇年には、強毒性を有するアナベナ・フロスアクアエに極めてよく似たアナベナの仲間の藍藻類のプランクトン(まだ確認されていない種類)が大発生した。アナベナ・フロスアクアエは、五分から一〇分で動物を殺すVFDF(即効致死性因子)を持っている。この毒性は神経毒性であり、筋肉の痙攣、歩行困難や呼吸困難などの症状が表れる。
アナベナ・フロスアクアエの他にもアファニゾメノン・フロスアクアエ等、淡水プランクトンのなかにも有毒なものが色々存し淡水プランクトンによる被害が発生している。
強毒性のアナベナ・フロスアクアエに似たプランクトンの発生によって、琵琶湖にも毒性プランクトンの大発生が迫った感があった。
そして、昭和六二年九月上旬から中旬にかけて、琵琶湖の南湖の各所についに有毒ミクロキスティスによる大規模なアオコが発生した。従来からアオコは局所的には発生していたが、この時は琵琶湖文化館、におの浜、由美が浜、矢橋湾、山田湾、津田江湾などの南湖の湖岸や、南湖に流入する河川の河口付近、南湖から流出する瀬田川の河辺の各所で、水面はペンキを流したような毒々しい色に変わってしまった。
このミクロキスティス属には、ミクロキスティス・エルギノーザ、ミクロキスティス・ビリディス、ミクロキスティス・ベーゼンベルギーがある。琵琶湖で発生するアオコも、この三種が混合するものである。
この三種のうち、ミクロキスティス・エルギノーザとミクロキスティス・ビリディスにはマウスに致死作用を示す毒素が含まれることが判明している。特にミクロキスティス・ビリディスはすべて有毒であり、アオコの毒性とミクロキスティス・ビリディスの発生量が密接に関係していることが注目されている。
毒性を持つミクロキスティスに含まれる毒物質は、少なくとも三種あり、そのうち一種については構造が解明され、シアンビリディンRRと命名された。
外国では有毒ミクロキスティスを含む水を飲んだ家畜が死亡したという例がかなりの件数で報告されている。実験でも、有毒ミクロキスティスに含まれる毒物質は、マウスの肝臓に顕著なうっ血、出血と壊死をもたらすことが判明している。
ほかに湖畔を散歩していて喘息になったとか、水泳中に水を飲んで腹痛や下痢を起こした例も報告されている。霞が浦でもボート競技の最中にミクロキスティスを含む水をかぶって皮膚がかぶれた例がある。
本件各工事開始前から琵琶湖の水質が次第に悪くなっていたので、原告らは近い将来に琵琶湖でも大規模な赤潮の発生を予測していた。それが、昭和五二年になって現実化したのである。しかし、この年にウログレナという種類のプランクトンが北湖、南湖を問わず大規模に発生することは誰にも予測できなかった。琵琶湖ではいつ何が起こるかということが、あらかじめ予測できない状況になっている。
アオコ、特に有毒ミクロキスティスの大発生によって、琵琶湖の水が危機的状態にあることは誰の目にも明らかである。
ロ 観測項目から見た琵琶湖の水質
滋賀県の発表した数値によれば、昭和五三年から同五八年にかけて総窒素、総リンは減少傾向にある。
これを根拠に被告らは、琵琶湖の水質について、南湖では総窒素は昭和五〇年頃から少しずつ減少気味であり、総リンは昭和五三年から変動はあるが、全体として減少している点、北湖ではともに横這いであるとし、これをもって琵琶湖の水質が良くなっていると主張する。
しかし、滋賀県の環境白書によって昭和五七年までの窒素とリンの経年変化をみると、南湖の全窒素は下がったとはいえ、環境庁の定めた環境基準0.2PPM、更に右暫定目標値0.22PPMをも越えている。
総リンについても、南湖では環境基準は0.01PPMであるが、優に越え、右暫定目標値0.012PPMをも越えている。北湖については、総リンは環境基準値0.01PPMを達成できている。
またCODも北湖、南湖ともに環境基準値一PPMをこえている。SS値も南湖、北湖(北湖に関しては昭和四四年を除く)ともに越えている。
結局北湖の総リンを除いてすべて環境基準値をこえているのである。環境基準値を越えている限り、多少数値に増減があったとしても、依然富栄養化の問題は大きいのである。
被告らが水質改善の根拠とするのと同じデータを用いても、より細かく分析すれば琵琶湖の水の悪化に気付くのである。甲ろ第五〇号証に示した通り、南湖の東岸、中央、西岸の春夏秋冬別に最大窒素濃度の経年変化をグラフにすると、被告らとは異なった結論に達する。即ち、一般的に窒素濃度は上昇傾向にあり、特に冬期に増加するとの結論になるのである。つまり、総窒素についても、平均値は減少していても、季節と場所別に調べると逆に増えている場合がある。特に冬期は昭和五七年頃から増加傾向にあることが判る。平均値だけに目を向けていては、冬、窒素に何らかの変化が起きていることを発見できない。
更に、水質を判断するにあたって留意すべきなのは、窒素やリンの変化を見ると同時に、クロロフィル量つまり植物プランクトンの変化、さらには生態系の変化にも注意を払いながら、総合的に琵琶湖の水質を判断しなければならないということである。
例えば、窒素やリンの数字だけで水の汚れを判断すると、昭和六二年のように大規模にアオコが発生して、水面に緑のペンキを流したようになっていても、水質は特に悪くなっていないという非常識な結論に達してしまうのである。
環境の問題では、数値のみで判断し事実をみないという、いわゆる数量絶対主義に陥ることは極めて危険である。
E 今後の琵琶湖の水質
琵琶湖の今後の水質を判断するとき、北湖の水質が重要になってくる。
現在のところ北湖の水は、窒素、リン、BOD、COD値、透明度のどれをとっても南湖より良好である。これは前述したように、北湖の水量が南湖の約一四〇倍と多いので、北湖の周辺からの汚濁物質の流入量と水量の比率は、南湖での比率より低くなる。従って、北湖は南湖と比べて汚れの進行が遅いのである。
しかし、単なる表層水だけで北湖で起こっている現象は把握できないのである。北湖の水深は南湖より平均一〇倍深く、水深七〇メートル以上の所がたくさんある。その深い水域の水質は、南湖の水質より悪くなっている。
例えば、北湖の沖の白石の水深七〇メートル付近では、昭和三五年から湖底の溶存酸素が次第に減少し始めている。
竹生島付近の水深八〇メートル付近でも溶存酸素が減少し続けていることが確認されている。
これは、湖底に有機物が増えると、有機物の分解に伴って酸素が消費されて湖底の溶存酸素量が減少するためである。プランクトン乾燥重量一グラムが水中で分解されると一二〇リットルの水に溶けている酸素が全部なくなるとされている。特に、湖水の表層部と深層の水の循環がない停滞期、即ち水温躍層ができたときには、必然的に湖底の溶存酸素が減少するのである。
酸素の減少を調べるには、溶存酸素量の最低値を採らなければならない。なぜならば、湖では富栄養化が進むにつれて底のほうは酸素が減ってくるが、湖面では植物プランクトンの増殖による炭素同化作用によって逆に酸素がふえてくる。水温躍層ができているときには、湖の上と下では酸素量は反対の関係になる。諏訪湖では、湖面で二〇〇パーセントの酸素飽和量に達することがあった。
そこで、水の循環がおきると表面の水が底に下りてきて、底のほうの酸素が増え、酸素の最大値を押し上げることになる。富栄養化が進んでいくほど、底の酸素の最大値は上昇し、最低値は下降していくのである。従って、最大値が上昇したからといって必ずしも水質が良くなったとは言えない。かつ、最大値と最低値を平均することは全く意味がない。
また、湖底の溶存酸素量は一〇月から一一月頃最低値を示すが、それと同じ時期に湖底の硝酸態窒素が最大値を示す。これは、有機物が分解すると有機物の中に含まれていた窒素が溶け出すからである。水中の酸素がもっと少なくなると、硝酸イオンがアンモニアイオンに変わりアンモニア態窒素の量が増えて水質は更に悪化すると予想される。
プランクトンの量が増えると、溶存酸素量は減少し硝酸態窒素は増加するという強い相関関係がみられることが確かめられている。
滋賀県水産試験場の定期観測データに基づいて作成した書証(乙い第三二号証)においても、プランクトン沈澱量最大値が多い年には、湖底の溶存酸素量の最低値は少なくなることが確かめられている。但し、例外として昭和五二年の赤潮発生のときにはプランクトン沈澱量は多いが、溶存酸素量との関係は見られない。プランクトンの沈澱量が多い年には硝酸態窒素値の最高値が高くなっていることが確かめられる。
湖底の酸素量が少なくなると、湖底は還元状態になる。そうなると、沈澱物から、結合していたリンや鉄、マンガンなどが溶け出すようになる。また、酸素が不足すると、湖底に沈澱した有機物が十分に分解されず、有機酸が水中に溶け出すようになる。そして、溶け出したリン、鉄、マンガン、有機酸などは植物プランクトンを増殖させる働きをするという悪循環をおこすことになる。
しかも、マンガンは酸素がゼロにならなくても溶出をはじめる。リンも酸素量が一PPMになると溶出を始めることがわかっている。
現実にも、すでに酸素減少による影響が出始めている。
昭和五七年度・昭和五八年度の滋賀県の環境白書、同五九年度滋賀県の環境白書のデータによると、北湖の中でも湖底の溶存酸素量の少ない今津と長浜を結んだ線の中央付近の湖底は、湖底の溶存酸素量のより多い北小松と愛知川とを結んだ線の中央付近の湖底と比べてマンガンの溶出が多く、その差は昭和五七年以降広がっている。
今後も、汚濁が従来の速度で進行するとして湖底の溶存酸素量の最低値の経過変化から回帰直線を求めて計算すれば、約二〇年後には北湖の湖底の酸素はゼロになるとの予測がたつ。
北湖の湖底の湖水は、酸素のない、即ち生物の住めない「死の湖」になる危険性をはらんでいるのである。
南湖は平均水深四メートルと浅く水が混ざるので、湖底の酸素がなくなる心配はない。しかし、南湖の中でも矢橋人工島沖の浚渫跡では、六月から九月までの湖水の停滞期には湖底の酸素が完全になくなっている。そのうえ大量のアンモニア態窒素を含み、リン、鉄、マンガンなどが溶け出している。鉄と硫化水素が反応して硫化鉄が発生し、腐臭が出ている。
今はまだ、北湖の表層水は比較的汚れが少ない。この比較的きれいな北湖の水が南湖に流入して、南湖の水を少しでもきれいにしているのである。特に琵琶湖の還流の影響によって、南湖の西岸はその傾向が強い。しかし、それにもかかわらず南湖の水は汚れているのである。もし北湖から今より汚れた水が流れ込むようになれば、南湖の水質は更に加速度的に汚れると予測される。
F 有害物質による汚染の可能性
有害物質には色々な種類があるが、大きく三つに分類される。一つは重金属による害作用、二つ目は人工的につくられた化学物質による有害性、三つ目は、生物起源の物質でバクテリアや植物プランクトンなどから分泌される物質による被害がある。
琵琶湖の湖底には、依然としてマンガン、銅、クロム、コバルト、亜鉛、カドミウムなどの重金属が蓄積している。
重金属の場合は、濃度が一定の限界を越えると害作用が出てくるが、今までのところ琵琶湖の水に含まれる重金属から直接の害作用は出ていない。しかし、前述したように、湖底の溶存酸素が減少すると湖底に蓄積した重金属が溶出してくる。そうなれば、重金属の濃度が限界を越える恐れや複合汚染の恐れも生じてくる。重金属は微量であればむしろ人体にとって必須微量元素として必要な場合が多い。しかし、いままでに地球上に存在しなかった物質が人工的につくられた場合には、微量といえども湖水に流入しないことが望ましいのである。
水中の有害物質の濃度が普通の方法では検出できないほど低くても、生物の中には生体濃縮機構により認容基準を越えるほどまで有害物質が蓄積することがある。
例えば、琵琶湖でとれた魚の骨のレントゲン写真をとると、背骨が変形したり融合あるいは短くなるなどの異常を発見できる。魚の背骨の変形率は昭和三七年には五パーセントであったのが、昭和四七年頃には一〇パーセントと二倍に増えている。矢橋付近でとれたヤリタナゴなどを調べると、水の汚れたところでは三匹に一匹の割合で背骨に異常がみられる。
このように背骨に異常が出るのは、一般に農薬の影響であるといわれている。
琵琶湖では過去にPCB汚染が大きな問題になった。PCBは昭和四七年生産が中止されたが、使用禁止されたBHC、DDTなどと同じ有機塩素化合物の仲間である。PCBはカネミ油症をもたらした汚染物質としてよく知られている。
琵琶湖周辺からPCBが流入し琵琶湖の湖底に蓄積するとともに、琵琶湖でとれた魚にPCBが残留していた。
PCB汚染魚を食べた人間もPCBに汚染される。PCBの生産が禁止された後もしばらくは、人体のPCB濃度は上昇し、その後減少することが知られている。人体の汚れの回復は、他の動物に比べて非常に遅いのである。
現在も琵琶湖周辺では有害物質汚染の問題が起こっている。
有機塩素化合物の一種のトリクロロエチレンが、八日市市の地下水に認容基準(三〇MMB)の五〇倍の濃度が検出された。トリクロロエチレンは半導体の洗浄や金属の洗浄、ドライクリーニングなどに使用されている。八日市市だけでなく大津市、草津市等の地下水でも認容基準を越えるトリクロロエチレンやテトラクロロエチレンが検出されている。
すでに琵琶湖では毒性をもつ植物プランクトンが発生してしまった。前述した昭和六二年九月に大発生した藍藻類のミクロキスティスである。
昭和五二年魚毒性をもつウログレナが突然に大発生し、昭和六〇年には、強毒性をもつアナベナ・フロスアクアエによく似たプランクトンが突然大発生したことは前述した通りである。
琵琶湖は富栄養化が進む前と違って、突然にある特定のプランクトンの大発生が起こるようになっている。従来のように植物プランクトンの数や種類組織が一定でなくなり、植物プランクトンの動向が極めて不安定な状態になっている。このことは、いつ琵琶湖で何が起こるか分からない状態になっていることを示すものである。琵琶湖は毒性をもった別種のプランクトン或いはその他の微生物がいつ大発生しても不思議でない状態に達したと言えるのである。
また、カビ臭などの異臭味は、琵琶湖で発生した植物プランクトンの藍藻類が出す物質が原因であることが判明した。フォルミデウムがジメチルイソボルネールという異臭物質を出し、アナベナはジオスミンという異臭物質を出すのである。
以上のとおり、琵琶湖は現在に至るまで有害物質による汚染にさらされ、今後も汚染の危機は解消されない。
5 琵琶湖総合開発計画
A 琵琶湖総合開発計画の概要と変更
原告らが本件訴訟において差し止めの対象としている各工事は、何れも特別措置法三条に基づく「琵琶湖総合開発計画」の事業内容として滋賀県知事が策定し、内閣総理大臣が決定し、実施されているものである。
右事業計画は、被告県、同国等が実施主体である保全計画、治水計画、利水計画と被告公団が実施主体である琵琶湖治水および水資源開発事業からなるが、これら計画に基づく事業の進捗状況が芳しくなかったため、昭和五七年、特別措置法が一〇年延長され、これに伴い計画の期間も延長され、計画の内容も一部変更されるに至っている。
当初計画および変更後の計画に基づく各事業の概要とそれぞれの実施主体は、別紙六の事業計画表1、別紙七の事業計画表2の通りであるが、変更後の計画の概略を示せば左記のとおりである。
記
保全計画―水質保全と自然環境の保全を図ることを目的とする。
総合的な水質保全対策の一環として下水道、し尿処理施設、畜産環境整備施設、農業集落排水処理施設、ごみ処理施設、水質観測施設の整備(畜産環境整備施設以下の四事業は、昭和五七年の計画変更により追加された事業である)。
自然環境と風致の保全対策として都市公園、自然公園施設の整備と自然保有地域の公有化。
環境利用対策として道路、港湾の整備。
治水計画―洪水の防除と水源の保全を図ることを目的とする。
琵琶湖の治水対策として湖岸堤および内水排除施設の新築等。
流入河川対策として河川改修、ダム建設、砂防事業。
水源山地保全かん養対策として造林および林業、治山事業。
利水計画―琵琶湖の水および水資源の有効利用を図ることを目的とする。
琵琶湖周辺利水対策として上水道、工業用水道の設置、土地改良事業。
水産対策として水産業、漁業対策。
阪神地域の利水対策として水資源開発事業。
琵琶湖総合開発計画による事業は、二一の県市町村等事業と一の公団事業との合計二二事業(当初は一八事業)からなるが、二〇年間を要するこれら事業の総経費は約一兆五千億円(当初計画では約四千億円)と非常に膨大な計画となっており、下水道、道路、河川、ダム、土地改良、琵琶湖治水及び水資源開発等、大きな経費を要する事業の中に環境上大きな問題を持つものが含まれている。
このように総合的な事業計画となっているものの、琵琶湖総合開発計画の最大の目的は、下流域の水需要に応じて琵琶湖の水を新規に毎秒四〇トン開発することにあり、下流府県はこの見返りに滋賀県における開発事業に特別財政的補助を施し(特別措置法第一一条)、さらにこの水資源開発は国家的事業でもあるというので、国も財政的補助をあたえるというものである(同法第八条)。この計画に基づき下流府県がこれまでに滋賀県に支払った負担金は、すでに約四〇〇億円にのぼっている。
B 湖南中部流域下水道浄化センター建設工事
イ 湖南中部流域下水道計画の概要
琵琶湖総合開発計画の下水道整備の一環である湖南中部流域下水道は、大津市、近江八幡市等の隣接する五市一四町の市町村の汚水を集められた下水を受ける延長約一九六キロメートル(当初計画は約一四六キロメートル)の幹線管渠と管渠で送られる下水の送水のための一〇箇所(当初の計画は六ヵ所)のポンプ場及び下水処理場である湖南中部流域下水道浄化センターの三つの施設からなる。
湖南中部流域下水道は、計画処理面積約二万五五〇〇ヘクタール、計画処理人口約七九万人、計画処理水量一日最大約一〇二万立方メートル(内訳、家庭排水一日四八万立方メートル、工場廃水一日四六万立方メートル、地下水一日八万立方メートル)もの大規模なものであり、昭和四七年度から昭和六六年度までの二〇年間で事業を実施する計画である。
ロ 人工島
浄化センターを建設するための敷地約63.7ヘクタールを陸域に確保することが困難であったため、草津市矢橋町、新浜町地先約二五〇メートル沖合に、面積約六七ヘクタール(実際は七三ヘクタールを埋め立てている)の大規模な人工島(以下、人工島という。)を埋め立てにより造成し、その人工島の上に下水処理施設である浄化センターを建設し、その処理水は、瀬田川のJR西日本東海道線鉄橋下流一〇〇メートルの地点まで管で導き、同川に直接放流するというものである。
ハ 下水処理方法
浄化センターは、当初通常の活性汚泥法による二次処理施設として計画され建設されてきたが、昭和五四年一〇月、「滋賀県琵琶湖の富栄養化防止に関する条例」が制定され、翌五五年七月から施行されるにおよび、浄化センターも同条例の規制対象となり、窒素・リンの排出基準に適合できるような処理フローの変更が行われたが、建設中の二次処理施設の構造を大きく変更することなく脱窒素・脱リン機能を付加する方向で行われ、脱窒素については「活性汚泥循環変法」を、脱リンについては「硫酸バンド」による凝集沈澱法を採用し、硫酸バンドの添加に対処するため急速ろ過池を併設することにした。
C 琵琶湖開発事業の概要
琵琶湖開発事業は、瀬田川洗堰の操作とあいまって、琵琶湖周辺の洪水を防御し、併せて下流淀川の洪水流量の低減を図ると共に大阪府及び兵庫県内の都市用水として最大毎秒約四〇立方メートルの供給を可能ならしめることを目的として、琵琶湖総合開発計画の治水及び利水の各計画の一環である琵琶湖治水及び水資源開発の事業として定められた。
そして、毎秒約四〇立方メートルの水資源の開発のために、琵琶湖の利用低水位を琵琶湖基準水位(T・P84.371メートル、すなわち東京湾中等潮位を〇メートルとして測った水位である。)マイナス1.5メートル(以下、琵琶湖の水位は右基準水位を〇メートルとして表示する)、補償対策水位をマイナス2.0メートルとし、非常渇水時における瀬田川洗堰の操作については、関係府県知事の意見を徴し、建設大臣がこれを決定することとされた(昭和四七年九月二一日総理府告示第四五号「淀川水系における水資源開発基本計画」、昭和四七年一二月一六日建設大臣の水資源開発公団への指示(建設省告示河開発第七一号の五)昭和四八年一月一八日建設省告示第一〇七号により公表の「琵琶湖開発事業に関する事業実施方針」、昭和四八年二月二七日建設大臣の認可した「琵琶湖開発事業に関する事業実施計画」)。
かかる琵琶湖開発事業には次のような工事がある。
イ 瀬田川洗堰の改築
工事内容は別紙一のとおり。
ロ 瀬田川浚渫
これは、琵琶湖から瀬田川洗堰まで(別紙三のとおり)浚渫し、その流下能力の拡大を目的とする。
ハ 南湖浚渫
南湖東岸一帯(別紙二のとおり)を浚渫し、水位低下による湖底の露出、水産資源・船舶の航行・自然環境への悪影響を防ぐことを目的とする。
ニ 湖岸堤及び管理用道路の新築
これらの構造等は次のとおりである。
基準天端高 基準水位プラス2.60メートル
天端幅 湖岸堤 5.5メートル湖岸堤・管理用道路 一五メートル
延長 湖岸堤 約五キロメートル湖岸堤・管理用道路 約四五キロメートル
建設位置は、南湖東岸の大部分、北湖東岸では、琵琶湖大橋から長命寺へかけてと、能登川町大中地先、びわ町から湖北町へかけての三箇所、北湖西岸では安曇川から新旭町にかけてである。
なお、湖岸堤が琵琶湖の水面を横切る場合は湖中堤と表示することがある。
ホ 内水排除施設の新築等
ヘ 湖岸堤関連河川(一三河川)の改修
ト 水位変動に伴う対策一式
チ 管理設備一式
6 水位低下による琵琶湖の水質汚濁
A 水位低下
被告公団の行う琵琶湖開発事業は毎秒約四〇立方メートルの水資源を開発するために琵琶湖の水位をマイナス1.5ないし二メートルに下げるものであり、それは琵琶湖総合開発計画の根幹であり、大前提である(以下、マイナス1.5ないし二メートル以上の水位低下を本件水位低下という)。
本件水位低下は、後述するように、それ自体琵琶湖の生態系を破壊し、自然の浄化能力を奪って、琵琶湖の水質を悪化させ、原告らの権利を侵害する。のみならず、水位低下対策として考えられた事業もまた同様の結果を招くものである。
琵琶湖開発事業中、本件水位低下をもたらすものは瀬田川洗堰の改築であり、水位低下対策事業の代表的なものは、南湖・瀬田川の浚渫である。
ところで、被告らは、瀬田川洗堰の改築、南湖・瀬田川の浚渫は直ちに本件水位低下をまねくものではなく、本件水位低下をもたらすには瀬田川洗堰の改築および南湖・瀬田川の浚渫を行わなくとも物理的には現在の洗堰のゲートを全開するだけで足りるのであるから、右各工事と本件水位低下との間には法的に因果関係がないと主張している。
しかし、被告らの右主張は、ちょうど、煙突をたてる工事の完成と、その煙突から煙がでるということとはまったく別の問題であるという論法にも等しい詭弁である。たとえ、他の目的をあわせもつ場合があったとしても、琵琶湖総合開発計画の根幹は、本件水位低下を目的とする施設の工事であり、したがって、右各工事の完成は、本件水位低下を意味するものである。因果関係は明白だといわねばならない。
B 水位低下の程度および頻度
被告らは、過去の琵琶湖の流入、流出水量の記録を使ってあらたに毎秒四〇立方メートルの水需要を充足させた場合の湖水位の変動を試算し、大正七年から昭和四〇年の四八年間の約八〇パーセントはマイナス0.5メートル以内で、それらを超えるのは約二〇パーセントに過ぎず、また利用低水位であるマイナス1.5メートルにまで水位が低下するのは、およそ一〇年に一回にしか過ぎないと主張している。
右のマイナス0.5メートルという水位は、琵琶湖周辺に大きな影響を与えるボーダーラインとして意味のある数字であるが、それ以外は信用できない。
被告県が日本水産資源保護協会に委託した検討結果によると、つぎのとおりである。
四八年間にマイナス0.5からマイナス一メートルの頻度が一一回、約2.5年に一回の割合となる。マイナス一からマイナス1.5メートルの頻度が七回、マイナス1.5メートル以下になるのが一回ある。右両者をマイナス一メートル以下ということでくくると、四八年間に八回、六年間に一回の割合となる。
しかも、右の頻度は、鮎が産卵する時期、すなわち、八月終りから一一月までの間のことであるので、一一月以降翌年二月までさらに水位が低下することは多々ある。したがって、実際には、右以上の頻度で水位低下が行われ、マイナス0.5メートル以下は相当の頻度で起きると考えられる。
また、京都市水道局のした開発水量と水位の関係の試算によればつぎのとおりである。
九四パーセントの安全率で開発水量毎秒三〇立方メートルを確保すると水位低下はマイナス二メートルとなり、同じ安全率で開発水量毎秒四一立方メートルを確保すると水位低下はマイナス2.4メートルとなる。
これらから判明するように、、被告らの主張する水位低下の見込は、その程度および頻度ともに、過小に算定した疑いが強い。
したがって、マイナス1.5ないし二メートルの水位低下は、被告主張の一〇年に一回程度ではなく相当頻繁に起ると考えられる。
C 本件水位低下による水質汚濁
イ 本件水位低下の汀線への影響等
琵琶湖は1.5メートルの水位低下で、汀線で、北湖の延勝寺沖で五〇〇メートル、南湖の志那川沖で二三〇メートルも移動する。このことからも明白なように、前述のような頻繁に起る本件水位低下は、琵琶湖に重大な影響を及ぼし、その水質を悪化させる。
ロ 湖の自浄作用
河川の水は湖に入ると多くの場合その水質が良くなることが一般に知られている。珪酸含有量を例にとると、琵琶湖に流入する河川の平均値は10.4PPMであるのに、琵琶湖南湖での値は2.8PPMとなっている。その他多くの成分についても、琵琶湖の水質は流入河川のそれに比べ良好である。これは河川から流入した珪酸その他の物質が、何らかの原因により水中から消失したことを示している。湖が湖水の水質を良くするこの働きは湖の自浄作用と呼ばれている。この働きは、湖内での物理的過程(湖水中の物質が湖底に沈澱したり、湖水によって希釈、拡散される作用をいう、以下、物理的浄化作用という。)、化学的過程(湖水中の物質が湖中で酸化、還元等の化学作用により沈降性の物質を形成したり、他の物質に吸着する作用をいう、以下、化学的浄化作用という)、生物的過程(湖水中の物質が生物体に直接摂取されたり、あるいは、微生物によって分解されて無機物となる作用をいう、珪酸の場合は珪藻にとりこまれる作用、以下、生物的浄化作用という)の相乗作用によるものと推測されている。
ハ 生物的浄化作用の基序
自浄作用の内、水位低下による影響を直接受けるのは、生物的浄化作用であり、その基序は次のようなものである。
湖沼における生物的浄化作用は分解と沈澱という二つの要因に帰せられる。即ち湖中の有機物は、水中・泥中のバクテリア、原生動物その他の微生物、ワムシ、淡水海綿、貝類、ユスリカの幼虫等の生物に摂取され、これらの生物が増殖することにより、一部は生物内に固定され、一部は細かく分解され水中に放出され、更に、バクテリア→原生動物→ワムシ、甲殻類→昆虫(幼虫)、小魚類、→大魚類等と図式化される食物連鎖の中で、無機物にまで分解される。他方、窒素、リンを主成分とする栄養塩類も水草等の生物に吸収される。また、水草等は酸素を放出して右諸生物の活動を助ける。そして、これらの生物の死骸が湖底に沈澱する(但し、その一部は再び水中に回帰する。)。もちろん、取り込まれた窒素、リンは代謝によって一部水中に放出される。これを再び生物が摂取する。これらの過程を繰り返すことにより湖中の有機物、栄養塩類は消費され、湖の水質は良好となる。換言すれば、生物的浄化作用は湖の生態系そのものにより維持されているといえる。
ニ 水草地帯の破壊、隣接生態系の破壊
a 水草地帯の分布
琵琶湖には岸から比較的浅い部分にアシ、ヒシ、オオカナダモ等多くの水草が繁茂している。これを南湖についてみると、別紙八のとおりであり、二メートルまでの深さで最も多く、三メートルより深くなると急激な減少を示している。
b 水草地帯の役割の一、生態系の維持
水草地帯は、湖の他の水域と比べて豊かな生物相を持っている。すなわち、ここにはバクテリア、付着藻類、ワムシ類、ミジンコ類、エビ類、貝類が豊富に生息し、また魚類にとってエサ場、隠れ場として重要であり、また琵琶湖の魚類の中には、水草地帯を産卵場所、稚魚の成育場所とするものも多い。従って、水草地帯は生物的浄化作用の根幹となる生態系を維持している。
c 水草地帯の役割の二、沈澱
水草地帯は静水環境を生み出すことにより固形物の沈澱を容易にしている。水草地帯を通過すると水がきれいになるといわれてきたのは、右作用によるものである。
d 水草地帯の役割の三、特有の生物的浄化作用
琵琶湖に特に多いヨシの水草地帯の生物的浄化作用のメカニズムは次のようなものである。
抽水植物であるヨシの茎の水中の表面には、付着性藻類やバクテリア、原生動物等の微生物が多く住むことができ、しかも、ヨシ地帯では水中に茎が乱立しているので、水中の茎の表面積は湖底面積の数倍に及ぶ莫大な面積になる。たとえば、ヨシ地保全造成検討委員会の報告の赤野井湾の調査数値から平均値を計算すると、水深三〇センチメートルのところでヨシ地帯一平方メートル当り水中茎面積は0.88平方メートルもあることがわかる。
その結果、通常の湖底よりもヨシ地帯の微生物の数は大量になり、これらの微生物が酸素を消費しつつ、有機物を分解して水を浄化する。
他方、右分解に伴い酸素が消費されることから水中の溶存酸素の減少、また分解により植物プランクトンの増殖の原因となる窒素、リン等の栄養塩類が溶出する。水中の溶存酸素の減少、栄養塩類の増加は水質汚濁の原因となるので、このままでは水の浄化とは単純にいえないこととなる。しかし、水草地帯では右の問題は次のように解決されている。
まず、溶存酸素の減少については、抽水植物は浅瀬地帯でしか成育できないので空気中から酸素が水中へ容易に溶け込み、また付着性藻類や水草自身の光合成により昼間は酸素が供給されるので酸素不足になりにくい。ただ、夜間は光合成が行なわれないので、酸素が不足しがちになり、微生物の働きによる有機物の分解は不活発となる。
しかし、このときには、水中の硝酸態窒素が微生物の働きで分解され空気中に窒素ガスとなり放出され(これを脱窒という)水中の窒素濃度を下げることで水を浄化している。
また、特に付着性藻類はアンモニア態窒素を著しく吸収して水を浄化することが確かめられている。
また、有機物の分解によってできる栄養塩類の増加に対しては、抽水植物や沈水植物についている付着性藻類、ヨシの水中根、沈水植物が栄養塩を吸収して、植物プランクトンを増やさない仕組になっている。
また、ヒシ、浮草等の浮葉植物は、水面に浮いた葉が太陽の光を遮断して植物プランクトンを増加させない効果を生んでいる。その間に栄養塩は沈水植物や付着性藻類に吸収されることになる。
これらのメカニズムにより、ヨシ帯を通過した水は、窒素やリンが大幅に削減され、水が浄化されていることが、種々の実験から判明している。
e ヨシ地帯の浄化量
ヨシ地帯のもつ生物学的浄化量を数量的に表すことは非常に難しい。しかし、有機物の分解については、試算が可能である。有機物の分解の過程では酸素が消費される。したがって、この付着性生物の浄化作用を表すには有機物分解に使われる酸素消費量を求めることにより計算できる。この時、植物が昼間に光合成によって生産する酸素量と植物自体が呼吸して消費する酸素量を考慮しなければならない。
鈴木証人の試算によると、有機物分解による酸素消費量は、ヨシ地帯一平方メートルにつき一日当り三〇九ないし七四六ミリグラムとなる。赤野井湾では一〇ヘクタール以上の面積のヨシ地帯が消失している。そこで、ヨシ地帯一〇ヘクタールの浄化能力を試算するにつき、一人一日につき家庭雑廃水としてBODを三二グラムを出し、湖に流入するまでの浄化率を少なくとも七〇パーセントとみると、実にヨシ地帯は三二一九ないし七七七一人分のBODを除去することになる。赤野井湾に廃水が流入する人口は三万一四五〇人であるから、ヨシ地帯の除去率は少なくみて、流入BOD量の一〇ないし二五パーセントに相当する。
f 生物学的浄化による有機物の絶対量の減少
一般に、微生物が有機物を分解すると、同時に微生物も増える。言換えれば、微生物という形の有機物に変るという面がある。しかし、分解された有機物量と増殖した微生物量を比べると、分解された有機物量の方がずっと多い。また、更に微生物を別の生物が食べると微生物としての有機物は減るが、別の生物としての有機物は増加することになる。このときも、別の生物の増加よりも微生物の減少の方が大きい。こうして最後には大型の魚まで食物連鎖はつづくのである。結局、食物連鎖が続けば続くほど、後に残る生物の数は少なくなっていく。つまり有機物の量は減少するのである。
ヒメタニシ等の貝は、この食物連鎖のなかで有機物量を減らす働きをしているのである。水が汚れると増殖するヒメタニシが、逆に水を浄化することはまさに自然の妙である。
g 他の植物の浄化作用の例
ヨシ以外にも浄化能力のある植物はあり、ホテイアオイやオランダガラシ等は早くから窒素やリンを吸収することがわかっており、実験的に水の浄化に用いられている。
h 水草地帯の破壊による水質悪化
本件水位低下が起ると、この水草地帯の大部分が干上がり破壊される。この結果、生態系による生物的浄化作用が失われ、富栄養化が進み、水質が悪化する。
ホ 水位回復による水質汚濁
本件水位低下により、破壊された水草地帯の水草及び死滅した移動性の鈍い貝類一般の遺体は空気中にさらされ、好気性バクテリアにより腐敗し、その結果、硝酸態窒素をはじめとする多量の無機塩類が生ずる。これが水位の回復と共に水中に溶け込み、BOD値が増加し、窒素、リンの濃度が高くなり、湖にとり有害なプランクトンが大増殖し、富栄養化が進み、水質が悪化する。
ヘ 内湖、内湾の消滅等と水質汚濁
琵琶湖の周辺に存在する大小の内湖、琵琶湖の内湾には、水草地帯があり、また水が停滞しやすいため、水草地帯と同様の浄化作用を有している。この内湖、内湾は沿岸部に存在するため、本件水位低下により消滅もしくは大幅な面積の減少を余儀なくされる。これは水草地帯の場合と同様に内湖、内湾を基礎とする生態系を破壊し、その生物的浄化作用を大いに減殺し、これにより富栄養化が進み、水質が悪化する。
また、内湖、内湾は汚濁物の沈澱池の役割も果たしているため、その底には大量の有機物質や栄養塩類が蓄積されているので、水位回復に際し水中に一挙にこれらが溶け込みこの付近が局所的に富栄養化し、水質が悪化する。
ト 湖底泥の巻上がり
水面上の波浪の影響で、湖底泥が巻上げられ、湖水中に浮遊するという現象がしばしば見られる。水深一メートルではしばしば巻上げ現象が見られ、風が少し強くなると水深二メートルでも相当の巻上げが見られる。したがって、水位が低下すると、従来全くまたは頻繁には波浪の影響を受けなかった湖底が、新たに波浪の影響を受けて、底泥が巻上がるという現象が起る。
南湖においては水位が〇メートルのときの水深一ないし二メートルの湖底面積より、水位がマイナス一メートルのときの水深一ないし二メートルの湖底面積の方が広い。
このように、従来波浪の影響を受けなかった湖底部分が、しかも従来よりも広範囲にわたって巻上げられて底泥がかくはんされるので、SSが高くなるのはもちろん植物プランクトンの増殖が起り、富栄養化が進むのみならず、重金属や有機塩素化合物等の有害物質が水に溶け出すことになる。その結果水質が悪化する。
7 南湖浚渫
A 南湖浚渫の概要
南湖浚渫は琵琶湖総合開発計画による水位低下対策事業としてされるものであり、当初は南湖東岸一帯及び西岸の堅田とされていたが、その後南湖東岸の矢橋、志那、赤野井の三か所合計一三三ヘクタールを矢橋については最大2.5メートル他については二メートルまで浚渫するとされ、概算浚渫土量は、合計八〇万立方メートルの計画である。
また、被告公団は、琵琶湖総合開発計画によるものかは不明であるが、堅田の浮御堂付近も浚渫している。
B 浚渫による水草地帯の破壊等
浚渫(予定)地は、いずれも沿岸帯であり、同時に水草地帯でもある。したがって、浚渫により水草地帯が破壊され、その有する浄化作用が失われ、富栄養化が進み、水質が悪化する。
また、浚渫部分が急に深くなるため、沈水植物が成育できなくなり、以後水草地帯が再生せず、これによる将来の水質悪化が発生する。
また、浚渫により二メートル位の水深となった場所は水位低下により巻上がりが起り、前述のようにこれによる水質悪化が起る。
C 浚渫による底泥のかくはん
南湖沿岸部の底泥は各種重金属及びPCBにより汚染されているが、これらの汚染物質は浚渫工事に伴うかくはんによって湖水中に溶出あるいは浮遊し、湖流によって北湖まで汚染が拡大することが予想される。水質汚濁を発生させない工事はあり得ないし、いったん発生した汚濁を外部に出さない工事方法も現在の技術水準では不可能である。
D 浚渫後の湖底
浚渫後の湖底についても、深みが形成されそこに湖水がよどむ状態となるため、底層水の含有酸素量の減少、嫌気性バクテリアの発生により、堆積物が腐敗してドブ化してゆく危険性がある。
E 三角洲の消滅
浚渫(予定)地で琵琶湖に流入する河川は相当数にのぼるが、それらの河川は、河口付近の浚渫により、それまで形成された三角洲が削り取られることとなる。河川からの水は三角洲を伏流して琵琶湖に流入するため、三角洲が自然のろ過作用を果たし汚濁物質を一部除去しているものであるが、これが浚渫によって消滅した場合、流入水はそのまま湖水に混入する。これもまた浚渫が水質悪化の一要因をつくり出すものである。
8 瀬田川の浚渫
水位低下対策事業として瀬田川の浚渫があるが、これは瀬田川の魚貝その他の生物に悪影響を与え、富栄養化を進め、水質を悪化させる。
9 湖岸堤による被害
A 湖岸堤建設工事による被害
イ 水草地帯の破壊
湖岸堤の建設は、その建設場所の水草地帯を破壊し、その結果水草地帯の持つ浄化作用が失われ、富栄養化が進み、水質が悪化する。
ロ 土砂流入等
湖岸堤建設にあたり、一部においては南湖の浚渫土砂を使用することから湖底泥に含まれる重金属等の有害物質が工事の排水と共に水質汚濁を招き、また工事に使用する土砂が湖水に流入し、水質を悪化させる。
ハ 三角洲等の消滅
湖岸堤建設と同時になされる河川の浚渫により、天井川、三角洲が失われ自然によるろ過作用が減少し、富栄養化を進め、水質が悪化する。
B 完成した湖岸堤による被害
イ 高水位による被害
湖岸堤建設は琵琶湖増水時に高水位を維持することを前提としているが、利水のためにこの高水位を継続的に維持する可能性がある。これにより沿岸生物相の破壊が生じる。すなわち、浅瀬に棲息する水生植物等の生物は水位上昇により生息の条件を奪われて自浄作用が失われ、またその生物自体の腐敗によっても富栄養化が進み、水質が悪化する。
ロ 湖岸堤(湖中堤)による内湾締切
南湖東岸に位置する内湾の湾口を湖中堤により締切り、人造の内湖として水産施設を作ることが計画(人造内湖化)され、現に内湖となった津田江湾を例にとれば、湖中底建設によって広い人造内湖が出現した。しかし、人造内湖には自然の内湖と違い水の浄化機能が少なく、将来水質の悪化が予想され、この水質悪化を回復する手段はないと思われる。したがって、人造内湖は結局のところ本湖たる琵琶湖の水質をさらに悪化させ、ついには、また埋立てられると予想される。そうなると、元々内湾が持っていた浄化機能は全く失われることになり、琵琶湖の水質はより一層悪化する。
10 管理用道路による被害
A 管理用道路建設工事による被害
湖岸堤建設工事による被害と同様であるからそれをここに引用する。
B 完成した管理用道路による被害
イ 自動車の排気ガスによる被害
名称は「管理用道路」であるが、その実は湖周道路であり、現在二車線が計画されている。従って右道路が完成されれば、当然、湖周を走る自動車の交通量は激増しその排気ガスも無視しえない量となる。自動車の排気ガス中に含まれる窒素酸化物、硫黄酸化物、鉛等が直接もしくは雨水等を通して湖に入り琵琶湖の水質を悪化させ、またヨシ等の水草地帯の活力を失わせ、生物学的浄化作用を弱体化させ富栄養化を促進し琵琶湖の水質を悪化させる。
ロ 湖周の観光施設増加による被害
管理用道路はその名称とは別に観光用道路を主目的にしており、その完成は必然的に観光客の増大、湖周の観光施設の増加を招く。現に滋賀県は、本件湖岸堤・管理用道路計画の実施に伴い湖周の観光地化の計画を策定している。一九七〇年同県発表の「滋賀県土地利用計画案」によると、安曇川・姉川・愛知川各河口の三箇所に大規模レクリェーション基地の計画が発表されている。これらの各基地の規模は各々、基準日利用者数一日五万人、ピーク日一五万人、宿泊者一日一万五〇〇〇人の計画である。その他にもいくつかの中小規模のレクリェーション基地が予定されている。これら多数の宿泊者を予定した観光施設からは大量の未処理の雑排水が琵琶湖に流れ込むのは必至であり、それにより湖の富栄養化に拍車がかけられることも明らかである。
11 浄化センターによる被害
A 浄化センターの排水による被害
イ 活性汚泥法の原理、効果
浄化センターで採用されている処理方法の原理は活性汚泥法である。活性汚泥法というのは、固まり(フロック)を作るような微生物(これを活性汚泥という)を飼っておき、これを汚水中に入れて空気を吹き込む(ばっ気)と、微生物が汚水中の有機物を自己の栄養源として摂取するために汚水がきれいになることを利用した処理方法であり、現在の日本では最も広く用いられている。
その処理過程は、第一段階で、流入してきた下水は最初沈澱池で粗いゴミ、土砂を落とし、第二段階で本処理法の心臓部にあたるばっ気槽に入り、ここで活性汚泥という微生物集団と混合され、ばっ気される。その過程で活性汚泥は吹き込まれた酸素を消費しつつ、下水中の有機物を栄養分として摂取し、その一部を炭酸ガスと水とアンモニアに酸化分解し、排泄し残りの部分で新しい菌体を作り増殖し新たな活性汚泥を作る。第三段階で、最終沈澱池において重力により水とフロックとなった(活性)汚泥に分離され、第四段階で、うわずみ水が処理水として(場合によっては殺菌もしくはろ過された上)放流される。沈澱した汚泥は一部は活性汚泥としてばっ気槽へ返送され(これを返送汚泥という。)使用され、残部は最初沈澱池と共に余剰汚泥として、脱水された上で、(脱水された汚泥をスラッジケーキという)投棄または焼却される。
ロ 汚泥処理の必要性
活性汚泥法は右のとおり、下水中の有機物を一部は炭酸ガス、水、アンモニアに分解することにより、下水中から右に該当する有機物を除去したといえるが、余剰汚泥については下水中の有機物を汚泥の形に変えただけであるので、余剰汚泥を脱水したスラッジケーキの処理をきちんとしないと最終的に処理したとはいえない。本件浄化センターでは最終的には最大日量七〇〇トンのスラッジケーキが排出され、焼却処理されても日量一〇〇トンの焼却灰が排出される。
ハ 活性汚泥法の限界
a 適切運転の困難性
活性汚泥法は微生物を使った生物処理であり、下水中の有機物の量と活性汚泥との割合、流入下水の温度、水質の変化、ばっ気による酸素量、活性汚泥の活性度、馴致度、反応速度等の諸要素により、浄化能力は変動し、処理施設の適切な運転には困難が伴う。
b 処理可能な汚濁物質の限定
活性汚泥法によりすべての汚濁物質が処理できる訳ではなく、それには限定がある。有機物はBOD指標で八五ないし九五パーセント、SS(浮遊物質)は八〇ないし九〇パーセント、総窒素は二五パーセント、総リンは五〇パーセントが除去される。
重金属類の処理には、活性汚泥法は無力であり、ただ汚泥に付着することにより、場合によれば五〇パーセント程度が水系から除去されることもあるが水銀等は大部分が除去されない。
工場廃水の受入にともなって流入する有害化学物質は、ほとんど除去されない。
細菌やビールスは、通常の塩素滅菌によっても完全には除去されない。一例を上げれば、大腸菌群数についてみれば、高級処理を行なっている下水処理場からの塩素滅菌前の水質分析結果をみると大阪市今福処理場の場合二八〇〇個/ccという結果が出ている(その時のBODは二四ミリグラムパーリットルである)東京都砂町処理場の場合も三万三〇〇〇個/cc、七〇〇〇個/cc、二万一〇〇〇個/cc、五〇〇〇個/ccというひどい結果が出ている。
ニ 工場廃水受け入れの問題点
a 工場廃水受入量
浄化センターは、計画によれば、最大日量四六万立方メートルの工場廃水を受入れて家庭下水との混合処理を行なうものである。しかし、混合処理には数多くの問題点が含まれており、これらを要約すると次のとおりである。
b 工場廃水受入れによる活性汚泥の機能停止等
工場廃水の受入れにより活性汚泥の機能低下、停止等の事態が発生し、BOD、SS等の除去率も低下するに至る。
c クローズドシステムの妨げ
工場廃水の処理には、環境に放出せず、水および原料の回収、再利用をはかるというクローズドシステムが環境汚染に対する抜本的対策であることが多くの人々から指摘されている。重金属、化学物質等の捕捉、回収については、工場内の発生源において単一物質、高濃度のものを対象とするのが容易であることはいうまでもなく、下水道に排出して希釈混合した後での捕捉、回収はほとんど不可能である。
工場廃水を下水道に受入れるという混合処理方法は、クローズドシステムの採用の方向とは全く逆行するものであり、濃度規制のもとでは各工場に対して、工場内の水及び原料の回収、再利用ではなく、水を大事に使用して廃水を希釈して下水に流し込むという処理を奨めることとなる。現に本件流域下水道の計画処理水量は工場廃水を最大日量四六万立方メートルと見込んでおり、クローズド化の方向とは大きくかけはなれたものである。この結果、浄化センターには大量の重金属、有害化学物質が流入する。
d 汚泥、処理水の危険性
汚泥、処理水の利用方法として、汚泥の農地還元、処理水のかんがい使用を実現すれば、自然の物質のサイクルを回復することになって、生態系の保全の意味からも有意義であり、また現在の下水処理場のもつ難問である汚泥の捨て場がないという問題の解決ともなるのであるが、下水道に工場廃水を受入れることにより、処理することのできない重金属、有害化学物質等が汚泥に濃縮され、また処理水に含まれることになるため、汚泥、処理水の利用はほとんど不可能になる。
e 工場廃水中の有機物の除去の困難性
浄化センターについては、流入するBOD負荷のうち工場廃水の占める割合が六三パーセントに達する計画である。しかし、工場廃水中の有機物は家庭下水中の有機物とは質的に多くの点で異なり、活性汚泥法で処理する場合でもその運転条件は違うので処理はより困難である。
f 汚泥焼却による汚染
工場廃水が流入している下水処理場の汚泥は一般に重金属で汚染されており、この汚泥を焼却する際には、重金属が気化して排煙とともに拡散することが知られている。また、工場廃水に含まれる物質の組成によっては焼却により有毒物質を生成する危険もある。浄化センターの焼却炉の焼却処分によりこれらの重金属、有毒物質は、周辺の琵琶湖に飛散し、その水質を悪化させる。
g 法による有害物質規制の形骸化
有害物質の規制は、工場廃水を下水道に受け入れると不十分になる恐れが強い。現在、下水道法で規制されている有害物質は九項目のみであり、その基準値自体、それで安全であるという確実な根拠はない。また数万種といわれる他の化学物質はほとんど規制されていない。このように下水道法の規制は極めて不十分であるが、それはともかくとして、工場廃水を下水道に受け入れる場合、公共水域に放流された場合と比較して、有害物質の規制は骨ぬきになる危険性が高い。
工場廃水が、工場の排出口から河川なり湖なりに直接放流される場合には、周辺住民の監視により汚染は発見されやすく、放出工場をつきとめることも可能である。しかし暗渠を通じて下水道に流し込む場合には、汚染が発見されにくいのみならず、下水処理場段階で有害物質が測定されたとしても発生源である工場をつきとめることは不可能である。
また、工場毎に、考えられる有害物質の数に応じた連続自動監視装置を設置させることは、現実には困難であり、法令もこれを要求していない。また、本件流域下水道の処理対象区域の工場、事業所のすべてについて、適切な監視体制を整えることも実質的に不可能である。
有害物質を含む工場廃水は、下水道へ流そうと、公共水域へ流そうと、よくないことはもちろんである。しかし工場廃水の排出規制、違反者の責任追求を通じて有害物質を排出しないようにする方向ではどちらが有効かを考えると、下水道への工場廃水の受け入れは、改善とは逆の方向に作用することは明らかである。
現実の下水道も、被告らという建前とは全く異なり、工場廃水の不法投棄とたれ流しが常態となっている。建設省の調査によれば、昭和五一年三月末現在、全国の工場の除害施設設置率は、六七パーセントであり、その稼働率は更に低い。東京都の例では、昭和五一年度は年1.3回の立入調査をしたのみであるが、その違反率は四三パーセントの高率であった。最近でも、年二回の立入調査で一五ないし一七パーセントの違反率であり、それ以下には下がらない。また、立入調査を行なっていない工場が多くあるのが現状である。名古屋市の例でも、平常時でも工場廃液由来の重金属、有害物質の影響があり、ことに基準以上の廃液の不法投棄により高濃度の毒物が流入し、ばっ気槽の活性汚泥が完全に死滅する等、処理機能を破壊し、問題となっている。某県が、下水道の完備した市内と下水道のない市内で、同規模のメッキ工場で廃酸、廃アルカリの濃厚液の処理方法を調査したところ、正しい処理をしていたのは、下水道のない市外で84.3パーセント、下水道のある市内で37.1パーセントであったという。
現在の法令に基づく排水基準値は、濃度で規制しているために、工場が廃水を多量の水で希釈して放流する場合や各工場毎では有害物質の規制値を越えていても、処理場流入端では多量の下水によって充分希釈され、みかけは基準に適合することもある。したがって、工場廃水について充分な規制がなされることは到底考えられない。
h 下水処理場の建設費、維持費の巨大化
工場廃水の受入れに伴う下水処理場規模の巨大化によって、建設費が増大することはいうまでもない。大規模化による経済的なスケールメリットがいわれるが汚泥、焼却灰の処分を考えるとスケールメリットが存するか疑わしい。汚泥、焼却灰を再処理して利用する、あるいは密封容器に封入する等の処理を行なうと膨大な費用を要するため、そのまま海、河川敷に投棄されていることが多いのが現実である。
これに対して、家庭下水のみを対象とする中小規模の処理場を複数建設する場合には、汚泥、焼却灰の相当部分は処理場の近くで土壌還元によって安全かつ低費用で処理することができる。
大規模化によるスケールメリットとは、汚泥、焼却灰をそのまま投棄することを前提に主に処理場の建設費のみを考えた計算である。
下水処理場の運転過程で特に軽視しえないのは維持費の増大である。大規模化による維持費増加のみならず、工場廃水を受入れることによって、活性汚泥を良好な状態に置き、放流水の水質を維持するためには、家庭下水のみの場合と比べて投下薬品量の増大、日常の運転監視体制の緻密化、施設の設備更新等、維持費増大の要因は極めて多い。
維持費の増大が自治体の財政を圧迫した場合、行きつくところは処理の手抜き、放流水の水質悪化であり、これが真に憂慮せざるをえない事態である。費用の面から下水処理場が予定された機能を果せないまま稼働している例は全国でもいくつかみられるのであって、このような事態の発生は充分警戒する必要がある。
ホ 三次処理の実施困難性
被告らは、浄化センターにおいて富栄養化防止対策として、窒素、リンの除去を主眼とした三次処理を実施する計画であると主張している。しかし、工場廃水を受入れる大規模な下水処理場で、高度処理が実用化されるケースは、我が国では浄化センターが初めてであり、未知の部分があること、三次処理の前段階の二次処理にトラブルが出れば、三次処理も機能できなくなること、工場廃水が日最大四六万トンもあり、流入水量の四五パーセント、汚濁負荷量にして八〇パーセントにもなると、過去のデータからだけでは予測がつかないこと、汚泥処理過程で返送水があるがその問題が明らかにされていないこと、コントロールが簡単にできないこと等から、被告らの主張通り機能するかは疑問である。
ヘ 浄化センター整備による水質保全効果の程度について
a 被告らの主張
被告らは「浄化センター(この場合は、下水道施設全体を示している)整備による汚濁負荷量の削減効果について試算し、その結果から、未整備の場合に比べ、7.2トン汚濁負荷が削減され、琵琶湖周辺の現況を考えれば、何等の対策を講じないでこのまま放置することに対し、整備することが琵琶湖をはじめとする関連水域の水質保全を図る上で極めて重要かつ効果的であることが明らかである。その効果は将来において流域内の社会的な状況に変化があろうとも十分期待できるものである。」と主張する。
しかし、以下に述べるように被告らの主張は全く合理性のないものである。
b 水質保全効果のとらえ方の誤り
被告らは、浄化センター整備による水質保全効果について、これを整備しない場合との比較において、その効果を論じているが、これは無意味な対比である。琵琶湖の水質の悪化等が取返しのつかない状態になりつつある現在琵琶湖の水質の回復等のため抜本的な対策である下水道の早期整備が必要なことは、原告らも主張している。
被告らが、本来主張、立証すべきことは、他の方式による下水道整備よりも浄化センター整備の方が、工事に伴う自然破壊の程度、供用開始までの期間の長短、下水処理方式等の諸点を比較検討して、より水質保全効果が大きいといえるかどうかである。
かかる観点にたてば、浄化センターを建設するため、琵琶湖を浚渫、埋立し、人工島を造成したことによって、琵琶湖の水質に与える悪影響、下水道の供用開始に至るまで排出される汚水の琵琶湖の水質への影響の評価等多面的な検討が必要である。
ところが、被告らは多くの水質指標のうちのBODのみについて、それも、浄化センターの除去効果についてのみ論じており、被告らの試算は意味がない。
かえって、後述するような、浄化センター建設工事に伴う琵琶湖の水質悪化、自然破壊、供用開始まで長年月かかるというような諸々のマイナス面を覆い隠すところのごまかしの論法であるといわざるをえない。
仮に、被告らの試算した水質保全効果の点に絞っても、以下に述べるように被告ら主張のような水質保全効果は期待できない。
c 算定根拠の数値の不明確性
被告らは、水質保全効果を試算するについて、その算定の根拠となった発生汚濁負荷の内容や数値、仮定した除去率の根拠等を明確にしておらず、不明のままである。また、ブロック区分のⅢ、Ⅳから南湖に流入する発生汚濁負荷量のうち、どの位の割合を浄化センターが処理の対象としているのか、あるいは、被告らの主張によると、浄化センター整備がある場合の方が、整備がない場合よりも、工場系の負荷量が著しく多くなっているが、今後事業を開始する工場からの負荷量をどのように評価しているのかについても全く不明のままである。
d 総合浄化残率概念の不当性
被告らは、水質保全効果を試算するにあたり、琵琶湖流域を四つのブロックに分け、各ブロックに流入する負荷量とそこから流出する負荷量の比率を求め、これを各ブロックにおける総合浄化残率と称し、これは流域内の河川、琵琶湖内等における自然的な浄化効果を表す係数となるものであると主張する。
しかし、総合浄化残率なる概念は、被告らが独自に考案した概念で、学問的な裏付もなく、ただ、自然の浄化作用を算定するには、あまりにもデータが不足しているので、入手できる範囲の水質データを用いて試算できるように、大雑把に各ブロック毎に発生し流入する負荷量と流出する負荷量を算出し、その比率を求めただけである。
したがって、総合浄化残率というが、それは、陸域で発生した汚濁負荷量が、琵琶湖に通じる河川に流入し、そこを経て琵琶湖に入り瀬田川までに流達する間に、自然の浄化作用によっても浄化されずに残った汚濁負荷量の割合をいうものではない。
琵琶湖では、陸域から流入する汚濁負荷量の約七、八割に相当する量が琵琶湖内部で生産されており、総合浄化残率の計算に使われた水質データは、この内部生産量も含めた数値となっているからである。
そのため、各ブロック別の総合浄化残率を算定するにあたり、陸域からの排出汚濁負荷量と各ブロック間の流入、流出汚濁負荷量のほかに、琵琶湖等の公共水域内で新たに発生する汚濁(主として植物プランクトン)の量を内部生産量として、これも加えて総合浄化残率の数値を求める試算をすると、被告らという総合浄化残率と異なる数値となる。そして、汚濁負荷量の削減効果を示す浄化センター整備がある場合とない場合の瀬田川への流出汚濁負荷量の差も約3.6トンとなる。
このことからも、被告らが用いる総合浄化残率なる概念があまりにも大雑把なもので、より琵琶湖の自然にそった算定の方法をとる限り、被告らが主張する水質保全効果を示す数値とはならないことはあきらかである。
そもそも、下水道に下流側の水質保全効果をあまり期待できないのが現状である。
e 過大な除去率の不当性
被告らは、浄化センターにおけるBODの計画処理除去率を約97.5パーセントとして計算しているが、全国各地の下水処理場の実績等から判断すると、高々九〇パーセント程度の除去率しか期待できず、特に工場廃水の混入率が大きい処理場ではそれ以下に低下することは、よく知られている。
被告らの主張する97.5パーセントの除去率はそれを常時満足するような実際の処理場が全国にもほとんど例がなく、実験データに基づいて算出した机上の計画除去率でしかない。
したがって、被告らの算定方法をもちい、実態にそくして除去率を90.8パーセントにして計算すると瀬田川流出負荷量は約13.3トンとなる。これは、被告らの計算した数値である6.1トンより大きく、浄化センター整備がない場合と同じである。
f 将来予測の不当性
被告らは、水質保全効果の試算にあたり、昭和五〇年時点の統計資料が、統一的利用が可能な最近の年度であるので、推計の便宜上、仮に右時点において浄化センターが整備されたと想定して、結論として「将来においてたとえ流域内の社会的な状況に変化があろうとも、浄化センター整備による水質保全効果は充分期待できる」と主張するが、全く根拠のない不当な結論である。
試算する時点で、利用できる資料の制約から、その時点で浄化センターが整備されたとすることがやむをえないとしても、その時点で整備されたとした条件設定のもつ限界については、謙虚にこれを認めるべきである。将来の流域内の社会的な状況の変化について全く検討することなく、したがって昭和五〇年時点での仮説が将来でも妥当するとの検討もなく、被告の主張するような結論を導くのは暴論である。
浄化センターが完備するまで陸域で発生した汚濁負荷量の多くは従前通り公共用水域に流入し、琵琶湖を汚染し続けるのであり、昭和五〇年時点の琵琶湖の水質がそのまま一〇年後、二〇年後も変っていないという保証はなく、これまでのデータを見る限り、水質は悪化の一途をたどっているのが現実である。
したがって、被告ら主張の総合浄化残率の数値は、算定時点を異にすれば値が異なるのは当然であり、被告らの試算はあくまで昭和五〇年という時点に限定されたものであり、その結果の妥当する時期的範囲もおのずから限られる。
g 単一水質指標による考察の不当性
被告らは、水質保全効果をBODという単一の水質指標のみで考察しているが、他にも多くの水質項目があり、それらを総合して初めて水質保全効果を判定できるのであり、BODのみで予測するというのは基本的に誤っている。
h 結論
被告らの試算は、算定方法に重大な欠陥があり、データ的な制約もあり算定した数値通りの水質保全効果があるとは認められず、まして将来浄化センターが整備された時点において、期待通りの効果があるとは全くいえない。
ト 予定放流水質
被告らは、浄化センターの処理により放流水が良質なものであるとし、BOD、COD、SS、総窒素、総リンについての総合除去率を掲げ、また、浄化センターの放流水の実測データを示し、良好な除去効果をあげていることを主張する。
しかしながら、この実測データが、実際の処理水量が計画処理水量に比べて極めて少ないこと、工場廃水が全くと言ってよいほど混入してきていないときのものであること、その他これまで原告らが述べてきた諸事情からすれば、この実測データに基づいて将来の水質を類推することは相当でない。
しかも、下水道法によれば、放流水質はBOD二〇ミリグラムパーリットル以下、SS七〇ミリグラムパーリットル以下等を満足すればよいのであり、被告らの主張する高除去率及び良質な放流水質が常時維持されるという法的保障は全くないといえる。
したがって、下流の水質の安全性を重視するならば、下水道法の排水基準の数値を計算の根拠とするのが法的に考えても、実際の処理場の処理状況から考えても、妥当であるといえる。
チ 浄化センターからの放流水による瀬田川の水質悪化
a BODからみた悪化
BODについて放流水の水質を下水道法上の排出基準値二〇ミリグラムパーリットルとして、被告ら主張の計算方式で算定すれば(C1を二〇ミリグラムパーリットル、Q1を10.1立方メートル毎秒、C2を一ミリグラムパーリットル、Q2を73.8立方メートル毎秒とする)、瀬田川におけるBODは3.3ミリグラムパーリットルとなる。
これは河川Aに類型指定されている瀬田川のBOD基準値二ミリグラムパーリットル以下をはるかに越えており、「この基準レベルが充分満たされることは明白である」という被告らの主張は誤りであることがわかる。
b 窒素、リンからみた悪化
被告らは、浄化センターからの放流水中の総窒素、総リンの予定水質をそれぞれ一〇ミリグラムパーリットル、0.5ミリグラムパーリットルと推定しているが、被告らの計算方式に従って、浄化センター完成時における瀬田川の総窒素、総リンの濃度を試算すると、総窒素で1.2ミリグラムパーリットル、総リンで0.06ミリグラムパーリットルとなり、昭和五〇年や昭和五五年の瀬田川の水質より悪い結果となる。しかも、右試算は、琵琶湖から瀬田川に流入する湖水の総窒素、総リンを仮に〇としたものである。したがって富栄養化原因物質である窒素、リンについては、浄化センターからの放流水が確実に瀬田川の水質悪化に直結する。
そして、放流水中の窒素による下流の汚濁は、これを水道水源とする浄水処理過程において塩素の過大注入を引起こし、発癌性物質である有機塩素化合物の生成を増大させ、住民の健康被害を必然化する。
c 重金属類等からみた水質悪化
被告らが主張する浄化センターからの放流水の予定水質は、フェノール類が五ミリグラムパーリットル以下、溶解性鉄分一〇ミリグラムパーリットル以下、溶解性マンガン一〇ミリグラムパーリットル以下、クロム二ミリグラムパーリットル以下、フッ素一五ミリグラムパーリットル以下である。
フェノール類は、水道水の臭気の原因となり、塩素処理をするとフェノールが0.001ミリグラムパーリットル程度でも不快なクロロフェノール臭を発するといわれている。クロム、フッ素は、人の健康阻害物質である。鉄は水道の赤い水の原因となり、マンガンは水道の黒い水の原因となる。被告らの計算方式に従い浄化センターが完成した時の瀬田川水質を予測すると別紙九のようになる(但し、琵琶湖から瀬田川への流入水質については、データがないので、それぞれ〇とした)。これから明らかなように瀬田川の予想水質は、「水道水源の水質環境基準」を大きく越えることになる。
B 不測の事態による浄化センターの危険性
浄化センターは非常に大規模な流域下水道であり、これが活性汚泥の機能停止、死滅などにより、下水を未処理のまま放流したり、汚泥をそのまま瀬田川に投棄する事態になれば下流の淀川の水質は極めて悪化し水道原水として使用できなくなる。
そしてかかる事態の発生原因としては、工場の事故(故意によるものも含む)による有毒薬品、廃液、重油等の流入、悪徳産業廃棄物処理業者によるマンホールからの有害廃棄物の不法投棄による活性汚泥の機能停止、浄化センターの設備の運転の誤り、故障(東京都の五八ポンプ場、八処理場の例によれば、昭和四二年度から同五一年度までの一〇年間に約三万二〇〇〇件の故障件数があり、このうち機能別にみると揚水機能と汚泥処理機能の割合が高いとの報告がある。)による活性汚泥の機能停止、地震等の災害による浄化センター自体の破壊等があり、容易に予想しうるものである。このような事態になったからといって、工場、家庭から廃水を排出することを停止することはできない。
その結果、大量の未処理水が瀬田川に流入することになり、その危険、被害の大きさは甚だしいものである。
C 人工島造成による琵琶湖の水質悪化
イ 湖底のかくはんによる水質悪化
人工島造成にあたっては、人工島の沖の水深四メートル程度の湖底二五ヘクタールを水深一四ないし一五メートルまで浚渫し、浚渫した土砂を投入し人工島を造成している。右浚渫、土砂の投入により琵琶湖に濁水が流出し、また、湖底泥中の重金属、PCB等の有害化学物質(人工島付近の湖底泥中には日本コンデンサー草津工場から流出したPCBが含まれていると考えられる)が湖水中に拡散、溶出し、また同じく湖底泥中の窒素、有機物も拡散、溶出し、これらによって、水質が悪化する。
被告らは、濁水は汚濁防止膜の内でポリ塩化アルミニウムという薬品を使用して、一定の処理をし放流したので、放流水の水質は基準を満たし良好と主張するが、現場の下流では、ヨシノボリが人工島建設中にはとれなかったが、建設工事がすんだら増えたという事実があり、工事による水質悪化は明らかであった。また、カルテリアという非常に汚れたところに発生するプランクトンが出現したこともあるが、カルテリアは従前は琵琶湖ではあまり見られなかったプランクトンであり、これは濁水が工事用の汚濁防止膜の外へ流出したことの影響である。
ロ 浚渫による跡地
浚渫により人工島沖には二五ヘクタールに及ぶ水深一四ないし一五メートルの巨大な跡地が出現した。
この跡地の水質、底質は、誰も予測し得なかったほど悪化している。注目すべき点は、浚渫水域では四月頃から底層水の酸素飽和量が低下し始め、六月から九月初めごろまでの三か月間は底層水が無酸素状態になるという最悪の環境であるということである。
これは、南湖盆においては、極度に富栄養化が進行し、湖底への有機物の堆積により、底層水の無酸素状態がもたらされやすいところ、浚渫によって水深が深くなったため、六月から九月初めにかけて、水深によって上層が高温で下層が低温の、水温成層が形成され、水の垂直混合が起らなくなったことに起因する。
結局のところ、人工島造成に伴う浚渫によって南湖の中央部に甲子園球場がすっぽり入るほどの巨大な酸欠状態の大穴を作ってしまったのである。
また、底層水の低酸素ないし無酸素層形成は湖底堆積物等からの溶出により高濃度の可溶性無機リン酸態リンやアンモニア態窒素を増大させた。すなわち、富栄養化の引金になる栄養塩の増大を引起こしたのである。
さらに、無酸素層形成期は硫化水素の発生が見られ悪臭を発し、湖底の水が黒味を帯びるようになっている。これは、湖底から溶出した鉄と硫化水素が反応して硫化鉄を生成したためといわれている。
夏期に底層水中に蓄積された高濃度の栄養塩は九月に始まる水の垂直混合等によって、上層の植物プランクトンの種類、組成に影響を与え、浚渫水域のみならず、周辺水域の生態系に悪影響を及ぼしていると予測される。
さらに、無酸素層形成に伴う水質、底質の悪化の影響は底生動物群集にも及んでいる。浚渫されない水域には、ユスリカ類、糸ミミズのような貧毛類が周年生息するが、この浚渫跡湖底では無酸素形成と共にこれらの底生動物が認められない。
また、定住性の比較的強い貝類に至っては、一年を通じ全く採集されなかった。これは、底生生物群集の機能の破壊といってもよい環境の悪化である。
ハ 人工島予定地の浄化作用の喪失
人工島予定地の矢橋湾は自然状態の湖岸が多く残っている所であり、南湖においては重要な内湾であり幅二〇メートルにわたる水草地帯が存し、今後も水草地帯が増加する場所である。したがって、その自然の浄化作用は大きいものである。
しかし、人工島の造成により矢橋湾の面積の四二パーセントが失われ、これにより内湾の持つ浄化作用が失われ、また水草地帯の破壊により、また将来水草地帯になるであろう人工島予定地の一部が埋め立てられることにより、現在及び将来の水草地帯の浄化作用が失われ、水質が悪化する。
ニ 人工島と湖岸との間の水路の水質悪化
人工島の完成により、人工島と湖岸との間には水路ができるが、その水路は湖岸と人工島にはさまれているため、これまでの矢橋湾の一部であった時と比べて水の流れが悪くなり、これが水質の悪化を引き起こし、現に昭和五二年五月、同五三年八月にはアナベナが、同五六年七月にはミクロキィスティスが発生した。加えて、水路内に流入する狼川による流入土砂の堆積により、水路の陸化、これによるさらなる水質悪化をきたし、ついには水路内の水草の生育も困難な程に水質が悪化し、水草地帯が消滅し、その浄化作用も失われ一層の水質悪化に至る事が予想される。
ホ 人工島の垂直護岸による水質悪化
人工島の出現により、湖内に延長3.4キロメートルに及ぶ垂直護岸が生ずることとなる。これによって、本来ならば、湖岸の渚に打ち上げられ、微生物により酸化分解を受けるはずの湖水中の有機物は垂直面につきあたり、分解の間をあたえられずに、そのまま沈積し、湖底の水質を悪化させる結果を招いている。
行政側でも垂直護岸に対する反省が高まり、湖岸堤、湖中堤、浜大津人工渚計画では、垂直護岸を改める考えを出してきている。
12 本件各工事による予想される原告らの被害
A 本件被害の多様性
これまで述べてきたように、本件各工事により、琵琶湖の湖水中に、人の健康を害する有毒物質(富栄養化により発生する有害プランクトン、及びそれが死滅することから発生する有害物質、有害化学物質、重金属、ビールス等)が増大、発生する可能性がある。かかる湖水(淀川等の下流の河川水も含む)を直接、もしくは水道水として人々が摂取するならば、当然に何らかの健康被害を受けるものである。特に、琵琶湖は近畿一三〇〇万人の飲料水源であり、その汚濁は直接に一三〇〇万人に影響を与える。それのみならず、有形無形に琵琶湖と何らかの関わりを持つ人を含めると、工事により影響を受ける人の範囲は、恐らくこれまでの我が国における開発事業の中では、最も範囲の広いものである。
また、その影響、被害の内容は、飲料水源の汚濁の他にわが国で最も大きい湖の自然環境の改変、一〇〇〇年以上にわたり親しまれてきた景観の破壊、近畿地方のみならず広範囲の人々に利用されてきたリクレーションとしての場の破壊、それに湖底遺跡の破壊等と、極めて多岐にわたっている。この影響、被害の多様性も他に類例をみない。
本件事業による影響、被害が、実に広範囲に及び、内容において極めて多様であることは、事業が実施され、結果が生じてしまった後では全く取り返しのつかない事態になることを意味する。例えば一工場の廃液により、下流に被害が発生したとしよう。これに対しては、その工場の廃止あるいは廃液の根本的な処置で発生源の処置は対策可能であろう。しかし、それでも一度汚染された水の回復、また汚染土壌の回復等が非常に困難であることは、これまでの数々の公害事件の例が教えている。しかしながら、本件では、被害が発生した場合の対策が全く取りえない程の大きさであることは明らかである。すなわち、一度汚染された琵琶湖の水が完全に回復するには、常識で考えても、恐らく何十年何百年単位であろう。その間一〇〇〇万人を超える人々がその水を利用し続けなければならないのである。
本件各工事による被害を考える時、それらの規模の大きさ、与える影響の多様性、そして被害発生に対する対策の困難さをまず前提として十分考慮すべきである。
B 健康概念について
本件各工事による被害は、原告ら住民が共有してきた自然環境の破壊、飲料水源の汚染による健康被害、リクリエーションの場の破壊、湖底遺跡等の文化的遺産の破壊、等々極めて多様である。しかし、右の中でも、直接住民の身体の健康に及ぼす被害は、日々飲料水として利用する琵琶湖の湖水の汚染問題である。事が例えば特定の毒物汚染という問題ではなく、日々飲料に供する水による被害であるだけに、まず、「健康」という概念を如何にとらえるべきかを確認しておく必要がある。
健康とは従来、疾病でないこと、すなわち生理学的に異常のないこととされてきた。かかる健康概念の発生は近代的な科学的生物学、病理学、生物学の発展と密接に関わりをもっている。すなわち、各種の病原菌を発見する中で病気の原因を分析的手法により発見していくという方法論が確立し、細胞の変異やホルモンさらに分子レベルにまで原因を追い求めることになった。かかる方法により原因の追求はもちろん、近代的医学の確立のためには必須のものであったが、かかる医学観が、病気とは生理学的に異常のあることをいい健康とは病気でないことであるという見解へと導くことになった。その結果私達も常識的には、健康被害とは具体的な生理機能の異常があり、その異常が既存の疾病に該当する場合であると考えるようになった。(以下、狭義の健康という)
しかしかかる健康概念について、今世紀にはいって反省がおこり、健康や疾病は単に生体の一部だけの疾病の有無によって区別されるのでなく、むしろ人間行動の構造にかかる価値概念であることが強調されるようになった。その結果を受けて、世界保健機構(WHO)の憲章前文は、健康について次のように定義した。「健康とは、単に疾病や虚弱でないことではなく、肉体的、精神的および社会的に完全に良好な状態である。到達しうる限り、最高度の健康水準を享有することは、すべての人間の基本的権利の一つであり、人種、宗教、政治的状態や社会的条件による差別があってはならない。」
このWHOの健康概念は(以下、広義の健康という。)、人間の健康を現実の生活の場で具体的に機能しているものとして、かつ身体的、精神的、社会的側面とを総合したものとして、しかも疾病でないことをも含む広いものとして把握しようとするものである。また中川米造助教授も定義の仕方は異なるが健康を同様に把握しようとしている。
このような健康概念の把握は、単に医学の分野だけではなく、判例においても確立されつつある。とりわけ日照権関係の判例の中に著しい進展がみられる。たとえば、庭の日照権が問題となった東京地裁決定昭和五二年二月二八日は、「その木の間からもれる日照の存在、その日照によって庭の地表が受けたであろう生命力を考えると、その従来有していた日照を本件建物の完成が奪うことは庭の木々の自然の佇まいを壊すであろうことが推認されるので、冬至においては完全日陰となり差がないものの、少なくとも春秋分時において約一時間四五分の日照を与える結果となる同西側半分を削除することが、庭の最低限度の日照確保ひいては債権者の健康で快適な生活の確保のため(庭は住居と一体となりそこに生活する者の快適な環境を造りその健康で快適な生活を保証する)に必要であると考える。」と述べている。
このように従来の判例では単に生活妨害ないしは精神的被害としか捉えられていなかった被害を健康被害として明確に位置づけられつつあるのである。
以上述べてきたところから明らかなように、健康侵害を単に疾病として捉えることは過去のものであり、とりわけ大規模でかつ深刻な公害被害が発生している現在では、健康概念をWHOの如く、身体的、精神的、社会的に総合的にとらえることの重要性が増大している。従って、健康侵害を単に疾病に限定するのではなく、頭痛、めまい等の不定愁訴や不快感(心理的苦痛)、不安感等も健康侵害として捉えられるべきものである(以下、健康という言葉は狭義のそれをさし、広義のそれはその旨明示する。)。
C 本件被害の特質
本件において予想される水質汚濁によって、原告らの生命、身体、健康に及ぼされる影響については、誠に多様なものが予想される。
健康被害の発生態様が多様なものになることは、本件だけではなく、環境の悪化を通じて発生する公害被害に共通する特質である。
身体に対する直接的、単発的な侵襲(例えば、打撲の如きもの)による影響はごく限定された範囲でしか生じない。これに対して、大気、水、騒音等の環境の悪化を通じて健康被害が発現する場合には、身体に対する侵襲は、間接的、多面的、恒常的なものとなる。このような、侵襲の下での被害を問題とする場合、発生する疾病の種類も数多くなるが、甲にAという疾病が発生し、乙にBという疾病が発生したという事態をみるときにも、甲にBという疾病が、あるいは乙にAという疾病が発生する可能性がなくなった訳ではないことは重要なことである。一つの疾病はそれ自体が身体に対する侵襲を加えることとなって、環境悪化による侵襲と複合して他の疾病が発生しやすくなることを意味する。他方、未だ疾病の発現をみない個人についても、既に、他の個々人に種々の疾病が発生しているという事態は、自分もまた、そのような多様な疾病を発生させる侵襲を等しくその悪化した環境の下で受けていることを意味するものであり、「次は我が身」という状態におかれていることとなる。ここに、環境汚染の中での侵襲による健康被害を問題とするとき、被害が個々の既発生の疾病だけでは十分包摂することができず、健康そのものを単に疾病でない状態というものではなく、前記の如き不安感等を含めた広義の健康概念として捉える必要性が特に強調される根拠が存するのである。
D 飲料水源の重要性とその被害の特質
イ 上水の重要性と湖水汚染による被害
人間にとって水がいかに重要であり、かつ、一つの巨大な飲料水源を一〇〇〇万人を越える人々が利用している場合の重要性は常識的に理解しうるところである。大きな湖水の汚染による健康被害の特徴は、第一に、その汚染により被害が生じた際にその原因物質つきとめることが困難であり、第二は、汚染が進行すると、生物の生態系が変化しそれにより従来存在しなかった新種の微生物(ビールス、バクテリア、プランクトン等)が発生し、それにより被害が発生する可能性がある点である。このような場合の原因解明も単純ではない。また、健康被害のパターンとしては、第一に、汚染から生ずる有毒物質が身体の外部から作用し被害を発生させる場合、第二に、その有毒物質が体内から中毒症状を発生させる場合、第三に、湖水の汚染、自然環境の破壊によりリクリエーション機能が失われ、その結果人間の精神的な面に影響を与える場合である。
そして、現実に右の様な形での被害が発生している。琵琶湖周辺でも、米原町でアンチモンによる発疹の被害が、更に草津市でも井戸水の中のクロームにより皮膚に発疹が出る被害が報告されている。
本件各工事に関しても現実に発生する可能性のある健康被害として、第一は、微量であっても人間の重要な臓器に作用し重大な障害を引き起こす場合、第二は、これも微量ではあっても人間の体内に残留して蓄積し、これが長期の間に高濃度となり中毒症状をひきおこす場合(例えばメチル水銀による大規模中毒である水俣病、カドミウムによるイタイイタイ病)、第三に、微量生物が、人間の遺伝子に作用し、突然変異をおこす、あるいは発ガン性を持つようになる場合である。
また、湖水汚染を考える上で見落としてはならない点は、多種類の原因物質が相互作用により複合汚染が発生する可能性があることである。この問題は、いかなる形で生ずるかの予測は非常に困難であるが、湖水汚染の特徴として、十分考慮に入れなければならない。
ロ 水道水の摂取による被害
a はじめに
原告らは、琵琶湖の水を原水とする水道水を飲用している者であり、有害物質を水道水を通して大量に摂取するならば、健康に重大な被害を受けることになる。ただ、水道水は浄水場の浄水処理により処理された上で各家庭に供給されるので、右の点についての検討が必要である。
b 水道法上の水質基準と原水基準、その問題点
水道法及びこれに基づく省令により水道水の水質基準が定められている。
しかし、右基準のみでは、水道水の安全は確保されない。なぜならば、水道は天然の水を原水として浄水処理をして、これを水道水に変えるものであるが、その浄水処理能力は限界があるから、水道水の安全を確保するには原水も浄水処理能力の範囲内の水質を有していなければならない。この点について丹保憲仁教授は明確に指摘している。すなわち「雑多な汚染成分を含む水を処理したとして、残余の成分のすべてを個々に把握してその影響を評価しきることは不可能である。現行の飲料水の水質基準はたかだか二〇ないし三〇項目の対象をあげてその最大許容値を定めているにすぎない。割合単純な形で存在し、そのわずかな構造の違いが生体影響に大きな差を示すような有機物のすべてを微量まで把握し尽くし、その蓄積の影響を評価し、その安全または制御レベルを厳密に設定し尽くすことは到底できないであろう。
右の問題点を解消するために昭和四五年四月生活環境審議会公害部会水質に係る環境基準専門委員会により水道水源の水質環境基準(別紙一〇のとおり、以下、原水基準という)が定められた。現在の水道水はこの二つの水質基準によりその安全が二重に図られているのである。そして現実に、原水基準を越える水を浄水場で処理をするのは様々な問題が生じ、飲料水としての安全性を維持することは相当な困難が予想されるのである。
c 浄水処理方法
従前、淀川を水源とする浄水場では、緩速ろ過方式を採用していたが、現在は前塩素処理を加えた急速ろ過方式(以下、本件浄水処理方式という)に変更している。
緩速ろ過は自然浄化(微生物による浄化)を利用したもので、原水中の浮遊物質、細菌、色度、鉄、マンガン、アンモニア性窒素等の除去の点で急速ろ過よりもすぐれているが、原水の水質が悪化し微生物の生存が危うくなると浄化できなくなる欠点を有している。
緩速ろ過方式を廃止し、急速ろ過方式に変えたのは、淀川の水質が緩速ろ過方式を廃止に追い込む程に悪化したからである。
本件浄水処理方式の浄水処理過程は次のとおりである。
第一段階で、原水の取水、第二段階で、スクリーン、第三段階で沈砂池、第四段階で前塩素処理、第五段階で(凝集)混和池、第六段階でフロック形成池、第七段階で(薬品)沈澱池、第八段階で(急速)ろ過池、第九段階で後塩素処理、第一〇段階でペーハー調整、最後に処理水(上水道水)となる。
この処理過程は、急速ろ過池では、溶解性の有機物、重金属の除去が確実でないので、前塩素処理の過程で塩素を注入し、溶解性物質を酸化し次いで凝集混和池において凝集剤を注入し、酸化された物を凝集させて、薬品沈澱池で沈澱させ除去するというものである。
d 本件浄水処理方式の限界
この方式の問題点は、第一に、前塩素処理の段階である種の有機物と塩素が反応し、有機塩素化合物であるところの発ガン性をもつトリハロメタンが発生すること、第二に、処理過程が複雑であり、浄水処理の工程が多く、浄水処理の事故率が高くなること、第三に処理過程が複雑であることから、本来人間の体にとって機能上必要とされる水中の必須微量元素が失われ、その欠乏の結果疾病の発生の可能性が高くなるということである。
これらのうちで特に問題なのは、トリハロメタンであり、これを除去するには、その発生前の有機物たる前駆物質を取り除く必要があるが、そのためには恒常的にオゾン処理及び粒状活性炭処理等が必要であるが、これを実施している浄水場はない。また実施したとしても完全には除去できない。したがってトリハロメタン等の発生を防ぐには、水道原水の清浄さを保つしか方法がない。
e トリハロメタンの有害性
トリハロメタンが水道原水中の有機物と浄水処理における塩素が反応して発生する物質であること、そして、これが発ガン物質であることは、証明されている。この物質の発ガン性については、川合証人もその具体的根拠をあげて指摘している。現実に疫学的調査がなされその毒性が確認されている。また、これに止まらず、このトリハロメタンの催奇形性も動物実験により証明されている。即ち、胎児に奇形が発生する危険があるのである。
被告らはこのトリハロメタンについては、定められた基準を下回っているから問題はないかの如く主張する。しかし、WHOの基準自体は、発展途上国等をも対象にせざるをえないものであり、比較的穏やかな基準とならざるをえなくなっている。従ってこれを基準にして判断することは必ずしも適当でない。また、発ガン性物質の安全性を基準のみによって判断することは基本的に誤っている。現に、この基準自体一定の発ガンの危険性を前提に設定されている。即ちWHOは、トリハロメタンの基準設定においては、一〇万分の一の発ガン危険率を前提にしているのである。川合証人においても、アメリカにおけるクライテリアを考えるに当たっての原則が指摘されている。即ち、第一に動物実験で出たデータは人間にも適用できること、第二に、発ガン性という慢性毒性に関する部分については、許容値は本来設定できないものであること、第三に、発ガン性の認識は、濃縮して動物実験を行って確認する以外にないこと、第四に、物質そのものの安全性を云々するのではなく、その物質の人間にとっての危険性という側面から評価しなければならないこと、である。これらの指摘からすれば、このトリハロメタンの毒性を検査する上で、ただ定められた基準のみを判断基準として結論を下すことは基本的に誤っている。被告の主張は失当である。
ハ 臭い水の有毒性
a 琵琶湖における臭い水の発生経過
水道法四条一項五号においては、水道水に異常な臭味がないことが基準とされている。この規定を待つまでもなく、水道水が広範囲にカビ臭を帯びる、しかも度々発生するという事態は、他に例のないことであり、極めて異常な出来事である。
琵琶湖、淀川水系において臭い水(カビ臭)問題が初めて発生したのは、昭和四四年である。このときは、主に京都市のみで被害が発生している。これが昭和四五年は、琵琶湖南湖でカビ臭が発生し、このときは、京都市だけでなく、大津市、草津市の一部、更に、淀川下流においても被害が発生している。その後、昭和五一年まで毎年被害が継続している。昭和五二年、五三年は、カビ臭は発生していないが、この二年は、琵琶湖で大規模に赤潮が発生し、黄藻類のウログレナによる生臭いにおいが発生している。
そしてその後、昭和五四年以降は、毎年赤潮も発生し、カビ臭も発生するという複雑な状況となっている。また昭和五六年頃からは、淀川下流まで広範囲にわたり被害が拡大し、更に、昭和六〇年には、一年に三回にわたりカビ臭の被害が発生し、しかも、その原因となった臭気物質が、三回共異なるとの報告がなされている。
この被害の経過だけ見ても、カビ臭問題の被害は、年を追って広範囲になり、複雑になってきている。琵琶湖におけるカビ臭の発生場所についても、昭和四〇年代は、琵琶湖の南湖の南西部に限られていたものが、その後、南湖の北東部即ち赤野井湾や、矢橋の人工島の水路あたりに発生源が拡がり、それが更に南湖全体に拡がっていくという状況である。
b 臭い水発生の原因
臭い水発生の原因は琵琶湖の富栄養化にあるとされているが、具体的には、富栄養化により発生する藍藻プランクトン(ウログレナ、アナベナ、フォルミディウム、オシラトリア等)、放線菌等の細菌等がカビ臭の原因物質(ジオスミン、ベニシリウム等)を生産するといわれている。
c 臭い水の有害性等
京都市衛生研究所のカビ臭に関する「琵琶湖疏水から回収した有機汚染物質のマウスに与える影響」についての研究によれば、短期毒性試験や慢性毒性試験において、肝薬物代謝系の有意の異常及びマウスの体重増加の抑制があることが報告されている。
このように、カビ臭による健康被害の可能性は杞憂でなく、現実に発生する可能性は充分存する。また、臭い水を常時飲用する状態となれば、有害物質をそれと知りつつ飲まねばならない状況に人は置かれ、この不安から人によっては精神面に影響が出てノイローゼ状態になることも考えられる。
d 臭い水に対する対策
臭い水対策として、琵琶湖、淀川水系の浄水場では、粉末活性炭による臭いの除去を試みているが、これも実際には、それ程の効果を上げていない。これはもともと、活性炭により一〇〇パーセントの臭気の除去はなされないというのであるが、たとえ少しでも除去の効果を上げようと活性炭を大量に投与しようとしても、一つには、活性炭の供給が追いつかないこと、また極めて多額の経費がかかること、二つには、活性炭の大量投与により浄水場から活性炭が漏れ出し、有機物を吸着した活性炭の粉末が、上水道に混入しそれによる被害が発生してしまうこと等の理由により、大量の活性炭の投入による対処もなしえないというのである。
したがって、臭い水による健康被害を防ぐには浄水処理でなく、琵琶湖の富栄養化を阻止するしかないのである。
ニ 汚染物質を摂取することによる健康被害
a 汚染物質の摂取経路
汚染物質を人間が体内に摂取する経路については、三つの場合が考えられる。一つは、既述した汚染された琵琶湖の水を水源としている上水を飲料すること、第二は、琵琶湖あるいはその下流域の水産物を食べること、第三に、琵琶湖あるいはその流域の水を利用して作った農産物を食べることである。原告らはいずれの経路による摂取も回避することはできない。のみならず、この深刻な被害の影響を受ける範囲は飲料水源として琵琶湖を利用している約一三〇〇万人の人々に止まらない。琵琶湖の水を利用して作られている農産物を食している人の数は更に多いであろうし、更に琵琶湖の水産物は全国に出荷されているから、この影響を受ける人の範囲は実に広範囲に及ぶ。
右の経路の中で最も深刻なのが、飲料水として摂取することによる影響であろう。農産物、水産物の摂取はなんとか逃れることができても、飲料水の摂取を避ることはできない。
臭い水及びトリハロメタンについては既述したので、これ以外のものについて述べる。
b トリハロメタン以外の有毒有機物
現在、琵琶湖の水を原水とする水道水中にはトリハロメタン以外に七〇〇種以上の有機物が存在すると言われ、最近それらの突然変異原性の問題が指摘されている。甲に第三九号証及び同第四〇号証においては、琵琶湖の下流域と浄水段階での水の突然変異原性の調査の結果が報告されているが、その中で源水に塩素を加えると急激に突然変異原性が高まるという点が指摘されている。この突然変異原性については、単に遺伝子に異常が発生するというだけでなく、この異常が体細胞に発生すると、発ガンにつながる危険性があるということが指摘されている。即ち、我々の子孫に遺伝していくような障害に止まらず、現に飲料水として利用している私達に対しても発ガンの危険性を与えるのである。
c 有害化学物質
現在、琵琶湖においては貝類や水草、魚類のPCBによる汚染が明確にされている。本件各工事、とりわけ、南湖、瀬田川の浚渫、また、琵琶湖の水位低下により、これらの有害物質が、水道原水を汚染する可能性のあることは、既に述べたところである。これらの中で発ガン性が確認されているのは、PCB、BHC、DDT等である。これらによる水道水の汚染が考えられることは当然である。しかも、量的に微々たるものであっても、発ガン性物質による場合は、微量であるから危険がない等と評価すべきではなく、発ガン物質がそれぞれ単独では少量で発ガンしえなくとも、かかる物質がいくつか重なるとその効果が加算されて発ガン性を示すようになるという発ガン加算説も考慮しなければならない。
d 重金属
琵琶湖においては、重金属の汚染の状況が明確にされている。したがって、これらの有害な重金属が水道原水を汚染し、水道水を通して、人間に入り、健康被害をもたらす可能性がある。
e 有害プランクトン
昭和六二年九月に琵琶湖の御殿ヶ浜で発生したアオコの大量発生においては、ミクロキスティス・エルギノーザが発生していることが確認されている。このプランクトンは、肝臓に対する毒性が指摘され、現実にウマ、ニワトリ等の動物が死亡した例が報告されている。また、アナベナ・フロスアクアエについては、神経毒性、即ち神経に対する麻痺作用があるとされ、特にカナダにおいては、水の華状態となったこの藻を摂取した為、牛馬、豚、犬、水鳥、野鳥等が死亡することが一九四〇年代からしばしば報告されている。
こうした有毒プランクトンは、飲料水としてまた、琵琶湖の魚貝類を通して人間に摂取され、健康被害が発生することも考えられる。近年のアオコの大量発生を見れば、こうした健康被害の発生は、決して杞憂ではなく、深刻な現実の問題なのである。
f 細菌、ビールス
浄化センターから大量の細菌、ビールスが放流され、それが浄水場でも殺菌され尽くさず、水道水の飲料により伝染病が発生する可能性がある。
ホ 有害物質による直接の被害
琵琶湖の富栄養化の進行により、有毒プランクトンが発生し、これによる直接の健康被害の発生の可能性がある。ハワイ・オアフ島と沖縄・具志川では藍藻類による皮膚炎の実例が報告されている。これらの実例はいずれも海岸において発生した例であるが、これらが、海に特有なプランクトンが原因したということでもなく、湖沼において同様の被害が発生する可能性は十分あると言わねばならない。とりわけ近年の琵琶湖における大規模なアオコの発生を見ると、同様の被害が琵琶湖で発生する恐れは十分あるといわざるをえない。
へ 水道原水の汚染による広義の健康被害
これまで述べてきたところから琵琶湖の水には発ガン性物質、変異原性物質が含まれ、水道水を通じて原告らは、これらの物質を摂取しているのであり、原告らは耐え難い不安を感じつつ飲用しているのであり、その結果、原告らは広義の健康を侵害されている。
ト 結論
これまでに考察してきたところから明らかなように、原告らは、直接間接に湖水中の有害物質及び浄水処理から発生する発ガン性物質たるトリハロメタン等を、摂取しているのであり、これにより何らかの健康被害の発生の危険にさらされているのである。
E 本件各工事による生活、文化被害
イ はじめに
琵琶湖が歴史的、社会的、文化的に極めて重要な価値を有し、また、その自然景観も重要な価値を有する。原告らはかかる価値の恩恵を受けてきたものである。本件各工事は琵琶湖を破壊し右価値を破壊し、原告らの受けてきた恩恵を奪い侵害するものである。
以下においては、具体的被害を挙げ、その根拠を述べる。
ロ 景観、自然教育の場、レクリエーションの場、憩いの場、湖底遺跡の破壊
本件各工事及びこれによる水位低下は、矢橋のみならず、琵琶湖の湖辺一帯の自然を破壊し、その価値(景観、自然教育の場、レクリエーションの場、憩の場)を破壊し、また、湖底遺跡を空気中にさらしこれを破壊する。その結果、原告らは琵琶湖の右価値による恩恵を受けられないという生活、文化上の被害を受ける。
ハ 漁業の衰退
琵琶湖にはアユ、フナ、モロコ、イサザ、エビ、シジミ等の魚貝類が棲息し、これらをとる漁獲漁業、イケチョウ貝による淡水真珠等の養殖業が栄ており、昭和四八年一一月一日現在で漁業従事者は計二八七四人に上り、生産額も昭和四九年度で約六八億四〇〇〇万円に上っており、漁獲物は京阪神の食膳を賑わしており、琵琶湖の漁業は原告らを含む京阪神の人々にとって生活する上でかけがえのない産業である。
本件各工事及び水位低下による魚介類の産卵、生育の場である水草地帯の破壊、その再生の不能、生態系の破壊、富栄養化の進行等により魚介類が減少し、琵琶湖の漁業が衰退することは明らかであり、これにより原告らの生活上の被害が発生することも明らかである。
ニ ユスリカの発生
本件各工事(浄化センター及びその工事を除く。)による琵琶湖の富栄養化により湖底に有機物が蓄積し、ユスリカ等の生息場所等が拡大し、ユスリカ等の昆虫が、大発生し、これが湖辺付近を群がって飛ぶようになるので、原告らを含むその地域の住民及び琵琶湖を訪れる人々は湖辺付近での戸外活動に支障をきたし、生活上の被害を受けるであろうことは明白である。
ホ 大気汚染、悪臭による不快感
a 本件管理用道路は、形式上はその名称からもうかがえるように本件湖岸堤の管理のための道路とされているが、実質的には観光をも目的とした湖周道路であり現在二車線が計画されている。従ってこれが完成すれば、当然ここを走行する自動車の交通量は大量となり、その排出する排気ガスも多量のものとなり、排気ガス中の窒素酸化物、イオウ酸化物による大気汚染が発生する。
b 浄化センターでは、下水処理により発生した脱水汚泥を焼却炉による焼却処分にする計画であり、また現に完成部分において焼却処分している。また、焼却処理において助燃剤及び脱臭の為のアフターバーナー用として、日量最大六一二三キロリットルの重油を使用することとされていることから、汚泥及び重油から発生する窒素酸化物、イオウ酸化物が大気に飛散する。この結果大気汚染が発生する。
c 浄化センターの焼却炉で脱水汚泥を重油を使用し焼却することにより、脱水汚泥及び重油中の悪臭原因物質が燃焼し、悪臭となって焼却炉から大気中に飛散する。
d 以上の大気汚染、悪臭の発生により、本件管理用道路、浄化センター付近に居住する住民及び付近でレクリエーションを楽しむ人々(原告らを含む)は、不快感をいだくという生活上の被害を受ける。
13 本件各工事の違法性および必要性
A はじめに
前述したように、本件各工事により原告らの生命、身体、健康等に対し被害を及ぼす可能性があることは明らかであることから、更に本件各工事の違法性について述べる必要はないが、受忍限度の問題が生じる可能性があり、念のため以下本件各工事の違法性および必要性について述べることとする。
B 本件各工事の違法性
イ 本件各工事の基本となる特別措置法ならびに琵琶湖総合開発計画の違法性
琵琶湖総合開発計画は、その事業の施工に伴い前述したように近畿の住民に対し重大かつ広範囲な権利侵害を惹起する危険を有し、住民の権利義務に対し直接間接に規制を加えるものであるところ、特別措置法は具体的な計画内容について何ら規定することなく、同法第三条により滋賀県知事に対し、その具体的計画案の作成を委ね、内閣総理大臣が決定することとなっており、計画の変更についても同様の手続きとしている。
このように国民の権利義務を拘束する実質的意味の立法を全く行政手続きのみにより決しうるとするのは、その影響の重大性、広域性を考えると委任の限界を越え、立法権が国会に属するという憲法の原則に違反するものである。
したがって、右のような規定をもつ特別措置法並びに同法に基づく開発計画は違憲、違法であり、これらを基本とする本件各工事は違法である。
ロ 行政裁量権の濫用
a 琵琶湖総合開発計画およびこれに伴い水位をマイナス1.5メートル低下するための諸工事を定めた「琵琶湖総合開発事業に関する事業実施方針」、あるいは湖南中部流域下水道浄化センター概要を定めた「大津湖南都市計画および甲賀広域都市計画下水道の変更並びに近江八幡、八日市都市計画下水道の決定」は国ないし滋賀県による開発行政作用であると考えられるが、以下述べる事由により右行政作用は行政裁量権の限度を踰越したもので違法である。
したがって、このような違法な行政権による本件各工事は違法である。
b 琵琶湖総合開発計画は昭和四七年一二月閣議決定されたものである。
ところで右計画は昭和四四年五月閣議決定された新全国総合開発計画(以下新全総という)を上位計画として策定されたものであるが、昭和四五年前後から全国的に公害問題が噴出し、同年一二月の公害対策基本法の改正、公害関連立法の成立、昭和四六年七月の環境庁の措置などを背景として、開発優先主義の新全総が反省され、昭和四六年末から環境保全に重点をおいた新全総の見直し作業が開始されていた。また、昭和四七年六月「各種公共事業に係る環境保全対策について」と称する閣議了解が発表され、これらが都道府県知事に通達されていた。
このような状況の下で、特別措置法自体はその審議の過程において保全を第一とし、汚濁した水質の回復を図るべきとする修正を受け、水質保全の優先、琵琶湖の水質回復を唱えた付帯決議が付せられた。にもかかわらず、右特別措置法に基づき作成された琵琶湖総合開発計画は、特別措置法成立以前に提案されていたものとほとんど変わらず、新全総の見直し作業、閣議了解、法案の修正、付帯決議を全く無視して作成された。
更に、住民・学者等広範囲の反対運動が起こっていたのにもかかわらず、これらの声になんら耳を傾けることなく強引に計画の策定が進められた。この計画のプロセスには近畿の工業用水の確保を望む下流府県の思惑、総工費四〇〇〇億円の大プロジェクトにむらがる土木資本の思惑がからみ、住民の権利利益が無視された政治的駆け引きの中で決まっていったものである。
また、昭和五七年特別措置法の延長に伴い、計画の内容も多少変更されたが、その内容は当初の計画とほとんど変わっていない。
c 後述するように、琵琶湖総合開発において最大の目的とされる新規開発水量を毎秒四〇トンとする根拠はなく、琵琶湖総合開発はその必要性を欠く計画であり、また、その計画策定過程および本件工事の実施計画の決定にあたっては、いわゆる環境アセスメントがほとんど行われていない。
これら必要性の欠如および環境アセスメントの欠如は行政裁量権の濫用の重大な一要因であるが、後述するように環境アセスメントの欠如はそれ自体で既に違法性を充たすと考えられる。
C 環境アセスメントの欠如の違法性
イ はじめに
本件各工事は、琵琶湖の生態系、自然環境、水質に悪影響を及ぼす可能性が十分あるにもかかわらず、琵琶湖総合開発計画の策定段階および事業の実施段階においていわゆる環境アセスメントの手続きが履践されていない違法な工事である。
ロ 環境アセスメントとは
環境アセスメントとは、環境の保護のため、開発行為が自然環境、生態系、社会的、経済的、文化的環境等に対してもたらす影響の程度、範囲、その防止策等について、代替案の比較検討を含め事前に調査と評価(再評価を含む)を行うとともに、その結果を住民に公開、説明し、その同意を求め、あるいは意見陳述の機会を与える手続きをいう。
ハ 我国における環境アセスメント
我国においても、高度経済成長政策に基づく国土開発等の結果、各地に深刻な公害・環境破壊が発生したため、各種の開発行為を行うに際してはそれが環境に悪影響を及ぼさないように事前に充分な調査を行うべきであるとの認識が高まり、昭和四七年六月「各種公共事業に係る環境保全対策について」という閣議了解が発表された。これによれば、「1、国または政府関係機関等は、道路、港湾、公有水面埋め立て等の各種公共事業の実施にあたっては、計画の立案、工事の実施に際し、当該公共事業の実施により公害の発生、自然環境の破壊等環境保全上重大な支障をもたらすことのないよう今後一層留意する。2、右趣旨にかんがみ、国、行政機関は、その所轄する公共事業の実施主体に対し、あらかじめ、必要に応じ、その環境に及ぼす影響の内容および程度、環境破壊の防止策、代替案の比較検討等を含む調査研究を行わしめ、その結果を徴し、所要の措置を取らしめる等の指導を行う。3、地方公共団体においても、右に準じて所要の措置が講ぜられるよう要請する。」とされており、農林、運輸、建設三事務次官連名の都道府県知事あての通達が発せられた。
更に、昭和四七年一二月、環境庁長官の諮問を受けた中央公害対策審議会(以下中公審という)は「特定地域における公害の未然防止方策についての中間報告」を行い、昭和四九年六月中公審防止計画部会環境影響小委員会は「環境影響評価の運用上の指針」をまとめ、昭和五〇年一二月環境庁の諮問を受けて中公審環境影響評価制度専門委員会が「環境影響評価制度の在り方について」をまとめ、中公審の環境影響評価部会に提出した。
これを受けて環境庁は、昭和五一年以降数回にわたり、いわゆる環境アセスメント法案の国会への提案を図ったが、いずれも財界、通産省等他省の反対で見送りとなった。
一方自治体では、川崎市が昭和五一年に、北海道が昭和五三年に環境影響評価条例を制定し、滋賀県においても不十分ながらアセスメント要綱が作成され、昭和五六年三月から施行されるにいたっている。
今日一般的に環境アセスメントを義務づけた法令はないが、個々の法令で具体化されつつある。昭和四七年制定された瀬戸内海環境保全臨時措置法は、特定施設の許可申請に事前評価に関する事項を記載した書面を添付することを義務づけ、工場立地法、公有水面埋立法の一部改正でも環境アセスメントの考え方が導入されている。また、自然環境保全法にもとずく「自然環境保全基本方針」の中で環境アセスメントが採用されている。さらに、昭和五七年特別措置法が一部改正されるに際し、衆、参両院では「琵琶湖総合開発計画の改定に当たっては、事前に環境に与える影響等を十分に調査し、関係住民の意向が反映されるよう努めること」として、環境アセスメントが実施されるべきである旨の付帯決議がなされた。
このようにわが国においては未だ環境アセスメント法は制定されていないものの、各個別立法で具体化されつつあるのであり、公共事業体、行政庁等が環境への影響が予想される事業を計画実施するときには、当該事業体、行政庁等に環境アセスメントを行う法的義務がある。
ニ 環境アセスメントの要件
a 調査および評価の内容
人間の健康、生活環境はもとより、自然、文化財、景観も含め、また社会的経済的観点をいれた総合的な項目でなければならず、必ず代替案の検討がなされなければならない。
b 調査および評価の時期
地域環境の汚染を防止するためには、開発計画の構想段階ならびに一定の開発進行過程ごとの段階において、調査および評価(再調査および再評価を含む)を行う必要がある。
仮に工事の着手後において始めて調査および評価を行う場合においても、工事とは無関係に白紙の状態で望まなければならない。
c 調査および評価の期間
充分な調査および評価を可能とするために、時間的制約を課してはならない。
d 調査および評価
評価は充分な調査に基づき、且つ、客観的なものでなければならず、専門家に委託する場合にも、各専門分野に複数の学者を配分し、充分な調査および討論が保障されなければならない。
e 調査および評価の基準
人間の健康・生活環境、自然、歴史的文化財などの保全に関する具体的な住民の権利を侵害することのないように、定めなければならない。
f 評価委員
開発の受益者たる事業者ならびにその関係者を加えないこと。
g 住民参加
アセスメントの全過程において住民の参加が認められなければならない。事前に資料等を配布する等して、住民の意思形成の機会が実質的に保障されるとともに、専門的知識を要する事項については、住民が専門家を委嘱する機会が与えられるべきである。
h 公開と傍聴の機会
アセスメントの全過程が公開され、傍聴の機会が与えられるべきである。
i 関係住民の同意
調査および評価の結果、安全であることが立証されても、開発についての関係住民の同意を得ること。少なくとも関係住民に意見を述べる機会を与えなければならない。
j 経過観察
開発を行う場合にも、大規模工事を短期間に一度に行うことを避け、小規模な施設の設置から始めて経過観察を行うべきこと。
ホ 本件各工事についてのアセスメント
a 以上のような要件を満たしたアセスメントが行われるべきであるにもかかわらず、本件各工事については、その基本となる特別措置法においても、琵琶湖総合開発計画においても、また本件工事の実施計画および実施後の段階においても、なんら右要件を満たすアセスメントはなされていない。
浄化センターにおいては、環境影響調査委員会(通称アセスメント委員会、以下調査委員会という)が設置されて調査が行われ、湖岸堤の建設についても被告公団が環境調査を実施しているため、一部の工事についてはアセスメントが実施されたかの感を与えるかも知れないが、以下述べるようにこれらは到底環境アセスメントと呼びうる内容のものとはなっていない。
b 浄化センターの場合
湖南中部流域下水道事業は、昭和四七年都市計画決定されてその内容が明らかにされ、昭和四八年四月工事に着手し、以後人工島の矢板打ち(護岸工事)は昭和五〇年四月に完了し、下水道管渠の一部が発注、着工されている状態で住民の反対等から人工島工事は一時中断された。この段階に至り昭和五一年一月に調査委員会が設置されたもので、その調査は、白紙状態ではなかったが、時間的制約が課せられた点、実質的な住民参加が認められなかった点等の要件が欠けおよそ環境アセスメントとは程遠い内容のものであった。結局、調査委員会は、既定の方針を貫くための委員会にしかすぎず、住民の反対を封じるための免罪符となったにすぎない。
したがって、調査委員会の報告書が出されたことをもって、環境アセスメントがなされたものとし、工事を続行しているのは違法である。
c 湖岸堤、管理用道路および南湖、瀬田川浚渫の場合
湖岸堤、管理用道路および南湖、瀬田川浚渫については被告公団が環境調査書を提出している。
しかし、公団の環境調査は極めて不十分であり、結論にいたる過程が明らかにされておらず、その評価も事業主体が実施していて客観性がないばかりか、手続的にも住民参加、公開、住民の同意あるいは公聴会等の手続きを何ら履践しておらず、右調査をもってアセスメントがあったとはいえない。したがって右工事も違法である。
D 必要性の欠如
イ 琵琶湖総合開発の主たる目的とその必要性
a 琵琶湖総合開発は、既述したように、大阪、兵庫などの下流域の水需要に応じて新規に最大毎秒四〇トンの供給を可能にすること、そのために利用低水位をマイナス1.5メートルとし補償対策水位をマイナス二メートルとすることを主たる目的とする事業である。
右四〇トンの都市用水の新規供給は、昭和六五年度を目標としており、その配分は水道用水が毎秒27.2トン、工業用水が12.8トンとなっており、府県別に見ると水道用水は大阪が毎秒22.5トン、兵庫が毎秒3.8トンとなっている。
このように、琵琶湖総合開発は工業用水と水道用水の急激な増加を想定し、昭和六五年度までに淀川流域で四〇トンの水需要があるとの前提にたった計画であるが、現実の水需要の動向から大きく乖離した計画となっており、実際の必要を欠くデスク・プランである。
以下その理由を詳述する。
b 水需要の動向
まず、工業用水の動向についてみると、工業用水道の水需要が増えつづけたのは、高度成長時代の昭和四七年までで、昭和四七年以降は減少の一途を辿り、大阪府と兵庫県阪神地方をあわせた一日平均配水量は、昭和四七年の一六四万トンをピークにその後減少を続け、昭和六〇年には一〇〇万トンを割る事態となっている。
琵琶湖総合開発計画では昭和五六年から同六五年の間に工業用水が毎秒12.8トン、一日最大で一一一万トンも増加することとなっているが、現実の工業用水は増加するどころか、減り続けているのである。
水道用水についても、昭和四七年を境に動向が変わり、昭和四七年以降は横這いに近い状態となっている。昭和四七年から同五九年までの一日平均配水量の増加は大阪府と兵庫県阪神地方を合わせて一二万トンにすぎない。
琵琶湖総合開発計画では昭和五六年から昭和六五年の間に水道用水が毎秒27.2トン一日最大で二三五万トンも増えることとなっているが、実際の水道用水の増加はわずかなものである。
このような水道用水の動向に応じ、兵庫県では、用地買収等によりすでに四〇億円の投資をしていたのにもかかわらず、水需要の予測と実績との乖離が著しいとして、水資源開発で計画していた神谷ダムの建設を中止した。
c 国の水需要計画
国土庁が昭和五三年発表した「長期水需給計画」は、工業用水の動向につき、高度成長時代の急速な増加傾向がそのまま将来も続くものとして実績と乖離した予測を行っている。また水道用水についても同様で、実績をみると低成長時代の急速な増加傾向をそのまま将来に延長している。このように国土庁の長期水需給計画は、低成長時代に入ってからの水需要の動向の基本的変化を、なんら考慮していないといわなければならない。
長期水需給計画は、これ以前に建設省が出した「広域利水調査第一次報告書」(昭和四六年)および「広域利水調査第二次報告書(同四八年)と比較すると、工業用水は水道用水の予測が控え目とはなっているものの、目標年次までの水資源開発必要量はこれら第一次、二次のものとほぼ同じ値となっている。長期水需給計画は、河川不安定取水の解消などさほど必要と思われない項目を入れて水資源開発水量を増やし、全水源開発必要量を前の計画とほぼ同じ値にしている。このことは、水資源開発必要量が先に決められていて水需要予測の数字が決められていることを示唆していると思われる。
このことからすれば、国の水需要予測の目的は、ダム建設や湖沼の開発などの水資源開発計画に大義名分を与えることにあるといわなければならない。
d 今後の水需要の予測
このように、昭和四七年以降、工業用水、水道用水の動向が大きく変わったのは以下の理由による。
まず、工業用水について言えば、イ、大阪、兵庫において全体の約三分の二を占めている鉄鋼業や化学工業といった用水型工業の生産が頭打ちとなって(鉄鋼や石油製品の生産の推移をみると、昭和五〇年以降は伸びがほとんどとまっている。)水需要を増加させる要因がなくなり、かえって減産の方向にあること。ロ、工業用水道料金の値上げや排水規制の強化等を契機として工場内の水使用合理化が進行してきたことが原因となっている。昭和四七年から同六〇年にかけての工業用水道の配水量が約一〇パーセント減少しているが、その減少のうち、一部は生産量の低減、残りは水使用合理化によるものなのである。
このような用水型工業の生産の頭打ちと工場内での水使用合理化により、ここ十数年来工業用水の使用量は減少してきたのであるが、今後もこの傾向は続くと考えられる。
すなわち鉄鋼業は鉄鋼需要の低迷と輸出の不振で極めて厳しい状況にある。鉄鋼業のシンボルである高炉の休止が相次ぎ、生産を縮小せざるをえない状態になっている。また石油化学工業ではエチレン生産設備の一部廃棄が行われたほどで、石油化学製品の需要は飽和状態となっている。したがって、今後用水型工業が再び生産量を増加しつづけることはない。今後先端技術産業が伸びていくといわれているが、その中で一番よく水を使用するIC工場でも、その水使用量は用水型工場に比べ一桁か二桁小さく、将来先端技術産業が伸びても工業用水全体の水需要を増加させる要因とはならない。
さらに、工場内の水使用合理化についてもまだまだ合理化の余地は残っており、今後更に大幅に使用水量を減らすことが可能である。今から一五年位前に実施された千葉県の石油コンビナートや関東の鉄鋼工場の調査によると、当時は必要水量の三から八倍の水が使用されていた。その後排水規制の強化等を契機として水使用合理化は進んだが、この合理化で是正された水浪費は工場全体の水浪費の一部にしかすぎず、水使用合理化を進める余地はまだ十分ある。今後工業用水道料金の値上げなどの水使用合理化促進要因が働くか、あるいは行政が水使用合理化の推進に積極的に取り組めば、工業用水道の需要はさらに減少していくと考えられる。現に、東京都では地盤沈下対策として地下水を大量にくみ上げる工場やその他の事業所に対して、水使用合理化の徹底指導をした結果、工場の使用水量は改善前の五分の一から三分の一まで減少したことがあり、行政が水使用合理化の推進に積極的に取り組めば、工場の使用水量を大幅に減らすことができる。
水道用水が低成長時代に入ってから横這いに近い状態となってきたのは、その増加要因の働きが小さくなってきたことによる。水道用水のうち、大半を占める家庭用水の増加要因としては、人口の増加、世帯の細分化、水洗便所の普及、自家用風呂の普及があげられる。大阪府の人口は昭和四〇年代前半には年間二〇万人近く増えていたにもかかわらず、最近五年間には年間四万人の増加にすぎない。家庭用水は世帯人員に比例しない固定的な部分があるので、世帯が細分化すると一人あたりの家庭用水が増えていく面がある。大阪府の一世帯当たりの世帯人員の動向をみると、昭和四〇年から同五〇年の一〇年間には0.5人近く減少したのに対し、昭和五〇年から同六〇年の一〇年間には0.2人しか減っていない。水洗便所や自家風呂は、過去二〇年間かなり普及してきたが、普及率の上昇は少しづつ小さくなってきている。
最近あちこちでビルが建設されているが、ビル、商店、学校、病院などで使用される都市活動用水は便所用水とと手洗い用水、飲料用水、飲食店の厨房用水が大半を占めているが飲食店の厨房は家庭での炊事を集中して行っているものと考えれば、都市活動用水の大半は家庭の外での生活用水というべきもので、人の使うものである。したがって、ビルが林立して延建設面積が増えても、勤務人口が増えない限り、都市活動用水は増加しない。都市活動用水は勤務人口以外の増加要因があまり見当たらない。この勤務人口を第三次産業従事者数で大阪市を例にとって表すと、昭和四七年から同五六年の九年間で一割弱の増加であるから、そもそも都市活動用水を増加させる要因そのものがない。都市活動用水がやや減りぎみなのは、この勤務人口の増加率を上回る節水が進行したことを意味する。
また、漏水を中心とする無収水量が減少し、節水が進行してきたことが、水道用水の減少要因となっている。大阪府全体の無収水量は昭和五〇年から同五九年の間に日量二六万トンも減少しているが、節水の方は水道料金や下水道料金の値上げで多少進んだ。水道料金や下水道料金は、大口使用者が高くなる逓増性の料金体系になっているので、今までの節水は都市活動用水を中心に進み、大阪市では都市活動用水で二〇から三〇パーセント、家庭用水は少しだけ節水が進行したのだと思われる。
以上のように、水道用水の横這い傾向が続いているのは、その増加要因の動きが小さくなるとともに、減少要因が働いてきたためである。
前述した水道用水の増加要因は現在徐々に限界に達している。昭和六一年一二月の厚生省人口問題研究所の推計によれば、西暦二〇一三年頃には日本全体の人口がピークに達し、その後は減少していくとされている事実および関西地方への人口集中が今後あまりないと予想されることを考えあわせると、大阪府や兵庫県の人口は近い将来頭打ちになることが確実である。また、水洗便所や自家用風呂についても普及率が一〇〇パーセントに近づけば、増加要因としては寄与しなくなる。これらの普及率はすでに七〇から八〇パーセント以上になっているのであるから、それは近い将来のことである。したがって、淀川下流域の水道用水を大幅に増加させる要因そのものがなくなってしまっているのである。
大阪府全体の有収率(有収水量を給水量で割った値)は、昭和五九年時点で88.8である。有収率の限界値がどれくらいか分からないものの、福岡市のように九〇パーセント強までいっている例があることからすれば、大阪府の無収水量はこれからも少しは減るということができる。
一方節水の方は所沢市での家庭用水の調査結果や東京都での水使用合理化の指導実績から判断して、もともと節水可能率が四〇から五〇パーセントあったと推定されるから、これからも節水を進める余地は十分あり、上下水道料金の値上げで更に節水が進行すると思われる。
以上のとおり、水道用水は今後とも大幅に増加することはなく、また工業用水も増えることはないから、琵琶湖総合開発が前提としている四〇トンの都市用水の増加は今後もありえないと思われ、低成長時代に入ってから琵琶湖総合開発の目的そのものが失われたということができる。
大阪市は、以上の動向を的確に把握し、今後工業用水の伸びは見込まれないとして琵琶湖総合開発による水利権毎秒1.84トンを返上するにいたったのである。
このような大阪市の水利権返上は、琵琶湖総合開発における水資源開発の不必要性を如実に物語っているということができる。
e 水需要が増加した場合の対応
ところで、このように水需要が少なくなっても将来の水需要の増加等を考え、水需要の安定のために多めの需要を見込んでおくべきであるとの見解があるかもしれないが、万一の場合の安全率は節水の徹底で高めるべきである。現に福岡市では、昭和五三年の渇水を契機として、節水推進の要綱を作り、節水のPR、節水コマの全戸取りつけ、節水型便器設置の助成、雑用水道導入指導を進めてきた結果、一戸あたり一〇数パーセントの家庭用水の節減を体験しており、水道用水および工業用水いずれについても節水を本格化すれば、水需要は現状よりももっと小さな水量となり、仮に将来なんらかの増加要因が働いても現在の保有水量で不足をきたすことはない。
f 河川維持用水
淀川の流量の基準地点は大阪の枚方である。この下流で大阪、兵庫の水道用水や工業用水などの取水が行われている。現在の枚方地点の水利権水量は灌漑期が毎秒約一四四トン、非灌漑期が毎秒一二七トンである。その内訳は水道・工業用水の水利権が五七トン、農業用水が一七トン、残りが河川維持用水で七〇トンとなっている。
琵琶湖総合開発が完了すると、新たに四〇トンの水利権が水道や工業用水道に配分され、枚方地点の水利権水量は灌漑期が一八四トン、非灌漑期が一六七トンになる。
平常は枚方地点の流量はこの水利権水量を上回っているが、渇水期になると、この水量が下回ることがある。その場合はこの水利権水量を確保できるよう、琵琶湖や高山ダム、青蓮寺ダムからの放流を多くする。このように枚方地点の水利権水量は、琵琶湖等からの放流量を決める基準流量という意味をもっている。
渇水期にこの水利権水量を確保することが琵琶湖からの放流ルールになっているとはいえ、昭和五九年の渇水期のデータによる、一一月、一二月の枚方地点の流量は落ち込んでいる。このように枚方地点の水利権水量は常に維持されるものではない。
また、昭和五九年には水利権水量が毎秒四七トン下回ったが、下流の利水への影響はなかった。同年の渇水期には、第一次の取水制限が一〇月八日から一一月五日まで、第二次の取水制限が一一月六日から翌年の二月二八日まで行われたが、第二次の取水制限のカット率は過去三ヵ年の一日最大取水量を基準にして、水道が二〇パーセント、工業用水道が二二パーセントであったが、実際のカット率はもっと小さいものであった。第二次の取水制限がおこなわれていた一二月から翌年二月の大阪市の削減率をみると、八から九パーセントにすぎなかったのである。他の市でも同様で、実際各市がとった対応は節水の呼び掛けと給水圧の調整だけで、市民の日常生活に特に影響を与えるものではなかった。
また、工業用水道も同様で、工場の生産に支障をきたすことはなかったという報告が出ている。当時、琵琶湖の水位はかなり下がり、翌年の一月には基準水位からマイナス九五センチメートルというきびしい状況を迎えていたが、淀川下流の方は具体的被害があまりなかった。
このように枚方地点の流量が確保すべき流量の六割少しまで落ち込んでいるのに、下流の水道等の取水量が一〇数パーセントの削減ですんだのは、枚方地点での確保水量に含まれている河川維持用水毎秒七〇トンを大幅に削減することによって、枚方地点の流量の減少に対応したからである。本来の河川維持用水は、旧淀川が毎秒六〇トン、神崎川が毎秒一〇トンとなっているが、昭和五九年の渇水期には旧淀川河川維持用水を毎秒三〇数トンまで減少し、神崎川も同様河川維持用水を半減していて対応したのである。
河川維持用水の目的とその流量の根拠は明確でないが、建設省の「淀川百年史」によれば、旧淀川の河川維持用水は舟運のための水深維持と河川浄化を目的とし、神崎川の河川維持用水は舟運を主たる目的としている。しかし、現在舟運のための必要性はほとんどなくなっており、河川の浄化だけが主目的といってよい。河川にできるだけ多くの水が流れていることは、河川の自然環境を保持する上で必要のことではあるが、何年に一度の渇水のために、毎秒七〇トン、日量六〇〇万トン、大阪市の水道の一日平均配水量一五〇万トンの四倍もの流量を設定する根拠は何もない。
現在この河川維持用水の一部転用が行われ、大阪や兵庫の水道・工業用水道の超過取水が行われている。大阪府営水道や阪神水道企業団などは既得水利権では足りず、水利権水量を上回る超過取水を行っている。その超過取水量の合計は夏場の最大日には毎秒二〇トンにもなっている。この超過取水はヤミ取水という扱いであるので、琵琶湖総合開発で配分される水利権に置き換えられてしまう。例えば、大阪府営水道は現在の既得水利権が毎秒8.5トンであるのに対して一日最大取水量が約二二トンであるから、13.5トンの超過取水を行っている。一方琵琶湖総合開発により、大阪府営水道に配分される水利権は毎秒13.9トンである。したがって大阪府営水道は琵琶湖総合開発完了後も、取水できる水量はほとんど変わらない。開発費用の負担のみを押しつけられることになるのである。このことは阪神水道企業団などでも同様である。
このような河川維持用水の一部転用をつづけることにはなんら問題がない。すなわち、昭和五九年は観測史上第二位の渇水期であったが、河川維持用水の一部転用でさほど支障はなく、同年一一月、一二月段階でも旧淀川には浄化用水として河川維持用水が毎秒三〇数トン、日量で三〇〇万トン、大阪市の水道の平均配水量の二倍に相当する流量が流れていて、河川浄化という点からみても問題はなかった。
もともと河川維持用水の根拠は不明瞭であるから、その一部転用を正式に認め、正式の水利権とすることは何ら問題がない。
にもかかわらず、それがなされないのは、転用を正式に認めてしまうと琵琶湖総合開発を進める必要が失われてしまうからである。
前述したように、琵琶湖総合開発が完了すると、毎秒四〇トンの水利権が上積みされるので、枚方地点の確保水量は灌漑期一八四トン、非灌漑期一六七トンとなる。昭和五九年の渇水期に枚方地点で琵琶湖総合開発完了後の確保水量を維持できるように琵琶湖からの放流を続けた場合、琵琶湖の水位がどの程度低下するかを計算すると、昭和六〇年の一月末には基準水位からマイナス2.5メートル近くまでおちこんでしまう結果となる。琵琶湖総合開発による利用低水位はマイナス1.5メートル、補償対策水位はマイナス二メートルであるから、もし琵琶湖総合開発後の計画確保水量を維持しようとすれば、この補償対策水位をも下回ってしまうことになるのである。したがって、琵琶湖総合開発計画は、河川維持用水の削減を前提としている計画であるということができる。
このように削減が可能ということであれば、開発を行う前にまず一部転用を正式に行い、その後開発の必要性を考えるべきである。
g 結論
以上のとおり、淀川下流域の水需要は今後ほとんど増加することはないと考えられるので、現在の水需要を充足できる水源が確保できれば今後とも水源に不足をきたすことはない。現在淀川下流域では河川維持用水の実質的な転用で、最大毎秒二〇トンの超過取水が行われているが、その転用を正式に認め、正規の水利権とすることもなんら問題はない。
したがって、琵琶湖総合開発により毎秒四〇トンの水利権を配分する必要は全くなく、琵琶湖総合開発を進める必要性がないことは明らかである
ロ 湖岸堤の必要性
湖岸堤は、琵琶湖の水位が一〇〇年に一回の割合で1.4メートルまで上昇するので、これによる侵害を防止すること(治水対策)を目的として建設されているものである。このため、湖岸堤の高さは水位上昇分1.4メートルに更に1.2メートルを加えて合計2.6メートルとなっている。そして、その堤防の上には幅一五メートルの湖周道路と管理用道路が併設されている。
湖辺の洪水被害には、琵琶湖に流入する河川の氾濫、内陸部に降った雨等の流れが遮られて琵琶湖に流入できずに平地に水がたまるいわゆる野洪水、琵琶湖の水位上昇による直接浸水の三つの場合があるが、湖岸堤は最後の水位上昇による直接浸水を防止することを目的としたものである。しかし、この直接浸水による被害は、ごくわずかにしかすぎず、残りの被害は野洪水や河川氾濫によるものなのである。現に昭和四〇年九月の大型台風に見舞われた際も、滋賀県内の約二万七〇〇〇ヘクタールが浸水したにもかかわらず、水位上昇による浸水面積は約一五〇〇ヘクタールとそのほんの一部にしか過ぎなかった。また、淀川改良工事以来、琵琶湖の水位上昇によって直接浸水する面積が三〇〇〇ヘクタールを越えたことは一度もない。
したがって、治水対策として膨大な費用をつかって湖岸堤を建設する必要性はない。
内陸部と湖岸との間を仕切る湖岸堤は、逆に陸地の水はけを悪くし、雨が降るたびに浸水する田畑が増え、かえって水の被害が大きくなることが考えられ、これを排除するための内水排除施設は能力、管理の面で十分かどうか疑問が残る。
むしろ、湖岸堤の建設は、少々水位が上昇してもよいとして琵琶湖を人工ダム化することにつながるおそれがあり、将来雨量の見込み違いや水位調整の誤りにより逆に洪水のおこる危険性の方が大きい。
また、湖岸堤の建設により湖辺の水環境が破壊され、多くのヨシ地帯が消失する。この消失により水浄化、生物の生息場所、水産生物の生産場所、景観、湖辺の浸食防止等ヨシ地帯がもっている機能が低下する。このことは湖中堤を建設する場合も同様であり、人工的な内湖ができることにより逆に水質汚濁を促進する傾向さえある。
以上の通り、湖岸堤の建設は治水対策としての効果自体に疑問があるばかりか、ヨシ地帯を破壊することにより、ヨシのもつ種々の機能を低下させ、生態系を破壊し、水質を悪化させるという多くの問題点を有している。
このように湖岸堤の効果自体に疑問があるばかりでなく、その上に作られる湖周道路は、自動車の増加や観光施設の開発を招き、湖辺の環境破壊に更に拍車をかけるおそれが大きい。
また、高さ2.6メートルの湖岸堤の建設はこれが障害物となって、内陸部から湖を見た時、景観悪化の原因ともなる。
したがって、治水対策のためには、森林の函養、貯水池の造成など総合的な方法を講ずることによって恒久的な対策をたてることが必要であって、このように問題の多い湖岸堤や湖周道路を膨大な費用をかけて建設する必要性は全くない。
ハ 浄化センターの必要性
琵琶湖総合開発において、下水道は水質保全対策として位置づけられている。滋賀県は、水質保全対策として琵琶湖の周辺を四つのグループに区分し、市町村にまたがる流域下水道を計画しているが、この中で最も規模の大きいのが湖南中部流域下水道である。同下水道は、処理水域二万ヘクタール、人口七九万人、一日最大一〇二万トン(このうち工場廃水は四六万トン)の下水を甲子園球場の一八倍(七二ヘクタール)に相当する矢橋人工島の上に作られる浄化センターに流入して処理するという計画となっている。
湖南中部流域下水道は、将来の工場誘致により大量の工場廃水を受け入れることを予定した過大な計画となっており、このため工事の進捗がかなりおくれている。すなわち、昭和四七年の都市計画決定以来一四年を経過した昭和六〇年末においても、その進捗率は1.6パーセントであり、また、浄化センターへの流入量は、工場廃水において計画汚染量の0.08パーセント、家庭廃水において1.1パーセントと、異常に低い処理水量となっている。
このような現在の実施状況からすれば、たとえ計画通りの幹線管渠が全て敷設されるにいたったとしても、目標年度たる昭和六五年度に計画汚水量の処理を達成する可能性がないことが明らかである。
昭和五八年、同五九年の滋賀県の下水道事業によれば、下水道法による事業認可は、完成予定年月日を昭和六三年三月三一日として、その処理能力は一日最大三五万五〇〇〇トン、処理人口は約三〇万人となっており、都市計画決定で予定されている処理能力、処理人口の半分以下の内容となっている。また、昭和六〇年、同六一年の下水道事業では、下水道法による事業認可は、完成予定年月日が昭和六九年三月三一日と延長され、処理人口は約三一万九〇〇〇人と多少増えているものの、その処理能力は一日最大二一万五〇〇〇トンと逆に減少しており、都市計画決定の処理能力の約五分の一の内容となっている。
このような下水道法の事業認可からみても、処理人口七九万人、処理能力最大一〇二万トンの達成を予定する当初の都市計画決定が、過大な計画であったことは明らかである。
従って、このような過大な見積もりによる浄化センターの建設および浄化センターのためになされた人工島造成の必要性がないことは明らかである。
人工島の造成は、そのための埋め立ておよび浚渫等により、水質保全の効果を有するどころか、逆に琵琶湖を汚染し、周囲の環境を破壊して水質を悪化させる等種々の問題を惹起したことは、すでに述べたところである。
また、この上に建設されている浄化センターは、その過大さ故に、工場廃水との混合処理をなすため、膨大な費用を要し、その処理能力、処理水質、汚泥処分、下流水域への影響等で様々な問題点を有している。
以上の通り、浄化センターは、現在の処理水量等からみて過大に過ぎその必要性がないことは明らかであるばかりか、水質保全対策としての効果を発揮することはなくかえって有害であるから、水質保全対策として設置されるべき下水道としては地域の実情にあった適切な他の下水道が考えられるべきである。
14 差止請求の根拠となる原告らの権利
A はじめに
原告らにとり、琵琶湖は水道水源としてだけでなく、その有する景観の美しさ、リクリエーションの場として、また漁業の場として、自然的価値を、多数の固有生物が生息する学術的価値を、また湖底遺跡も存在するなど一〇〇〇年以上の長きにわたり人との交流を通じて形成されてきた多面的な社会的、文化的、精神的価値を有している。そして、これらの琵琶湖の価値に対し、原告らは種々の権利を有している。以下、これらの権利について、詳述する。
B 浄水享受権
イ 定義
琵琶湖は、原告らにとり上水道水源としての価値を有しており、原告らはこれに対し次のような権利を有する。
すなわち、原告らは、琵琶湖を上水道水源とする水道を使用しているものとして、「上水道を飲料水として使用しているものは、上水道水源の清浄さ(人の飲料に適する水質を有すること)を享受する権利を有し、第三者がその清浄さを侵害し、もしくは侵害しようとするときは、その侵害行為を差止めることができる。また、侵害に対し原状回復を請求でき、損害が発生したときは、損害賠償を請求できる。」権利を有する。
右権利は、浄水享受権という名称が適切である。
ロ その実質的根拠
a 飲料水の重要性
飲料水は人間の生存の基礎であり、これなくして人間はその生命、健康を維持できず、飲料水中に有害なものが含まれていれば、それが直ちに人の健康に影響を与えることは明らかである。また、飲料水は無害をもって足りるものではなく、無味、無色、無臭のものでなければならぬ。そうでなければ、その安全性に疑いがもたれるとともに、人は生理的、心理的に飲料に供せなくなり、飲料水として不適格となる。また、炊事、洗濯等の生活用水もこれなくして、人の生活を維持できないことも明らかであり、その水質が使用にたえないときも、人の日常生活は破壊されざるをえず、生活用水も清浄でなければならない。このように飲料水、生活用水は、人が生活する上で最も基礎的な条件である。
b 水源の清浄さ
現代社会で多くの人々は、その飲料水を上水道により確保している。そして、その水源は河川、湖沼、あるいは地下水に求めている。原告らは、本訴訟において、上水道の現在の急速ろ過、薬品投入を中心とする浄水処理では、大部分の有害物質を除去できず、また臭い、色等もほとんど除去できないことを主張、立証した。したがって、上水道水源が汚染されることは、直ちに上水道すなわち飲料水が、汚染されることを意味する。それゆえ、人間の生命、健康は、上水道水源の清浄さに依存しており、これを維持するには、上水道の水源を保全するしかない。
ハ 成文法上の根拠
a 水道法は、一条で「この法律は、……清浄にして豊富低廉な水の供給を図り、もって公衆衛生の向上と生活環境の改善とに寄与すること」を目的とすると規定し、この目的を実現するために、同法二条一項で、国及び地方公共団体の責務として「水道が国民の日常生活に直結し、その健康を守るために欠くことのできないものであり、かつ水が貴重な資源であることに鑑み、水源及び水道施設並びにこれらの周辺の清潔保持……に関し必要な施策を講じなければならない。」と規定して、国、地方公共団体に水源の清潔保持義務並びにそのための施策を義務づけている。さらに同条二項は、「国民は……自らも、水源及び水道施設並びにこれらの周辺の清潔保持に……努めなければならない。」として、国民に水源の清潔保持義務を課している。
かかる水道法の規定の各義務からすれば、水源の清浄さは、法律上保護すべき重要な利益であることが、理解される。
b 刑法は飲料水の清浄さを保護するため特に一章を設け、一五章「飲料水に関する罪」で六箇条を規定した。代表的規定を挙げれば、一四三条で「水道ニ由リ公衆ニ供給スル飲料ノ浄水又ハソノ水源ヲ汚穢シ因テ之ヲ用フルコト能ハザルニ至ラシメタル者ハ六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス。」とし、水道及びその水源を汚穢しただけで、重い刑を科している。
刑法は、水道の水源が、人の生命、健康、生活に直接影響するものであることから、水道水源の清浄さを、特別に保護すべき法律上の重要な利益として規定しているのである。
c 憲法においては、浄水享受権は、一三条の生命、自由、幸福追求権の内容をなし、また、二五条一項の国民の生存権保障及びこれを具体化するための同条二項の公衆衛生の向上及び増進の義務の内容となっている。
ニ 以上のように、浄水享受権はこれを認める成文法上の根拠を有するものである。
C 人格権
人格権とは、人間の生存のための基本である個人の生命、身体の安全、自由及び生活等に関する利益の総体である。そして、生命、健康(身体の健全性)の維持には飲料水が清浄で安全であることが必要であるので、飲料水の清浄、安全も人格権の一部となっている。
原告らは、人格権の重要な内容である生命、健康、その使用する飲料水の安全、清浄に対する侵害を排除する権利を有し、さらに、侵害を受ける蓋然性が高いときには、それに対し、物権において認められているのと同様の妨害予防請求権を有する。
この人格権は、憲法一三条の生命自由幸福追求権の内容として保障されている。この規定は単なる包括的な人権宣言規定ないし概括的な綱領規定ではなく、憲法の他の条項により認められた個別的基本権を含むところの包括的基本権を定めたものである。その規制範囲も、規定の特殊性から国家と国民との間のみならず、私法関係にも直接に規制を及ぼしている。
したがって、原告らは人格権に基づきその侵害に対し差止請求権を有する。
D 環境権
人はその生存、生活において、自らを取り巻く環境と切り離されてあるものではない。人は自らを取り巻く環境のなかで、それとのかかわりを通じて生きていくものである。したがって、人は、良好な環境のもとで生活する権利があり、良好な環境を享受する権利すなわち環境権を有し、もし、従来の環境を変更され、これにより環境が悪化するときは、改変をするものに対しその行為を差止める権利を有する。
そして、環境権の内容たる環境とは、大気、水、日照、通風等の自然環境のみならず、道路、公園等の社会的環境、また、遺跡等の文化的環境を含む広範なものであり、その権利はその環境の中で生活する万人の共有に属するものである。この権利は憲法一三条、二五条に根拠を有するものである。
本件においては、原告らは、琵琶湖という環境を共有しているものである。これまで述べてきたように、琵琶湖は多様な多元的価値をもっている。琵琶湖は地質学的、生物学的価値や湖底遺跡等の学術的価値をもつ。また、アユ、シジミ等の漁業資源の宝庫でもある。そして、その自然景観は、近江八景として古くから愛されてきたものである。最近では、つり、水泳、ヨット等のリクリエーションの場として、多くの人々に親しまれている。また、教育の場として、精神的なやすらぎを与えてくれる場としてなど、琵琶湖は無限の価値を有し、その恩恵を人々に与えている。
そして、これらの価値は、琵琶湖が琵琶湖として、その生態系を維持していることにより、自然が保全されているから存在しているのである。かかる琵琶湖に対し、原告らのみならず日本人各人が環境権を有しているのである。
然るに、被告らは本件各工事により、琵琶湖の生態系を破壊し、また、さらなる破壊を加えようとしている。
したがって、原告らは環境権に基づき本件各工事の差止をもとめているのである。
E 不法行為による差止
イ 差止の根拠
違法な行為により人の利益が侵害されたときは、その違法行為を差止めることができる。被告は、不法行為制度には、差止を認める規定がなく、損害賠償しか規定していないことを根拠として、これを否定している。しかし、不法行為制度上、人の違法な侵害に対しこれを認容し、その侵害に耐えなければならないとする規定は全くなく、差止請求を否定する規定はない。
被告のように解するならば、不法行為制度上、損害賠償さえすれば、どのような侵害(たとえば、生命侵害)もなしえることとなる。したがって、財力のある者は、違法な行為をあえて行ない、後で金銭賠償をすれば足りるということになる。これは、結果的には、生命身体のようなものであろうと金銭で購入できることと同じである。差止請求が認められている権利は所有権のような財産権であり、もともと金銭で購入できるものである。被告らの主張は、金銭万能主義以外の何物でもない。かかる結論が不合理なことは明らかである。
ロ 不法行為の成立
a 原告らは、生命健康及び飲料水の清浄につき人格権を、また水源の清浄については浄水享受権を、また琵琶湖に対する環境権を有している。これらの権利は、不法行為法上保護される利益であり、被告らの行為が、不法行為の要件を充足するときは、さらに不法行為に基づき被告らの行為を差止めることができる。
b 故意、過失
被告らは、本件各工事が、原告らの浄水享受権、人格権、環境権を侵害することを認識し、これらにより、原告らの生命健康が侵害される可能性があることを充分認識している。ゆえに、被告らの行為は、故意によるものである。
仮に、故意がなくとも、重過失がある。すなわち、本件各工事は公法人たる被告らによって、進められており、被告らは憲法上、水道法上、第一次的に琵琶湖の自然、水源の清浄、飲料水の清浄、住民の生命健康を保全すべき義務を負っている。したがって、右事項につき充分に事前調査をする義務がある。しかるに、原告らが本件各工事により琵琶湖のもつ自然の浄化能力が失われ、水質が悪化すること等を指摘したにも拘らず、これを軽視し、不十分極りない調査したのみで、本件各工事をしている。したがって、重過失があるものと判断できる。
c 違法性
原告らの有する人格権、浄水享受権、環境権は基本的権利であり、本件各工事は、右権利を侵害し、また侵す可能性があり、違法性は充分肯定できる。
ハ 以上によれば、被告らの不法行為は成立し、これにより、原告らは本件各工事の差止を求めることができる。
F 環境アセスメントの欠如による差止
イ 環境アセスメントの欠如自体による差止
琵琶湖総合開発計画及びそれに基づく本件各工事は、その事前においていわゆる環境アセスメントがなされず、また関係住民の同意を得る手続がなされていない。環境が原告らに一切関わりなく改変されようとする場合には、その事前手続の欠如の一事をもって環境改変工事の差止を求めうる権利を有する。
ロ 浄水享受権に基づく環境アセスメント請求権
国及び地方公共団体は浄水享受権を侵害しないように改変工事をなすべき義務を負っている。この義務を尽くすためには、当該工事による水源への影響を調査しなければ、その違反の有無が全く判断できない。従って、改変工事を行なうものは、水源への影響を調査し、浄水享受権を侵害していないことを明らかにしなければならない。
また、飲料水は安全であるのみならず、安全性への不安が生じるものであってはならない。ゆえに、上水道水源の清浄さに不安が生じても、浄水享受権の侵害となる。したがって、ある行為が、清浄な水源を侵害するかしないか不安が生じるときは、浄水享受権者に妨害排除請求権が生じる。その内容は水源の清浄さへの不安を解消することを要求する権利である。
この不安の除去には、浄水享受権者の意見が反映したり、同意を得る手続をしなければならない。また、そもそも事前に改変工事の影響を調査しなければならなかった訳であるから、最も妥当な方法は環境アセスメント手続を行う事であり、したがって、浄水享受権者は環境アセスメントを要求する権利を有する。
本件各工事においては、環境アセスメントがなされておらず、原告らの浄水享受権を侵害しており、妨害排除請求権の内容として、本件各工事の差止ができる。
15 立証責任について
A 原告ら住民と被告らとの不均衡
本件各工事及びこれによる影響は極めて大規模かつ広汎であり、その事業主体は被告県、被告公団である。それゆえ、被告らは右影響についての専門知識と調査をする十分な資力を有する。これに反し、原告ら住民は、専門知識も資力もない。
したがって、本件訴訟の遂行にあたって、その立証能力には大きな不均衡があることは明白である。
B 伝統的な立証責任論の限界と不合理
伝統的な立証責任論は、訴訟の終結時において適用すべき法規の要件事実の存否が不明の場合にも、判決による決着を可能とするために、要件事実の存否不明の危険を一方の当事者に負わせている。その結果、立証責任を負わない当事者は当該要件事実について消極的態度に終始し、証拠の提出を怠ってきた。本件訴訟を含め公害、薬害等の訴訟においては、事実が相手方の行為圏内で生起した(する)ため、証明責任を負う当事者にとって証拠方法が欠け、しかも、そのことに何らの落度が存しない反面、相手方当事者がその証拠方法を持ち提出が容易であるという事態が多くなってきた。そこで、かかる不均衡を解消しないと公平の理念に反するのではないかということが問題となっている。本件では、この不均衡が顕著で、伝統的な立証責任論では、実体的真実の追求を否定し、事前の差止そのものを否定することになりかねない。
C 事実解明義務
右の伝統的な立証責任論の限界と不合理を解決するため、西独の判例、学説で認められた事実解明義務をわが国でも採用すべきである。
すなわち、立証責任を負う当事者が、1、自己の権利主張について合理的な根拠があると認めうる「てがかり」を明らかにすること、2、自己が事実の解明をしえない客観的状況にあること、3、右状況について非難さるべき点がないこと、4、相手方がその訴訟で必要とされる事実の解明を容易になしうることの四要件がある場合、相手方に事実解明義務が負わされる。相手方にこの義務違反がある場合の効果としては、西独の判例は証明責任の転換、ないし違反者に対し不利な事実の擬制が認められるとし、学説では違反行為を裁判所の自由裁量に委ねる見解、証明責任の転換に至るまでの証明軽減を認める見解がある。
このような事実解明義務を認める根拠として、わが国では、訴訟法の個々の規定(民訴法三一七条、三二八条等)を包摂して認めうる訴訟上の信義公平の原則から導かれる一般的な義務として把握するのが相当とされる。この義務は、新潟水俣病事件一審判決(新潟地判昭和四六年九月二九日下民集二二巻九・一〇号別冊)等に採用され、わが国の判例上も認知された。
D 被告らの事実解明義務の存在、その違反、その効果
本件において、被告らに事実解明義務があることは、これまで主張、立証したところから、明白である。
仮に、右義務がないとしても、被告らは本件各工事の影響予測の資料について、法廷に提出すべき義務がある。すなわち、被告県は地方公共団体として住民の福祉の増進に努めるべき責務を負い(地方自治法二条一二項)、被告公団は水資源の開発等の事業を実施することにより国民経済の成長と国民生活の向上に寄与することを目的として設立された公法人である。したがって、被告らの有する知識、資料は、住民ないし国民の財産であり、訴訟の場において、国民ないし住民から本件各工事による健康被害等の危惧が表明されたときは、被告らはその有する知識、資料の公開を拒む理由はない。しかるに、被告らはその有する知識、資料の公開を拒み、義務違反をあえて行ったことは明白である。
それゆえ、本件においては、被害発生についての立証責任の転換をするか、被害発生の擬制がなされるべきである。
E 立証責任の修正……被告らに被害の不発生の立証責任がある。
A、Bに述べたことからすれば、本件のような大規模環境改変工事においては、被害の発生(安全性)の立証責任は転換され、工事の実施主体である被告らが被害の不発生の立証責任を負うべきであり、これが法の目的である公平の観念に合致する。
通説、判例とされる法律要件分類説によれば、人格権、不法行為に基づく差止のいずれにおいても、被害発生の立証責任は差止を求める原告らにある。しかし、民法等の実体法規は立証責任を考慮して定められたという確証はなく、また、実体法規の不合理から判例自身この配分を修正した例もある。民法四一五条後段の帰責事由の存否についての最高裁一小判決昭和三四年九月一七日等がある。したがって、法律要件分類説は絶対ではなく、利益考量から立証責任の転換は認められるべきものである。
本件において、被告らにより被害の不発生の立証がされていないことは明白である。
F 原告らの立証の程度……蓋然性説
仮に、Eに述べた立証責任の転換が認められなくても、立証の程度については、原告らは環境破壊、健康被害等についてその発生の蓋然性を立証すれば足りるとする蓋然性説を採用すべきである。したがって、原告らが右蓋然性の立証をしたならば、被告らは環境破壊、健康被害等についてその不発生を立証しなければならない。
この蓋然性説に対応して、証明度を下げたり、証明の対象を組み換えたりする判決が見られる。新潟水俣病事件一審判決、徳島地裁一審判決昭和五二年一〇月七日等がこれである。
この蓋然性説は本件のような事前差止の事案においても採用すべきものであり、原告らはすでに被害発生の蓋然性を立証した。
16 結論
よって、原告らは、浄水享受権、人格権、環境権、不法行為、もしくは環境アセスメントの欠如に基づき、被告県に対し人工島造成工事と浄化センター建設工事の各差止めを、被告公団に対し瀬田川洗堰の改築工事、湖岸堤及び管理用道路の新築工事、南湖浚渫工事、並びに瀬田川浚渫工事の各差止めを、被告国に対し被告県、被告公団のなす右各工事に対する補助金または負担金の交付及び財政、金融上の援助の各差止めを、被告府に対し被告県のする右各工事に対する負担金の交付及び資金の融通の差止めを、それぞれ求める。
二 被告らの本案前の主張
1 請求の趣旨第1項について
原告らは、請求の趣旨第1項として、
「被告滋賀県は、
A 滋賀県草津市矢橋町、新浜町地先に建設中の琵琶湖湖南中部流域下水道浄化センター敷地造成工事をしてはならない。
B 右敷地上に右浄化センターの各施設(ポンプ室、沈砂池、水処理施設、塩素混和池、濃縮タンク、洗浄タンク、脱水機、焼却施設、管理本館、熱源棟及び送風機棟)の建設をしてはならない。」との判決を求めている。
右の訴えは、いずれも被告県に対し不作為を求めるものであるところ、不作為を求める訴えは、その性質上常に将来の給付の訴えの性質を有するものである。そして、将来の給付の訴えについては、「予メ其ノ請求ヲ為ス必要アル場合ニ限リ」(民事訴訟法二二六条)その訴えの利益が認められるものであるが、請求の趣旨第1項Aの浄化センター敷地造成工事並びに同項Bの各工事のうち浄化センター敷地上の管理本館及び熱源棟の各建設工事は既に完成済みである。したがって、原告らの請求の趣旨第1項Aの訴え並びに同項Bの訴えのうち浄化センター敷地上の管理本館及び熱源棟の各建設工事の差止めを求める部分は、その目的を失っていると同時に、あらかじめその請求をする必要性もなくなったものであるから、訴えの利益を欠き、不適法な訴えとして却下されるべきである。
2 請求の趣旨第3項及び第4項について(請求の趣旨の不特定)
A 原告らは、請求の趣旨第3項及び第4項として、
「3 被告国は同滋賀県、同水資源開発公団のなす右各建設工事に対し、補助金または負担金の交付及び財政、金融上の援助をなしてはならない。
4 被告大阪府は、同滋賀県の前記第1項記載の建設工事に対し、負担金の交付及び資金の融通をしてはならない。」との判決を求めている。
しかしながら、請求の趣旨第3項(ただし、「補助金または負担金の交付」の差止めを求める部分を除く。本項においては、以下同じ。)及び第4項の請求は、いずれもその内容において不明確であって、訴訟上の請求として特定性を欠くものであるから、右請求に係る訴えは、不適法であり、却下されるべきである。
B 訴えを提起するに当たって、原告は、訴状に記載する請求の趣旨、原因によって訴訟の客体となる請求を特定しなければならない(民訴法二二四条一項)。そして、請求の趣旨は、原告が訴えによってどのような権利又は法律関係の存否についてどの範囲でどういう形式の判決を求めるかの結論であって、判決の訴訟物についての主文に対応するものであり、それにより、求める判決の効力、範囲が一見して明らかになることを要する。
したがって、訴訟上の請求の一類型である給付請求の場合にあっては、究極的には強制執行による給付の満足を予定しているものであるから、その請求の趣旨は、一見して強制執行が可能な程度に明確でなければならないことはいうまでもないところ、その明確性の有無を考えるに当たっては、給付命令を受ける被告(債務者)にとって、具体的にいかなる行為をし、あるいはしなければ強制執行を免れることができるのかが明らかになっていなければならない。しかも、具体的にその強制執行の衝に当たる執行機関(執行裁判所及び執行官)にとっても、いかなる行為(作為、不作為)を命ずれば迅速かつ適正に給付命令に示された強制執行を実施できるのかが明確になっていなければならない。
以上の観点から、本件のように被告に対しある作為をしないことを求める不作為行為請求の場合における請求の趣旨の明確性ないし特定性について考えてみると、それは、被告のなすべからざる作為を明示し、特定することによってなされるべきであることは理の当然であり、被告のなすべからざる作為がその内包や外延の明確でないいわゆる多義的概念などで構成されているときは、そのような作為をしないことを求める請求の趣旨が明確性を欠き、したがって、訴訟上の請求として特定していないことは明らかである。
C これを本件についてみることにする。
イ まず、請求の趣旨第3項についてみると、原告らは、被告国に対し、被告県及び同公団のする請求の趣旨第1、2項の建設工事に対する「財政、金融上の援助」の差止を求めている。右にいう「財政、金融上の援助」とは、原告らの主張に照らして、特別措置法一〇条所定の「財政上及び金融上の援助」を指すものと解されるところ、右の「財政上及び金融上の援助」なる文言は、いずれも多義的概念である「財政」、「金融」、「援助」の文言から構成された極めて多義的、不確定的なものであり、その内包はもとより、その外延も著しく明確性を欠いている。そのため、被告国が被告県及び同公団との関係において種々の行政過程の中でかかわりを持つ多種多様な行為のうち、何が右の「財政上及び金融上の援助」に当たるのか、右の文言からは明確でない。
したがって、請求の趣旨第3項は、一義的明確性を欠き、訴訟上の請求として特定性に欠けており、同項の請求に係る訴えは不適法といわざるを得ない。
これに対し、原告らは、請求の趣旨第3項の「財政、金融上の援助」とは、「琵琶湖総合開発特別措置法一〇条にいう「財政及び金融上の援助」をさすものであり、法律上の用語に基づいた特定がなされている。この概念自体が不明確というならば法の文言自体が不明確という非難にならざるを得ないのである。」と主張している。
しかし、原告らの右主張は、およそ法律の規定の中で当該文言が用いられている趣旨と、民事訴訟法上、請求の趣旨の特定が必要とされる趣旨とを混同した誤った立論に基づくものであるといわざるを得ない。
すなわち、右の「財政上及び金融上の援助」なる文言は、講学上のいわゆる「不確定概念」又は「裁量概念」に相当するものであるが、特別措置法一〇条が右のような「不確定概念」ないし「裁量概念」を用いている趣旨は、国が琵琶湖総合開発計画を策定し推進するに当たって、いかなる内容、程度、範囲の財政上及び金融上の援助を、いかなる時期、方法、態様で与えるかについて、これを行政府の政策的及び専門技術的観点に基づく自由な裁量にゆだねていることによるものであることは、同法の趣旨、目的に照らして明らかというべきである。これに対し、民事訴訟法は、同法固有の理由から請求の趣旨の特定性(一義的明確性)を要求しているのであって特別措置法一〇条の規定の趣旨、目的とは無関係であるから、原告ら主張のように同条の規定の文言をそのまま用いたからといって、請求の趣旨が特定したことにはならないのである。
ロ 次に、請求の趣旨第4項についてみると、原告らは、被告府に対し、被告県のする請求の趣旨第1項の建設工事(以下「浄化センター建設工事」という。)に対する「負担金の交付および資金の融通」の差止めを求めている。そのうち、「資金の融通」の差止めを求める部分については、「資金の融通」なる文言は、いずれも多義的概念である「資金」、「融通」の文言から構成された極めて多義的、不確定的なものであり、前記イで請求の趣旨第3項について述べたのと全く同じ理由により、一義的明確性に欠け、訴訟上の請求として特定性に欠けていることが明らかである。
また、「負担金の交付」の差止めを求める部分についても、そこでいう「負担金の交付」が、いかなる根拠に基づく、いかなる内容、性質の負担金の交付を指すのか、請求の趣旨の記載自体からは全く明らかではないが、もし、それが、浄化センター建設工事に関連して、以下に述べるような被告府と被告県との間の協定に基づき被告府から被告県に支出される負担金の交付を指すものであるとしても、やはり一義的明確性に欠け、訴訟上の請求として不特定といわざるを得ない。すなわち、
a 琵琶湖に源を発する淀川は、流量が豊富で年間を通じて流況が安定しているが、一方、その余の大阪府内及び近郊の河川は、淀川に比べて流量が少なく、流況が不安定であり、また、大阪府下における地下水のくみ上げも、地盤沈下を招くため、その利用には限界がある。
そのようなことから、被告府は、古くから現在に至るまで淀川の豊富な水を利用することにより発展してきたものであるが、近時の阪神地域の水需要の増大は、後に述べるように看過することができない状況にある。そのため被告府にとって琵琶湖総合開発計画に基づく水資源開発は、渇水による被害を未然に防ぎ、水の安定供給を図るために不可欠かつ緊急の事業であり、被告府は、右の事業に積極的に参加してきたものである。
b ところで、特別措置法一一条は、水資源開発事業の実施により琵琶湖及びその周辺地域について生ずべき不利益(水資源開発事業を実施する者による損失補償の対象となるものを除く。)を補う効用を有する事業について、その事業に係る経費の全部又は一部につき、政令で定めるところにより関係地方公共団体が協議して負担の調整を図ることができる旨を定め、右の負担金を交付するかどうか及びその額をどのように定めるかを関係地方公共団体等の協義にゆだねるとともに、同法六条は、関係地方公共団体等に対し、琵琶湖総合開発計画の実施に関し、できる限り協力すべきものとする一方、その協力の範囲については、これを関係地方公共団体等の裁量にゆだねている。
そこで、被告府は、同法一一条一項一号に該当する地方公共団体として、国及び関係県と協議を行ってその負担の在り方を決定し、昭和四九年一月三一日被告県及び兵庫県との間において負担に関する基本協定を、また、同年三月二九日被告県との間において、負担に関する協定をそれぞれ締結し、これによって被告府の被告県に対する負担金の支出は、右の各協定に基づいて行われることになったのである。
右協定に基づき被告府が被告県に対して支出している負担金は、右に述べたとおり、特別措置法一一条一項の規定に基づくものであり、利水のための水資源開発事業のみならず、同事業の実施により琵琶湖及び周辺地域について生ずべき不利益を補う効用を有する事業、すなわち、琵琶湖総合開発事業のほぼ全般にわたる事業経費の一部を負担することをその目的としている。
また、この負担金は、大阪府議会の議決を経た予算を、大阪府知事がその予算執行権に基づいて支出するものであり、この協定に基づく以外の負担金の支出は一切行われていない。
なお、その後、昭和五七年度には、琵琶湖総合開発計画の変更に伴い、被告県との間において、別途、覚書及び協定書を締結し、これら負担金の総額及び支出方法が改定されているが、この負担の趣旨は改定前と変わりはない。
c 請求の趣旨第4項は、原告らの主張に照らして、前記協定に基づく負担金の交付がすべて浄化センター建設工事のために行われることを前提としているようであるが、負担の対象となる事業は、特別措置法施行令四条に定められた事業全般に及んでおり、負担金の支出は同条所定の各事業ごとに数額を特定してなされるものではないのであって、原告らが主張している浄化センター建設工事は、これらの対象事業の一つにすぎず、支出済みの負担金あるいは将来支出される負担金のどの部分が浄化センター建設工事に充てられたか、あるいは充てられるかを特定することは不可能である。
そうすると、請求の趣旨第4項の「負担金の交付」という文言も、浄化センター建設工事との関係で特定を図ろうとしても、「負担金の交付」の対象となる事業は右建設工事を含む広範なものであって、「負担金の交付」と右建設工事との間の具体的な対応関係は何ら特定されていないのであるから、結局、その内容は、極めて不明確で特定性を欠くといわざるを得ない。したがって、請求の趣旨第4項のうち、「負担金の交付」の差止めを求める部分も、訴訟上の請求として不特定であるというべきである。
3 請求の趣旨第3項について
原告らは、請求の趣旨第3項において、被告国に対し、被告県のする浄化センター建設工事及び被告公団のする請求の趣旨第2項の建設工事(以下「瀬田川等の工事」という。)に対する「補助金または負担金の交付」の差止めを求めている。
しかしながら、浄化センター建設工事及び瀬田川等の工事について国から被告県及び同公団に交付される補助金、負担金等(以下「補助金等」という。)は、補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律(以下、「適正化法」という。)六条の規定による各省各庁の長の交付決定という行政処分に基づいて交付されるものであるから、被告国に対し補助金等の差止めを求めることは、その実質において、各省各庁の長が適正化法六条の規定に基づいて行うべき交付決定という行政処分の事前の差止め(交付決定をしないことの事前の義務付け)を求めることにほかならず、かかる訴訟は、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)三条一項にいう「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」として当該行政庁を被告として無名抗告訴訟の範ちゅうに属する(もっとも、そのような訴訟が無名抗告訴訟として適法かどうかは、別問題である。)。したがって、国を被告として、通常の民事訴訟として補助金等の交付の差止めを求める原告らの訴えは、行訴法一条ないし三条に定める抗告訴訟の排他的管轄に違反して、行政庁の第一次判断権を侵すこととなる判決を民事訴訟手続きで求めるものであるから、不適法として、却下を免れないものである。
また、国から被告公団に交付される補助金等のうち、水資源開発公団法(以下「公団法」という。)二六条の規定に基づく特定施設に係る国の交付金については、国が同法及び政令で定める費用を公団に交付するものとする旨規定されており(同法二六条、水資源開発公団法施行令一四条、一五条)、被告公団への交付が右規定により義務付けられている。したがって、国が法律の規定により公団に対し交付すべきことを義務付けられている右交付金について、裁判所が判決の主文をもってその交付を禁止することは、取りも直さず、公団法の右規定を改廃して新たな立法をするに等しいこととなるから、裁判所の権限をもってすることのできない事柄であることは明らかであり、被告国に対し右交付金の交付差止めを求める原告らの訴えは、右の点からも不適法として却下を免れないものである。
三 請求原因に対する認否及び被告らの主張
1、2、3〈省略〉
4、A、イについて
認める。
ロについて
争う。
湖水中の窒素が0.2PPM、リンが0.02PPM程度以上になると、富栄養化現象が生じるという説があることは認めるが、富栄養化とは、水中の栄養塩類の増加に伴う藻類の増加を中心とする水域生態系の変化をいうともいわれており、湖水中の窒素及びリン濃度によって一義的に決まるのではない。
4、B、イについて
争う。
原告らは前記の富栄養化の指標により琵琶湖が富栄養化したかを判定しているが、右指標により速断するのは、当を得ない。
ロ、aについて
SS値は認める(但し、原告らの主張する値は北湖の全測定点の年間平均値である。以下、同様)。
BOD値は年により増減があることは認めるが、その余は争う。
COD値は認める。
透明度の年平均値は認めるが、その余は争う。これは北湖二八点の測定点の平均であるが、その中には湖岸に近い測定点も多数含まれ、この数値をもって従来一般的にいわれてきた北湖の透明度一〇メートルと比較することは妥当でない。
底層の溶存酸素については、滋賀県水産試験場の中賢治の調査結果が原告らの主張のとおりであること、京都大学の大津臨湖実験場の定期観測によれば、一九六六年一月の北湖の一観測地点において底層の溶存酸素量が一リットルあたり約4.6(4.57)CCであったこと、一九七〇年九月には同地点において約2.8(2.77)CCであったこと、北湖の容量は約二七三億立方メートルであることは、いずれも認めるが、その余は争う。
これらの数値をもって底層水の溶存酸素量の減少を比較することは、観測時期が一月と七月と異なることから、妥当ではない。例えば、一九六六年以降一九七一年までの同地点における一月の溶存酸素量の経年変化はそれぞれ一リットルあたり一九六六年4.57、一九六七年6.88、一九六八年4.40、一九六九年4.38、一九七〇年7.34、一九七一年7.44CCである。また、溶存酸素のみで水質の汚濁を判断するのも妥当でない。
総窒素については、増加傾向にあり、0.29PPMに達したことは認めるが、その余は争う。0.2PPMが富栄養化の限界値であり、これを越えたら富栄養化と判断するのは妥当ではない。
総リンについては、認める。
bについて
SS値は認める。
BOD値は否認する。年により変動するが1.18ないし1.76PPMである。
COD値は1.12ないし1.55PPMであり、1.8PPMにまでは行っていない。但し、環境基準値一PPMを越していたことは認める。
透明度は認める。
総窒素、総リンの数値は認めるが、富栄養化の限界値は争う。
cについて
すべて争う。
4、B、ハについて
すべて争う。
4、Cについて
本件各工事開始頃に、すでに琵琶湖において富栄養化が進行しており、特に南湖が著しいこと、富栄養化の原因の一は認める。その原因の二は否認する。
その原因の三については、原告ら主張の如き内湖の干拓、湖辺の埋立がされ、琵琶湖の面積が減少したことは認めるが、内湖、湖辺の浄化作用は争う。
4、D、イについて
すべて争う。
赤潮発生等より原告らは琵琶湖の水質が危機的状況にあると主張するが、右は、本件において差止め対象となっている本件各工事との因果関係を示してはいないため、無意味な主張である。
ロについて
琵琶湖の水質は、昭和三〇年代後半から悪化の兆しが見られ、水質悪化は次第に進行していたが、昭和四〇年代半ば以降現在までは、ほぼ横這いの状態である(別紙一一水質経年変化図のとおり。)。これは、その間の琵琶湖周辺の生活活動及び産業活動の増加に伴う人為的汚濁負荷の増大を勘案すれば、その間に講じられた昭和四五年の水質汚濁防止法の制定、昭和四七年の滋賀県公害防止条例の全面改正、昭和五四年の富栄養化防止条例の制定等の施策による効果並びに琵琶湖総合開発計画により下水道の整備、し尿処理施設の整備等の水質保全事業による効果が反映されているといえよう。
琵琶湖の水質が悪化しているとの原告らの主張は根拠がない。また、水質悪化の主張も、本件において差止めの対象となっている本件各工事との因果関係を示していず、無意味な主張である。
4、Eについて
すべて争う。
Fについて
重金属は微量であれば人体にとって必須微量元素として必要な場合が多いこと、PCBが有害物質であり昭和四七年生産中止となったこと、BHC、DDTが使用禁止となったことは認めるが、その余は争う。
有害物質による汚染は、重金属等の無機物質によるものと、PCB等の有機合成物質によるものとに大別され、いずれも人の健康に著しい障害を及ぼすおそれのある汚染物質であり、これらの物質は、公害対策基本法九条に基づき、昭和四六年一二月二八日環境庁告示第五九号により定められた水質汚濁に係る環境基準等において指定されている。これらの物質は、主として工場排水、農薬に含まれて排出されるものと考えられるが、琵琶湖では、「人の健康の保護に関する環境基準」に定められているカドミウム等の物質に関して、この環境基準を上回るような汚濁が生じた例はない。
原告らは、有毒プランクトンによる影響について、琵琶湖に発生しているアオコを形成するプランクトンがあたかもすべて毒性を有するかのように主張するが、鈴木証人の証言にもあるとおり、琵琶湖に発生するアオコを形成するプランクトンが毒性を有するかどうかは未知である。また、これらプランクトンが大量発生する可能性についての条件、根拠についても、原告らは何ら明らかにしていない。
以上のように、原告らの主張は、いずれも具体的根拠に乏しく、琵琶湖の水質は、現に水道用水として利用されていて支障を生じていないことからも明らかなように、原告らが主張するような危機的状況にあるということはない。
5、Aについて
琵琶湖総合開発計画のうち、大きな経費を要する事業の中に環境上大きな問題を持つ内容のものが含まれていること及び右計画の最大の目的が下流域の水需要に応じて、琵琶湖の水を新規に毎秒四〇トン開発することにあるとの点は否認し、その余の事実は認める。
琵琶湖総合開発計画は、琵琶湖及びその周辺地域の保全、治水及び利水という三つの目的を有するものである。
5、B、イないしハについて
認める。
5、Cについて
冒頭事実は認める。
イについて
認める。
設置の目的は、渇水時に無駄な放流をなくし、より有効に琵琶湖の水を利用するため、現在の洗堰の左岸側に新しく水路を設け、その水路内に微調節機能を有するゲートを設置して、渇水時に正確に流量を制御することにある。
なお、この改築の昭和六三年三月末の進捗率は、九〇パーセントとなっており、未着工の部分は、ゲート上屋、修景工事等のみである。
ロについて
その目的を除き認める。その目的は否認する。
琵琶湖からの唯一の流出河川である瀬田川を浚渫し、その疎通能力を増大させ、洪水被害の軽減を図るもので、治水の目的を有する。
その内容は、大津晴嵐地先の東海道線鉄橋上流約二〇〇メートルから瀬田川洗堰直上流までの約五キロメートルの間を浚渫するもので、右浚渫は、底幅約五〇メートル、深さは現在の河床から約二メートルで実施しているものである。
なお、昭和六三年三月末における進捗状況は、施行延長五キロメートルのうち4.275キロメートルが完成している。
ハについて
認める。
なお、浚渫する三ケ所(矢橋、志那、赤野井)の深さ等は、矢橋については最大基準水位マイナス2.5メートル、志那、赤野井については最大基準水位マイナス2.0メートルまで実施するものであり、その概算浚渫土量は、合計約八〇万立方メートルである。
なお、浚渫に際して湖底に極端な段差をつけることがないよう、琵琶湖の水深方向の断面は、浚渫した斜面の部分が自然に近い緩い勾配となるように設計し施工している。
南湖浚渫は、昭和六三年三月末には、浚渫予定土量約八〇万立方メートルのうち四二万五〇〇〇立方メートルが施工済みである。
ニについて
認める。
湖岸堤の目的は洪水の際の琵琶湖の水位上昇によって生じる湖周辺の浸水、湛水被害を解消することにあり、管理用道路は、湖岸堤及びこれに設置された内水排除施設、水門、樋門等の河川管理施設の管理のために設置され、あわせて、地域住民の生活道路としても利用されている。
ホないしチについて
認める。
6について
原告らは「水位低下による琵琶湖の水質汚濁」の項において、その被害、その発生のメカニズム等について論じているが、水位低下を理由として差止めを求めている瀬田川洗堰の改築、南湖・瀬田川の浚渫の各工事は、これらが完成したとしても、直ちに水位低下を招くものではない。
原告らのいう水位低下は、それが生じるとしても、昭和四七年一二月に決定された琵琶湖総合開発計画の一環として、「淀川水系における水資源開発基本計画」に基づき実施される被告公団を事業主体とする事業が完了した後、右の「淀川水系における水資源開発基本計画」と定められている「利用低水位は琵琶湖水位マイナス1.5メートル、新規に開発する水量は毎秒約四〇立方メートルとする。ただし、琵琶湖総合開発計画の各事業の施行ならびに補償等については、非常渇水時の処置に万全を期し得るよう措置するものとする。」という方針に基づき稀に起こる渇水時において水位低下を生じるような瀬田川洗堰の操作を現実に行った場合に生じ得ることであるにすぎない。したがって、原告らの主張する水位低下の問題は、結局のところ、右基本計画及び瀬田川洗堰の操作の妥当性の問題であって、右各工事の是非の問題ではないというべきである。
そうすると、本件訴訟において水位低下による琵琶湖の水質汚濁を理由として、右各工事そのものの差止めを求める原告らの主張はそれ自体理由に乏しいものであり、そもそも本件訴訟の争点として取りあげるにたりないものといわなければならない。
被告らは、原告らの主張に対する被告らの基本的見解が右のとおりであることを留保のうえ、これにつき認否を行うものである。
6、Aについて
被告公団の行う琵琶湖開発事業が毎秒約四〇立方メートルの水資源を開発するためのものであり、その結果琵琶湖の水位が1.5ないし二メートル下がることがあること、南湖の浚渫が水位低下対策事業であることは認めるが、その余は否認ないし争う。
Bについて
第一段に摘示されている被告の主張は、そのとおり認め、その余は争う。
マイナス0.5メートルという水位は琵琶湖周辺に大きな影響を与えるボーダーラインとして意味ある数字との原告らの主張は「琵琶湖周辺」「大きな影響」の意味内容が不明であり、根拠がない。
甲ろ第八七号証の作成者である京都市水道局は、琵琶湖総合開発計画に参加していないし、関係行政庁でもないのであるから、同計画の内容と計画策定の経緯について知り得る立場にないのである。しかも、同書証は、前提条件の基礎資料として何を用いたのか、計算の方法は何かということが不明であるし、また、結論に至る根拠も不明である。その上、同書証には「二〇〇年にわたる日単位のシュミレーションの結果」(同号証三三ページ)と記載されているが、鳥居川観測所が設置されたのは明治七年のことであるから、二〇〇年間にわたって観測できるはずはなく、その記載が不確かであることを示すものである。したがって、原告らが引用する同書証の記載内容の信憑性は極めて疑わしいといわざるを得ない。
したがって、右証拠を前提とする原告らの主張もまた失当である。
C、イについて
原告主張の水位低下と汀線の移動の数値は認めるが、その余の事実は否認する。
ロについて
河川の水が琵琶湖に流入後、含有成分の一部についてはその濃度が減少する場合があること、その例として珪酸含有量の減少について原告主張のとおり報告がされていること、湖沼の自浄作用の概念については、原告ら主張のような水中の物質濃度の減少をもって自浄作用とみなす見方も存在すること、このような意味における自浄作用には物理的過程、化学的過程、生物的過程が関与していると考えられていること、以上はいずれも認める。
ただし、
1 河川から琵琶湖に流入すると、多くの成分についてその濃度が減少するとの主張は争う。例えば、原告らが引用している資料を見ても、河川の平均値をもって比較した場合、無機成分の多くはほとんど変化していないし、リン、硝酸態窒素、アンモニア態窒素はわずかながら増加しているのであって、特殊な珪酸の事例をもって、他の多くの成分についてまで、河川からの負荷量が湖の自浄作用によって湖水から大幅に消失するがごとくいう原告らの主張は失当である。
2 珪酸濃度が減少する理由は必ずしも明らかにされていないが、生物的過程よりは、物理的過程(例えば沈澱等)又は化学的過程が主であるとの見方がある。
3 何をもって湖沼における自浄作用というかについては、人によっていろいろな見方がなされており、その定義はいまだ一義的には確立されていない。しかし、ここでは一応原告ら主張のとおり「水中の物質濃度の減少」をもって湖沼における自浄作用として扱うこととする。そして、これを前提とすると、湖沼における自浄作用には主として物理的過程、化学的過程及び生物的過程による浄化作用が関与する。
まず、物理的過程における浄化作用についてみると、この効果としては、水草により流水が停滞し、そのため水中の懸濁物が湖底に沈澱しやすくなるという沈澱作用によるものが中心である。しかしながらこれは、単に水中の懸濁物が湖底に沈澱・蓄積するというに過ぎないものであり、水中から消失するわけではない。また、化学的過程における浄化作用についても、凝集等の化学変化により沈澱するものであり、水中からの消失を意味するものではない。右の物理的過程及び化学的過程が本質的な浄化機能とはいえないことについては、鈴木証人も「沈澱した汚濁物質は、なくなった訳ではなく、本来の意味で自浄作用といえるかどうか疑問である。」としているところである。
ハについて
いわゆる「生物的過程による自浄作用」が、湖沼における富栄養化の抑制に寄与するとの主張は、争う。原告らが自らも認めているとおり、生物的浄化過程を通じて栄養塩類は再び水中に回帰したり、湖底に蓄積したりするもので、水中から消失するわけではない。例えば、水草類に固定される栄養塩の量はわずかであるが、枯死すればやがて固定された栄養塩類は再び水中に回帰するものであるから、あくまで一時的に固定されるに止まるものであり、効果の度合は、はなはだ疑問である。
ニ、aについて
琵琶湖沿岸帯調査報告書(滋賀県)が湖南部の水草の植生面積について、原告主張の如く報告していることは認める。
但し、同報告書は、植生面積に関し別紙一二のとおり報告しており、原告らはその中のごく一部(湖南部)を取り上げて、水位が低下すればあたかも沿岸水草帯が全滅するかのごとき主張を行っているのである。また、琵琶湖沿岸帯調査報告書では、琵琶湖の沿岸水草類の現存量を水深別に試算しているのであるが、それによると水深〇メートルからマイナス二メートルまでの現存量は全現存量の約二五%であって、水深がマイナス二メートル以深にも約七五%の水草類が分布しているのであるから、この一事をとってみても原告らの主張の失当であることは、明らかである。しかも、南湖における水草の深度別面積については、その後の調査によればマイナス二メートル以深の方が植生面積が多いという調査結果も存在するから、現時点で原告ら主張の調査結果のみによって事を論ずるのは妥当でない。
bについて
水草地帯が、一面において、生態系を維持する機能を有しており、この意味でいわゆる「生物的浄化作用」に関与していることは認める。
cについて
水草地帯が静水環境を生み出すことにより、固形物の沈澱を容易にし、水草地帯を通過する水をきれいにする機能があることは認める。
dについて
微生物が酸素を消費しつつ有機物を分解して水を浄化すること、水草が窒素、リン等の栄養塩類を吸収することは認める。
しかしながら、水草が水中の窒素、リン等を吸収することについていえば、窒素、リンが単に水中から水草に場所的に移動するというにすぎない。したがって、水中の窒素、リンの量だけに着目するならば、確かに水中の量は減少するといえるかもしれない。しかしながら、これは栄養塩類が移動しただけであるから、水草が秋冬期に枯死、分解すれば、栄養塩類は再び水中に戻るだけであって、琵琶湖全体としてみると何ら窒素、リンの減少にはなっていないのである。
水草地帯の役割全般についての被告の反論
水草地帯の持つ機能には、一長一短があり、水中の浮遊懸濁物の捕捉及び浮遊懸濁物の沈降や水中の吸収同化を行ったり、稚魚の生育場所や主にコイ科魚類の産卵回遊の場になるなどの長所としての機能を持つが、一方では、次のような短所の面をも有している。
1 水草は、異常繁茂した場合には、航行の障害となる。
2 浮遊懸濁物を捕捉し、その流亡を妨げて、瀬田川等を通じて流失するはずのものを湖内に残すことにより、洪水時に一度に琵琶湖に流失させ、琵琶湖水質を悪化させる潜在的汚濁負荷源になっている。また、水草類の枯死体によって湖内における沈積を増加させ、底泥の有機物量の増加をもたらす。
3 水草類は、その生育する場所によっては、流水の疎通を妨げ、長時間にわたる湖水の停滞により、湖底に有機物が多量に堆積してくると腐敗分解が起こり、湖底に低酸素又は無酸素の層を生じさせるとともに、アンモニア、硫化水素、メタン等の腐敗成分を発生させる。
4 湖底の無酸素の層が厚くなれば、生物相の維持どころか逆に稚魚の生育を阻止する危険性が生じる。そして、この様な状態においては、酸素存在下で正常な生活を営む好気性のバクテリアは存在しなくなり、酸素を完全に嫌う偏性嫌気性バクテリア及び酸素のないところを好むが酸素のある所でも生活できる通性嫌気性バクテリアが繁殖することになり、有機物の正常な分解による湖水の浄化作用はもはや行われなくなる。
したがって、水草の刈取りや堆泥の除去をすることなくして、水草地帯の自浄作用はほとんど期待できないというべきである。
eについて
すべて争う。
fについて
すべて争う。
gについて
ホテイアオイ等を使い実験的に水の浄化をしていることは認めるが、その余は争う。
右のホテイアオイ等による浄化は、自然のままではなく、人工的に整えられた環境下での浄化であり、とうてい自然のままの浄化作用とはいえない。
hについて
争う。
ホについて
争う。
へについて
争う。
しかし、内湖・内湾の自浄作用についても、水草帯の項において述べたのと同様に、物理的過程、化学的過程、生物的過程等に分けて考えることができるところ、まず、物理的、化学的過程の中心である沈澱作用については、水草帯の浄化作用の項で述べたのと同様に、内湖・内湾に有機物が堆積しているだけであって、内湖・内湾自体が大きな自浄作用をもっているわけではなく、また、生物的過程における浄化作用についても、水草帯の浄化作用の項で述べたように、水草の浄化機能は本質的な浄化機能とはいえず、かえって水質に対する消極面を併せ持つものである。
甲ろ二三二号証にあるように、菅沼内湖では、ホテイアオイ等の水草を植えることや、バクテリアの付着しやすい接触酸化水路を設置したり、水中に空気を送り込むエアレーション水車を設けたりして、人工的に手を加え、水草の除去、接触酸化水路の維持管理等をすることにより、初めて内湖の浄化機能を発揮できるものである。これは、水草帯の自浄作用の項で述べたのと同様、高度成長による人為的負荷量の増大により流入負荷量が多くなったため、自然による内湖の自浄作用の限界を越えているからであり、人工的浄化機能を加えない限り、内湖での浄化効果は期待できないのである。
したがって、原告らは津田江湾の人造内湖には自然の内湖と違って水の浄化機能は少ないと主張するが、内湖が人工のものか、自然のものであるかによって両者を別異に解すべき根拠は全くなく、右主張は失当である。
トについて
すべて否認する。
巻き上げにはある程度の強度の風が吹くことが必要であり、一定の気象条件とあいまって初めて生ずるものである。このため、一〇年に一度程度の確率で起こる水位低下の時期に必ず生じるものではないし、また、水位低下の期間中継続的に生じるものでもない。また、巻き上げが生じたとしても、巻き上げられた物質の多くは、風が止まれば速やかに再び沈澱するのである。
また、現実の湖沼で植物プランクトンの増殖が進むには、日照、水温、などの水質条件、他の生物種とのバランスなどの様々な条件が整うことが必要であり、巻き上げによって常に植物プランクトンの増殖が進むかのような主張を行うのは、失当である。
また、底泥中に重金属化学物質等の有害物質が含まれているとしても、それが巻き上げによりどの程度溶出するかは、不溶性か否かなどその存在形態によって異なり、再び沈下するだけのものもある。
また、有害物質の影響については、物質ごとにその濃度等を踏まえて検討しなければ議論できないのである。
7、Aについて
現在の南湖浚渫の概要は、別紙二で示した矢橋、支那、赤野井の三か所において、矢橋については最大基準水位マイナス2.5メートル、支那、赤野井については最大基準水位マイナス2.0メートルまで実施するものであり、その概算浚渫土量は、合計約八〇万立方メートルである。
南湖浚渫が水位低下対策事業であることは認める。南湖は、北湖に比して水深が浅いこと、湖底勾配も緩いことから、基準水位マイナス1.5メートルになった時に、干陸化する面積の割合が大きい。このことから、水位が低下したときの影響は、特定し得ないとはいえ、なお従前の景観等が保たれるように、一定の干陸化するおそれのある部分を浚渫するものである。
被告公団が堅田の浮御堂付近を浚渫していることは認める。
ただし、これは、琵琶湖開発事業に関する事業実施計画に含まれる水位変動に伴う対策の一環として、浮御堂付近の浚渫等琵琶湖を利用している各種施設等の機能を維持するため、公団が必要な範囲の浚渫を実施しているものである。
なお、南湖浚渫は、昭和六三年三月末には、浚渫予定土量約八〇万立方メートルのうち四二万五〇〇〇立方メートルが施工済みである。
Bについて
すべて否認ないし争う。
水草地帯の破壊による水質悪化については、「水位低下」の項(6、C、ニ)において述べたとおりである。
浚渫部分は急には深くならない。それは、浚渫に際して湖底に極端な段差をつけることがないよう、琵琶湖の水深方向の断面は、浚渫した斜面の部分が自然に近い緩い勾配となるように設計し施工している。また、その深さも二ないし2.5メートルで光合成のできる範囲であるため、浚渫区域周辺の水草からの種子等により、新たに水草が生える。したがって、水草地帯が再生しないことによる将来の水質悪化という現象は発生しない。
巻き上がりについては、「水位低下」の項(6、C、ト)において述べたとおりである。
Cについて
すべて否認ないし争う。
既に、南湖浚渫、瀬田川浚渫等は汚濁防止膜を設置し、水質汚濁に配慮した施工方法を用いて汚濁水を外部に出さずに工事を実施してきており、原告ら主張のような汚濁は現実に発生していないものである。したがって、原告らの右主張は、明らかに失当である。
Dについて
すべて否認ないし争う。
前述したように、浚渫は浚渫後の斜面が自然に近い緩い勾配になるように設計し施行されているので、原告主張のようなことは発生しない。
Eについて
すべて否認ないし争う。
8について
すべて否認ないし争う。
瀬田川浚渫は治水のための事業であり、水位低下対策のための事業ではない。
9、A、イについて
争う。
ヨシ等の水草地帯には既述のように浄化作用はなく、これによる水質悪化は発生しない。
ロについて
争う。
施行中の土砂流入に伴う水質悪化は発生しておらず今後も発生しない。
ハについて
否認ないし争う。
B、イについて
否認ないし争う。
湖岸堤は、琵琶湖の水位上昇における洪水、湛水被害を防除するために設置されたものであり、増水時における高水位を維持することを目的とするものではなく、したがって沿岸生物相を破壊することはない。なお、琵琶湖の水位についてみれば、琵琶湖開発事業の治水計画では、洪水期に備えてあらかじめ水位を下げておくものとして夏期制限水位を設けるとともに瀬田川の疎通能力の拡大を図ることにしている。
ロについて
否認ないし争う。
内湖は人工のものか、自然のものかによって、浄化作用の多少はない。いずれにせよ、高度成長による人為的負荷量の増大に対しては自然の浄化機能は限界があり、人工的な浄化のための施設(エアレーション水車等)を設けて、はじめて内湖の浄化は可能となるものである。
10、Aについて
請求原因9、Aの項の認否と同様であるから、ここに引用する。
10、B、イについて
管理用道路が二車線であり、地域住民の生活道路として利用されており、一般車輛が自由に出入りできること、自動車が排気ガスを出すことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。
排気ガスを問題とするならば、交通量、排気ガス量、その拡散、湖水汚濁のメカニズム等を明らかにする必要がある。しかるに、原告らはこれらにつき何ら主張せず、具体性の欠けた主張であり、失当たるを免れない。
ロについて
すべて、否認ないし争う。
11、A、イについて
活性汚泥法が一般的な下水処理方式であり、その内容が原告主張のようなものであることは認める。
浄化センターにおいては、活性汚泥循環変法(活性汚泥法を改良し窒素除去をより効率的に可能とする処理法)に凝集沈澱砂ろ過法(凝集済を添加し、リン・SS等を除去する方法)を組み合わせた処理方式(以下「本件処理方式」という。)を用いているのである。その理由は、琵琶湖の富栄養化を防止するため、窒素、リンを可能な限り除去することにある。
浄化センターで採用している処理工程は別紙一三のとおりである。
浄化センターに流入してきた下水は、第一段階で沈砂池に送られて、その中に含まれている粗い砂等を沈澱させ、第二段階で最初沈澱池に送られて細かい砂を沈澱除去させた後、第三段階でエアレーションタンク(曝気槽)に送られる。エアレーションタンクにおける処理は、活性汚泥法を一部改良した工程であるが、ここで、下水中の有機物を分解(酸素を供給し、バクテリアの働きにより有機物を分解し、炭酸ガスなどにして除去する。)するとともに、硝化(下水中のアンモニア態窒素を酸素のある条件下でのバクテリアの働きにより硝酸態窒素にする。)し、脱窒(硝化により生成した硝酸態窒素を、酸素のない条件下でのバクテリアの働きにより窒素ガスにして除去する。)反応により、窒素をも除去するものである。そして、エアレーションタンクを通過した下水は、第四段階で最終沈澱池に送られる。
最終沈澱池に送られた下水は、エアレーションタンクで生成したバクテリアの固まりを沈澱させ、清澄な上澄み水のみが次の急速砂ろ過槽に送られる。なお、別紙一三では、最終沈澱池の後に凝集沈澱池が予定されているが、浄化センターではエアレーションタンク内で凝集剤(水中のリンと化学反応を起こして固まりを形成し、沈澱させる働きを持つ薬品)を添加し、最終沈澱池において、右凝集沈澱池の機能も持たせており、現段階では、凝集沈澱池は設置していない。急速砂ろ過槽においては、砂の層を通過させることによる微細なSSを除去し、最終的に前述の予定放流水質を満足する高度な処理水が得られるのである。
以上の処理を経た水に、最後に塩素混和池で必要に応じて塩素を注入し、滅菌した上で公共用水域に放流するのである。
一般の活性汚泥法の処理工程は、本件処理方式のうち、エアレーションタンクのうちの硝化及び脱窒、凝集剤の添加、急速砂ろ過槽の各工程がないものである。したがって、本件処理方式は、とりわけ窒素・リンの除去に実効性のある高度な方式である。
ロについて
本計画では、スラッジケーキが日量約七〇〇トン排出され、それが焼却されて日量約一〇〇トンの焼却灰が排出される予定であるとの主張は否認する。すなわち本計画では農緑地利用や二次製品化等の汚泥の有効利用を考慮しているものであり、全量焼却されるとの主張は当たらない。
その余の主張は認める。
ハ、aについて
原告ら主張の事由により活性汚泥の機能が阻害される理論的な可能性があることは認めるが、本件浄化センターにおいて現実化するおそれがあると主張するのであれば、争う。
すなわち、流入水量の変動については、既設の下水道処理場の例からみて、通常の流入量の変化の程度であれば十分に対応できる範囲内にあることが実証されており、施行不良等に起因する雨水の混入については、本件流域下水道の工事に当たっては、もとよりこれを十分承知して対策を講じた上施行することとなるので、原告ら主張のような事態は生じない。
また流入水の水温については、下水道の管渠が地下に埋設されているので、流入水の水温は年間を通じてあまり変動せず、例えば既設の札幌市等極寒地域においても活性汚泥は正常に機能しており、浄化センターにおいても年間を通じて十分安定した処理能力が期待できる。また、各種機器の開発、改良により処理施設の運転管理の省力化、詳細な運転状況の把握が進められ、自動制御、人為制御により、充分適切な運転が確保される。
bについて
本件処理方式による除去率の目標値である総合除去率(除去された当該物質の率)は、総窒素約68.6パーセント、総リン約94.5パーセント、BOD約97.5パーセント、COD約九一パーセント、SS約97.9パーセントである。これに対し、一般の活性汚泥法の除去率は、総窒素約二〇パーセント、総リン約三〇パーセント、BOD約八五パーセント、COD約七〇パーセント、SS約八〇パーセントであるから、本件処理方式の除去率は、非常に高いことが分かるのである。
なお、浄化センターにおける過去三年間の実績除去率(年平均値)はいずれの項目についても目標値である総合除去率を上回っているのである。
重金属類、有害化学物質は本件処理方式によっては除去が困難であるが、そもそも、処理する前提になっていない。これらについては、発生源である事業場において下水道へ入れる前に処理し、一定の濃度以下に下げて、しかるのちに、下水道に入れているので、原告らの主張は失当である(詳細は、別にのべる。)。
細菌、ビールスについては、完全には除去できないことは認めるが、充分に安全なまでに除去している。その余は争う。
11、A、ニ、aについて
浄化センターが最大日量四六万立方メートルの工場廃水を受け入れる計画で混合処理を行うことは認める。その余は争う。
bについて
否認する。
cについて
工場排水の処理については、環境に放出せず、水及び原料の回収、再利用をはかるというクローズドシステムが環境汚染に対する抜本的対策であることが多くの人々から指摘されていること、重金属・化学物質等の捕捉、回収についても、工場内の発生源において単一物質―高濃度のものを対象とするのが容易であることはいうまでもないこと、以上いずれも認めるが、その余は争う。すなわち、下水道法によれば、特定施設の設置者は、下水道を使用する場合、下水道管理者に事前に届出を行うよう定められており、下水道管理者は事前審査の際に単一物質で高濃度の有害物質については別系統で除害施設等を設置するよう指導を行うことになるので、混合処理がクローズドシステムを妨げることはない。
また、工場事業場の排水については、前述のとおり、汚染者負担の原則に基づき、維持管理費のほか資本費を含めて使用料を算定するものとし、更に水質使用料及び水量累進使用量体系が採用されることになるので、工場等がいたずらに水量を増加させて下水道を使用することは考えられず、むしろ水使用の節減を図るものと思われる。
dについて
争う。
工場事業場の排水中の有害物質等については、除害施設等により、一定基準値まで除去されたものを下水道に受け入れることにしている。したがって、処理水や汚泥の農業利用は不可能でなく、汚泥については、土壌改良材等として農緑地利用されている例もある。
eについて
争う。
活性汚泥法は下水処理に採用されている処理方式であるばかりでなく、コークス、ガス、石油化学、各種合成化学工業等広範な化学工場から排出されるフェノールのような有機性物質にも有効な処理方式であり、また、馴致(活性汚泥が環境に順応すること)という現象もあることから柔軟性に富んだ処理方式であって、工場廃水中の有機物が活性汚泥法で処理できないとの原告らの主張は失当である。
まして、活性汚泥循環変法は、エアレーションタンクの滞留時間が通常の活性汚泥法に比べて長いことから、エアレーションタンク内の固まり(フロック)を作るような微生物(活性汚泥)に対して、えさとなる物質(有機物)の量(BOD/SS負荷)が、小さくなるという長所があり、活性汚泥法より、柔軟性に富んだ処理法である。
なお、それに加えて、凝集沈澱砂ろ過を行っているので、高度にSSを除去することができるのである。
fについて
争う。
前述のとおり工場事業場の排水に含まれている重金属については、一定基準値以下のものを下水道に受け入れるものであり、重金属で汚染されているとはいえない。
gについて
現在、下水道法で規制されている有害物質は九項目のみであることは認めるが、その余は否認ないし争う。
下水道法において、下水の排出を制限している有害物質等の物質に係る項目及びその規制値は、水質汚濁妨止法及び滋賀県公害防止条例により定められている公共用水域へ排出する場合の規制項目及び規制値と同様であり、水質汚濁防止法等において新たな項目が規制されたならば、下水道の受け入れに当たっても、直ちにその項目が規制される法体系となっているのであるから、原告らの主張は当を得たものではない。
また、原告らは、事業場工場が法令に違反することを前提として、その規制手段の有効性を論じているが、それは立法、行政による規制及び企業モラルの問題であり、浄化センター建設の許否を問題とする本訴訟においては意味がないと考えるが、その点はしばらくおくとしても、下水道法は、下水道に流入する工場事業場の排水について、特定施設の設置等の届出義務、特定施設の構造等の改善命令、下水排除の停止命令、直罰制度及び水質測定義務等の法的な規制を定めている上、更に、監視体制の確立、監督処分の励行、立入検査の実施及び監視装置等の開発・設置等により悪質下水の排除を防止することとしているので、下水道への工場排水の受け入れが、原告らの主張するように、有害物質の排水規制という観点からみて有効性に欠けるということにはならない。
hについて
否認ないし争う。
原告らは建設費が巨大化すると主張するが、流域別下水道整備総合計画指針と解説(昭和四九年建設省編)によると、日最大計画下水量五万立方メートルの下水処理場の場合下水一立方メートル当りの建設費(汚泥処理を含む二次処理)を一〇〇とすると、日一〇万立方メートルの場合は約八〇、日三三万立方メートルの場合は約六〇、日一〇〇万立方メートルの場合は約四〇となり、また、維持管理費(汚泥処理を含む二次処理)も建設費と同様の指数となることから、大規模化による利益は無視できないものである。また、一つの処理区域を細分化したとしても、発生する汚泥の総量は変わらず、むしろ集中化する方が汚泥を有効的に処理ができ、かつ、経費も安くつくのである。
また、原告らは工場排水を受け入れることにより維持費の増大、関係自治体の財政圧迫等を来たすと主張するが工場排水は一定の水質のもとに下水道に受け入れるのであるから工場排水を受入れることによって維持費が増大するとする原告らの主張は当たらないし、維持管理費は原則として下水道の使用者が負担することとされている。特に、工場事業場の排水に係る使用料については、汚染者負担の原則に基づき算定され、更に、水質使用料及び水量累進使用料体系が採用されることになるため、維持費の増大が関係自治体の財政を圧迫する事態を生ぜしめることはない。また、処理の手抜き、放流水の水質悪化をもたらすような維持管理は罰則規定もあり、下水道管理者としてできないことである。
11、A、ホについて
争う。
すでに述べたように、浄化センターでは、三次処理を含む本件処理方式で処理がされ、現に良好な結果を得ているものであり、原告らの主張は失当である。
ヘについて
原告らは、以下に主張する被告らの本件下水道整備による下流域に対する水質保全効果について、るる反論するが、すべて失当である。
被告ら主張の水質保全効果
下水道施設は、都市及び生産活動の場より排出される汚水を収集・運搬し、処理することにより、公共用水域の水質保全に積極的な役割を果たすものである。
すなわち、下水道の持つ水質保全機能には、当該下水道整備区域内の水質保全効果と当該下水道整備区域から下流の水域の水質保全効果がある。前者の水質保全効果は、下水道整備区域内における家庭・工場・事業場等から排出された汚水が、下水道施設で収集・運搬されることから、従来、河川や水路へ排出されていた汚水によるヘドロの堆積、水の腐敗などの河川・水路のドブ化が解消され、もって水質が保全されるというものである。また、後者の水質保全効果は、下水道整備区域からの汚濁物質量が下水道整備する以前よりも減少し、もって下流水域の水質を保全することである。
ところで、下水道整備区域の下流水域に対する水質保全効果がどの程度であるかについては、対象とする水域の基準点における流出汚濁負荷量を、下水道が整備されている場合とされていない場合とで対比することによって、評価することができる。
そこで、南湖の粟津地点(南湖と瀬田川の接点)を基準点として、仮に、昭和五〇年時点において、琵琶湖の流域から瀬田川等に流出する汚濁負荷量(BODを指標とする。)を湖南中部流域下水道が整備されたと想定した場合と、これが整備されない場合とに分けて試算し、これらを対比すると、下水道を整備した場合には、右流出した汚濁負荷量は、日量6.1トン、これを整備しない場合は同日量13.3トンと試算することができ、日量7.2トン軽減される。
以上のことは、下水道を完備することが琵琶湖を始めとする関連水域の水質保全を図る上で極めて重要かつ効果的であることを示し、さらには、将来時点においてたとえ流域内の社会的な状況に変化があろうとも十分期待できるものであることを示している。
なお、右試算の手順は次のとおりである。
1 水量収支及び水質の試算においては、琵琶湖の北湖については三ブロックとする、南湖については一ブロックとする各流域に分けることとする(別紙一四参照)。
2 計算フローは別紙一五のとおりであるが、以下においてこの計算手順に従い、その内容について説明を行うこととする。
まず第一に、四つの各ブロックに係る流域面積及び年間総降水量、また琵琶湖から流出する瀬田川及び琵琶湖疎水の流量等を考慮し、琵琶湖からの流出量を各ブロックに割り振った平均的な流入流出量を算定する。これは別紙一六のとおりである。
第二に、各ブロックに係る流域内の人口、工業出荷額、家畜頭数等にそれぞれの汚濁原単位を乗じてこれらの区域から発生する総汚濁負荷量を算出する。ただし、この総汚濁負荷量を算出するに当たっては、昭和五〇年の時点において既に設置されていた下水道施設、し尿処理施設、家庭用浄化槽の効果、あるいは工場事業場からの排水に適用される滋賀県公害防止条例等による排水規制の効果などを考慮することとする。これは別紙一七の表―1(以下、表を示すときは、別紙一七の表を示すものである。)のとおりである。
第三に、各ブロック境界における平均水質と流出水質とから各ブロックからの流出負荷量を算出する。
第四に、各ブロックに流入する発生負荷量と流出負荷量との比率を求め、これを各ブロックにおける総合的な浄化残率とする。これは流域内の河川内及び琵琶湖内等における自然的な浄化効果を表わす係数となるものであって、表―2のとおりである。
第五に、本件下水道整備による汚濁負荷量の削減効果を評価するために、本件下水道整備対象市町村区域について下水道が未整備の状態においてこの区域から発生する汚濁負荷が最終的に瀬田川までに流出する量を各ブロック毎の浄化残率等を用いて算出する。これは表―3の(ⅰ)のとおりである。
これに対し、仮にこの区域に本件下水道がその時点で完備されていたとした場合を試算すると、本件下水道の浄化センターにおいては、流入下水中のBODに対する計画処理除去率は約97.5パーセントであるから、これに基づき下水道施設を通じ瀬田川に流出する汚濁負荷量を算出すると、表―3の(ⅱ)のとおりとなる。
3 この試算結果(表―3の(ⅰ)及び(ⅱ))に明らかなように、本件下水道整備がない場合にこの区域から瀬田川に流出する汚濁負荷量は、日量約13.3トンである。一方、本件下水道が整備されたと想定した場合、これは、日量約6.1トンとなり約7.2トン軽減される。
また流域全体についてみれば、仮に他の地域における下水道整備がなく、これらの地域から流出する汚濁負荷量は変わらないとしても、本件下水道整備によって瀬田川への汚濁負荷の流出量は、日量約20.7トンから約13.5トンにと大幅に削減されることとなる。
トについて
争う。実測データからして、充分予定放流水質を維持できるものである。
予定放流水質についての被告の主張
予定放流水質とは、浄化センターから放流する処理水質の目標値である。
1 放流水に関する法規制
下水道が、公共用水域の水質保全に資するためには、下水道から河川その他の公共用水域へ放流される水の水質管理を適正に行う必要がある。
このため、下水道法では、下水道終末処理場から河川その他の公共用水域に放流される水の水質は、政令で定める技術上の基準に適合するものでなければならないと定めており(下水道法八条)、同法施行令六条一項において、下水の処理方法ごとに放流水の基準を定めている。また、同条二項においては、水質汚濁防止法三条三項の規定による総理府令により、又は同条三項の規定による条例その他の条例により、下水道法施行令六条一項の表に掲げる項目について同項の基準より厳しい排水基準(上乗せ基準)が定められ、又は、同項の表に掲げる項目以外の項目についても排水基準(横出し基準)が定められている放流水については、同項の規定にかかわらず、その排水基準を当該項目に係る水質の基準とすると定めている。
一方、下水道終末処理施設は、水質汚濁防止法二条二項、同法施行令一条で定める「特定施設」であり、下水道終末処理場は、右「特定施設」を設置する事業場であるから、その放流水については、水質汚濁防止法に基づく各種の規制を受けることになる。
さらに、滋賀県においては、「水質汚濁防止法第三条第三項の規定に基づく排水基準を定める条例」「滋賀県公害防止条例」「滋賀県公害防止条例施行規則」が制定されているから、結局、浄化センターから排出される放流水には、水質汚濁防止法により、また、同時に下水道法により、右条例・規則のいわゆる上乗せ、横出しの厳しい排水基準が適用されることとなる。これを要約すると、別紙一八のとおりである。
2 予定放流水質
浄化センターからの放流水は右に述べたように各種の法規制を受けている。しかしながら、滋賀県は、琵琶湖及び瀬田川の水質を一層清浄なものとするために、右法令上の基準より更に厳しい予定放流水質の基準の目標値を定めている。
その内容は、例えば、BOD水一リットル当たり五ミリグラム、COD水一リットル当たり一〇ミリグラム、SS水一リットル当たり六ミリグラム、総窒素水一リットル当たり一〇ミリグラム、総リン水一リットル当たり0.5ミリグラムなどというものである。
水質汚濁防止法三条一項の規定による総理府令別表第二に定めるいわゆる一律排水基準がBOD、CODとも水一リットル当たり一二〇ミリグラム(日間平均)、SS水一リットル当たり一五〇ミリグラム(日間平均)、総窒素水一リットル当たり六〇ミリグラム(日間平均)、総リン水一リットル当たり六〇ミリグラム(日間平均)であることからすると、右に述べた滋賀県の予定放流水質が極めて高い基準にあることは明らかであり、これは、下水処理技術として最高技術を採用することを前提として設定したものであり、現にこの予定放流水質の基準を更に下まわる数値で放流しているのである。
チについて
争う。
浄化センターからの放流水による瀬田川の水質への影響に関する被告らの主張は、つぎのとおりである。
1 瀬田川における環境基準
放流水の影響が考えられる瀬田川は、公害対策基本法九条の規定に基づき、昭和四六年一二月二八日、環境庁告示第五九号により定められた水質汚濁に係る環境基準のうち昭和四七年四月六日環境庁告示第七号により生活環境の保全に関する環境基準について「河川A」の類型に指定されている。そもそも、環境基準は、河川、湖沼等の公共用水域において満たされることが望ましい水質の基準を定めているものであるが、その内容は次のとおりとなっている。
まず、右基準のうちには、人の健康の保護に関する環境基準項目として、カドミウム、シアン、有機リン、鉛、クロム(六価)、ヒ素、総水銀、アルキル水銀及びPCBについての基準値が定められており、これらは、おおむね水道法四条に定める水質基準と同じ値を採っている。ただし、水銀関係及びPCBについては、魚介類の生物濃縮を通じて食品として人体に摂り入れられる場合もあるので、飲料水として摂取する場合の安全性を考慮した水質よりも更に厳しい水質基準、すなわち、魚介類の生物濃縮があっても魚介類が食品としての安全性を確保し得る基準値が定められている。
次に、生活環境の保全に関する環境基準として、河川、湖沼及び海域のそれぞれについて、自然環境保全、水道、水産、工業用水、環境保全等の利用目的に対応したいくつかの水域類型が設けられている。
右のうち河川の類型を取り上げてみると、河川AAから河川Eまでの六類型が設けられており、それぞれについて環境基準値(目標値)が定められている。これらの各類型の水質と水道利用との関係をみると、河川AAの水質を満たせば、ろ過等による簡易な浄水操作により、河川Aの水質を満たせば、沈澱・ろ過等による浄水操作により、河川Bの水質を満たせば、前処理等を伴う高度の浄化操作により、それぞれ飲料水として利用する上での適切な水質が得られるとされている。そして、その具体的な目標値として、それぞれの類型ごとに、ペーハー(水素イオン濃度)、BOD、SS、DO(溶存酸素量)及び大腸菌群数の五項目の値が定められている。
ところで、瀬田川は、先に述べたとおり、河川Aに類型指定されていることから、瀬田川の水質が当該類型に係る環境基準値を満足すれば、沈澱・ろ過等による通常の浄化操作を行うことにより、飲料水として利用する上での適切な水質を確保できるのである。
2 放流水の瀬田川への影響
瀬田川の水質は、南湖の水質と浄化センターからの放流水の影響により決まるものである。
このうち、南湖の水質については、浄化センターを含む下水道の整備により流域における汚濁負荷が大きく削減されることから、好影響を受けることは明らかである。しかし、この水質改善効果を定量的に示すためには、人口、産業の動向その他多くの条件を踏まえた複雑な計算を要する。このため、その一手法として被告らが試算した下水道整備による水質保全効果より、南湖の水質を算出して、議論を進めることとする。
まず、対象項目として、河川の代表的な汚濁指標であるBODを用い、浄化センター放流水の瀬田川への影響を検討する。
瀬田川のように、河川水(この場合、琵琶湖水)と放流水とが完全に混合して流入するとみなすことができる場合、その平均的な水質を予測するには、一般に、「単純混合方式」という計算方法が用いられる。
これは、流入する琵琶湖水と放流水とに含まれるそれぞれの汚濁の量を計算して合計し、この合計量を、琵琶湖水の量と放流水量の合計、すなわち、瀬田川を流れる全体の水量で割って、瀬田川の平均的な水質を求めるものである。すなわち、
① 琵琶湖南湖と放流水の水質濃度をそれぞれC1、C2とし、琵琶湖南湖から瀬田川に流入する量(放流水量を除く)と放流水量をそれぞれQ1、Q2とすると、瀬田川の水に含まれる汚濁量はC1×Q1+C2×Q2となり、瀬田川を流れる水量はQ1+Q2となる。
② 瀬田川の水質を、Cとすると、C=(C1×Q1+C2×Q2)/(Q1+Q2)となる。
そして、右計算法により湖南中部流域下水道の全部が完成したときにおける瀬田川の水質の予測を行ったところ、その濃度は水一リットル当たり1.48ミリグラムとなり、これは瀬田川の環境基準値水一リットル当り二ミリグラムを下回っているのである。
次に、人の健康の保護に関する環境基準についてみると、この環境基準として定められている九項目のうち、カドミウム、シアン、有機リン、クロム(六価)、鉛、ヒ素及びアルキル水銀の七項目については、前述の浄化センターの排水基準と環境基準値は同一の値に定められている。放流水が排水基準を満たすことは、前述したところであるから、放流水中の各物質により、瀬田川で環境基準値を超えることがないのは明白であり、現に右基準値を超えていないのである。
また、総水銀の環境基準値は、水一リットル当たり0.0005ミリグラム以下と定められている。一方、浄化センターからの放流水基準及び、工場、事業場から下水道への受入基準は、いずれも水一リットル当たり0.005ミリグラムと定められており、右環境基準値の一〇倍となっている。しかしながら、水銀を排出する可能性のある工場、事業場はごくわずかであることから、下水道へ受け入れる下水中の水銀濃度及び浄化センターからの放流水中の水銀濃度は、この値よりもはるかに小さくなることが容易に推認できる。
仮に、工場排水の全量に下水道への受け入れ基準と同じ値の総水銀が含まれていたとしても、浄化センターの処理計画水量に占める工場排水量は、約四六パーセントであり、家庭下水に含まれる水銀はごくわずかであるため、浄化センターの放流水の総水銀濃度は流入濃度の約半分になる。さらに、浄化センターの右の放流水を直接瀬田川に放流するとしても、浄化センターの右の放流水量が毎秒10.1立方メートルであるのに対し、瀬田川の低水流量平均値は毎秒83.9立方メートルであるので、瀬田川における総水銀濃度は約八分の一に希釈されることになる。したがって、瀬田川における総水銀濃度は、下水道の受け入れ基準の約一六分の一、すなわち、水一リットルにつき0.0003ミリグラムとなるから、このような極端な想定をした場合でさえ、容易に前記の環境基準値を満足することとなるのである。そして、現に総水銀は、瀬田川の流水から検出されていないのである。
また、PCBの環境基準値は、定められた測定方法で検出されないこととされており、この値は水一リットル当たり0.0005ミリグラム以下である。一方PCBについては、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律により、一般的に使用・製造が禁止されており、現在PCBを排出する工場・事業場は存在せず、浄化センターの放流水には含まれることはないのであるから、瀬田川で環境基準を超えるPCBが検出されないことは明白である。
これに対し、原告らは、浄化センターの放流水のBODが、排水基準値と等しい値で放流されれば、瀬田川の水質は悪化する旨主張する。
しかしながら、これまでに述べてきたように、浄化センターは、水質保全を図るという行政目的にかんがみ、排水基準よりはるかに厳しい放流水質を設定し、達成しているのであり、原告らは、このような事実をあえて無視し、何ら根拠のない主張を繰り返しているにすぎない。瀬田川でBODの環境基準を下回ることは、既に述べたとおりである(河川についてはCODの環境基準は定められていない。)。
次に、原告らは、浄化センターからの放流水により、富栄養化原因物質である窒素・リンが増加して瀬田川の水質を悪化させる、また、下流における水道の浄化処理過程において塩素の過大注入を引き起こし、有機塩素化合物の生成を増大させる旨主張する。
しかしながら、窒素・リンの排水基準値での放流を前提とする点において、まず原告らの主張は誤っている。すなわち、滋賀県は、右排水基準値を下回る予定放流水質基準を定め、現実の放流水が、右予定放流水基準を下回っていることは前述したとおりである。また、浄化処理における前塩素処理は、主に原水中のアンモニア態窒素の除去のために行われるものであるが、浄化センターでは、処理過程において流入する下水中の有機態又はアンモニア態の窒素は、ほとんどすべて硝酸態の窒素(無機態の窒素のため浄水場での浄化の対象とならない。)にまで十分酸化され、右有機態又はアンモニア態の窒素は放流水中には含まれなくなるため、下流浄水場における前塩素処理のための塩素の使用を増大させることは全くない。
さらに、原告らは、フェノール類等の五項目については、下水の放流により「水道水源の水質環境基準」を大きく超える旨主張している。
しかし、原告らが主張の根拠とする放流予定水質は、下水道への受け入れ基準の値と同じ数値を用いているものであるが、現実にはこれらの物質を排出する可能性のある工場・事業場はごく一部の業種に限定されるものであるから、実際の放流水質は、これに比してかなり低い水準になることは容易に推認できるのであり、原告らの主張は、実態を無視した根拠のないものである。
11、Bについて
東京の五八ポンプ場、八処理場で昭和四二年度から同五一年度までの一〇年間に約三万二〇〇〇件の故障が発生した旨昭和五三年度第一五回下水道研究会で報告されていることは認めるが、その余は否認ないし争う。
原告らは、工場の事故(故意によるものも含む)、不法投棄による活性汚泥の機能停止をいうが、これは、浄化センターに起因するものでなく、主張自体失当である。
また、浄化センターの設備運転の誤り、故障を主張するが、下水道施設は全国的に多くの箇所で稼動されており、すでにその運転管理については多くの経験と実績が蓄積されている。浄化センターにおいてはこれらを十分に参考にして維持管理体制を確立し、工場排水の監視や施設の維持管理をするので、運転の誤り、故障による活性汚泥の機能停止を引き起こすことは考えられない。
また、地震等の災害による浄化センターの破壊を主張するが、浄化センターの地盤は良好であり、構造物は十分な耐震性をもたせて建設するので、地震時に施設が破壊される事態は生じない。
11、C、イについて
被告県は、浚渫、造成工事の実態に際して、以下に述べるとおり、水質汚濁防止対策に最も意を払ってきたものであり、その結果、人工島造成工事に伴う濁水、湖底のかくはんによっても、現に琵琶湖及び瀬田川の水質は何ら悪影響を受けなかったのであり、原告らの右主張は、事実に反するものであるから失当である。すなわち、
1 濁水の浚渫区域外への漏出防止
被告県は、湖底土の浚渫に際し、作業船からの油の漏出の防止等を図りつつ、電気式一三〇〇馬力のポンプ式浚渫船により湖底の土砂をカッターで切り崩し、これを水とともにポンプで吸い込み、排砂管により埋立地内に輸送するという工法で行った。この作業に当たっては、浚渫船のカッターに特殊カバーを装備して堀削時の底泥の拡散防止を図るとともに、浚渫区域を汚濁防止膜で囲むことにより、底泥が浚渫区域外へ流出するのを防止した。また、埋立地内に輸送された濁水が矢板護岸の継ぎ手から万一流出した場合に備えて、護岸の周囲を取り囲む汚濁防止膜を更に敷設した。
2 濁水の処理
被告県は、造成地敷地内に送り込まれた濁水に対しては、まず、土砂及び浮遊物を早く沈澱させるため凝集剤(ポリ塩化アルミニウム)を添加した後、造成地敷地内の遊水池で沈澱させ、さらに、敷地内の最南端で最終的に余水処理を行ってから放流した。
この余水処理とは、通常の上水道の処理で行われているのと同程度の方法による処理である。すなわち、遊水池で沈澱処理をした水に更に前記凝集剤を添加し、かくはん装置でかくはん混合し、整流池を経て沈澱槽に導き、沈澱させる処理をいうのである。
この最終の余水処理が濁水処理の中心となるものであり、この処理過程を経た後の清澄な上澄み水のみを、配水管を通じて近江大橋より下流で放流したものである。
被告県は、右の浄化された処理水に含まれるSSは、水一リットル当たり一五ミリグラム以下で放流することとした。ちなみに、この値は、滋賀県公害防止条例による各種の規制値のうちでも最も厳しい値である水一リットル当たり七〇ミリグラムをはるかに下回るものである。
3 水質の監視
被告県は、以上に述べた工法で工事を実施することにより十分な濁水処理を講じたが、工事規模が大きく、また、工事期間も長期にわたることから、更に万全を期して、十分な水質監視を行うこととし、滋賀県立衛生環境センターにより、水質自動監視装置によって常時放流水の水質管理を行うとともに、放流水域の水質の観測を定期的に実施した。
4 現実の放流水の水質
放流された処理水の水質について、自動監視装置による調査を行った濁度の測定結果をSSに換算すると、乙ろ第一一四号証記載のとおりとなる。この表から、現実に放流された処理水の水質は、前記イで述べたSS水一リットル当たり二五ミリグラムをも大幅に下回る良好な水質で放流されていることが明らかである。また、この放流水の一部は、浄化センター敷地造成現場において飲料水源として利用されてきたが、通常の浄化処理のみで、十分飲料水として適合するものであった。
なお、原告らは、ヨシノボリが採れなくなったことを挙げて、浚渫工事の影響があったとし、これは凝集剤(ポリ塩化アルミニウム)の添加による影響である旨主張している。
しかし、ポリ塩化アルミニウムは、上水道の浄化処理等で広く使用されている無機性高分子凝集剤であり、魚への影響は考えられず、現実の放流水質も前述のように良好であり、ヨシノボリが採れなくなったことが浚渫工事による排水の影響とは考えられない。
また、原告らは、カルテリアというプランクトンが琵琶湖に現われたことが、工事用防護囲いの外へ濁水が流出した影響である旨主張する。
しかし、前述のように、濁水の流出防止には万全の対策を講じてきているのであるから濁水が外へ流出したとは考えられない。
ロについて
原告らは浄化センター敷地造成工事によって生じた浚渫跡地において、底層水が低酸素ないし無酸素層となり、このため高濃度の可溶性無機リン酸態リンやアンモニア態窒素が溶出し、これが浚渫水域のみならず周辺へ拡散し、周辺水域の生態系に悪影響を及ぼしているものと予測される旨主張する。
原告らの主張する底層水とは水深のどの部分を指すのか必ずしも明確ではないが、水温躍層よりも下層の水を底層水と称していると解される。ところで、浚渫跡地は深さが十数メートルあるため、春から夏にかけて水温躍層が形成されるが、この時期には底層水と上層水との混合は皆無であるため、底層水は浚渫跡地に閉じ込められて浚渫跡地以外に拡散することはない。したがって、底層水に含まれる栄養塩類は、春から夏にかけての植物プランクトンの増殖に何ら寄与しないのである。また、秋に水温躍層が消滅する時期にも、通常、水温躍層は緩慢に消滅するため、底層水は溶存酸素を十分に含む上層の水と徐々に混合される。そのため、アンモニア態窒素も徐々に希釈されることになり、また、無酸素状態において溶出した可溶性リンは、緩慢に水温躍層の消滅する際に、酸化され、再び沈澱するのである。したがって、アンモニア態窒素や可溶性リンは、秋においても植物プランクトンの増殖に及ぼす影響はほとんどないというべきである。
仮に、浚渫跡地の存在が植物プランクトンの増殖を少しは促進することがあり得るとしても、浚渫跡地の面積は南湖全体からみればごく小さい水域(約0.4パーセント)であるから、この水域の水が南湖全体に影響するとは到底考え難い。
したがって、浚渫跡地が、周辺水域の生態系に悪影響を及ぼしているとの原告らの右主張は失当である。
また、原告らは、無酸素層形成期には硫化水素の発生がみられ、悪臭を発すると主張する。
しかし、確かに無酸素層形成期には、底層水中に硫化水素の発生はみられるものの、この硫化水素は底層水中に閉じ込められるため、悪臭を発することはないのである。また、水温躍層が消滅するとき、硫化水素は上層水の溶存酸素と接して酸化されるので、このときにも悪臭を発するということもないのである。したがって、原告らの右主張もまた失当である。
さらに、原告らの主張のように、たとえ浚渫跡地に底生生物が見られないとしても、浚渫跡地の面積は南湖全体の約0.4パーセントにすぎず、これをもって南湖全体の底生生物に影響を与えるものでないことは明らかである。
ハについて
すべて否認ないし争う。
内湾及び水草地帯の浄化作用は、これまで主張してきたように、その効果は疑問があり、水質が悪化するとの原告らの主張は失当である。
ニについて
争う。
水路は、湖水の流入や、風による水の移動(吹送流)により、水の交換が、おおむね数日間に一回程度の割合で行われており、水質の悪化はない。
また、原告らは、水路に各種プランクトンが観察されること等をもって水質が悪化している旨主張する。
しかし、湖沼における有機物質による汚濁を示す代表的な指標であるCOD(化学的酸素要求量)の経年変化をみれば、造成工事初期の昭和五二年以来横這いであり、水質の悪化は認められないのである。
ホについて
原告らは、人工島の出現により、水中の有機物は垂直面に突き当たり、分解の時間も与えられずに沈積する旨主張する。しかし、そもそも、水中の有機物が護岸に突き当たり沈積するという因果関係自体、根拠のない一つの想定にすぎないのであるから、原告らの右主張は失当である。
12、Aについて
琵琶湖が近畿一三〇〇万人の飲料水源であることは認めるが、その余は争う。
Bについて
健康概念が必ずしも一義的に明確なものとはいい難いが、人間の福祉を可能な限り拡充しようとする理念的立場から、健康概念を単に肉体的に病気でないというだけでなく、精神的、社会的側面との関係においても考慮しなければならないものとして、原告ら主張の広義の健康の定義付けが行われていることは認めるが、広義の健康が、権利として判例において確立されつつあるとの主張は、争う。すなわち、
原告らが摘示する東京地裁昭和五二年二月二八日決定は、「…かかる利益(人格的利益)を第三者により侵害された場合は、被害者側、加害者側および社会的事情等を総合比較較量したうえ、当該侵害またはそのおそれが社会生活上一般に受忍すべき限度を越えていると認める時は、第三者の他人に被害を与える行為は違法となり、…」と判示し、受忍限度論を基礎として、「人格的利益」あるいは「生活利益」の侵害の受忍限度を具体的に判示しているものであって、そのほかに原告らが主張するような健康を論じているものではない。
広義の健康は、人間の福祉のための理念目標ないし努力目標であり、このことはWHO自体「こういう肉体的、精神的、社会的に完全に良好な状態というのは理想であって、われわれがたえず努力して進むべき方向を示したものである。」としていることからも明らかである。もちろん右健康概念は人間の福祉のための理念としてその意義は大きいが、右のようにWHO自身が努力目標とする健康概念を訴訟上の利益衡量を排除するほどの絶対的な権利として構成することは背理であろう。高密度化した社会的にあっては、人々は何らかの意味において他人を制約しまた他人から制約されながら共同生活を営みそしてその共同生活によって不快感(心理的苦痛)や不安感等をも受けるのであるが、他方その共同生活によって一層多くの利益・社会的福祉をも享受しているのであって、前記東京地裁の決定もこのことを前提とし、仮に生活上の利益の侵害をされることがあっても、社会生活上これを受忍しなければならない場合のあることをそれぞれ判示しているのである。
Cについて
争う。
D、イについて
争う。
ロ、aについて
琵琶湖の水を水道水を通して摂取することにより健康被害を生じるとの点は争う。
bについて
水道法上の水質基準のみでは水道水の安全は確保されないとの主張は争う。浄水処理の能力に限界のあることは認める。原告らは原水基準が法的強制力があるかのような主張をしているが、その点は争う。
被告らの主張はつぎのとおりである。
1 水道
水道とは、「導管及びその他の工作物により、水を人の飲用に適する水として供給する施設の総体」(水道法三条)であり、水の供給時の条件は、「清浄にして豊富低廉な水」(同法一条)である。そして、右にいう清浄とは、水道法四条の水質基準に適合することであり、健康に問題がなく、不快感がなく、洗濯物に色を着けず、浄水管を腐食させないことである。また、豊富とは、必要な水を断水することなく十分供給することであり、低廉とは、他の物価と比較してではなく、できるだけ安く合理的に決められる値のことである。
現在における水道の役割は、これらの条件を踏まえ、「公衆衛生の向上と生活環境の改善に寄与する」(同法一条)ことである。具体的には、浄水処理をして安全な飲料水を供給すること、これが最も重要な役割であるが、その他、洗濯、入浴等日常生活に支障を来さないための生活用水の供給、消防のための消火用水の供給、産業活動に要する水の供給、ビル用水(冷房用、水洗便所)等の都市機能を高めるための水の供給である。
2 水道水の安全性確保
水道水の安全性の確保は、水源から各家庭等の給水栓(蛇口)の水に至るまでの厳重な水質管理、適正な浄水処理、さらには、水道施設の万全な維持管理等を通じて、最終的に水道法四条で定める飲料水の水質基準を満足した水道水を供給することにより、総合的に達成されるものである。
(一) 水質管理
水道事業体は、水源である琵琶湖・淀川水系の水質の定期的な試験や主要な工場の排水の水質試験を実施し、さらに、浄水処理課程や給水栓水に至るまでの厳重な水質管理を行っている。右の一例として大阪市における状況を以下に詳述する。
(1) 水源河川並びに工場排水関係
水源関係の水質検査としては、淀川上流各河川では三二地点につき、また、工場排水は八工場の排水について毎月一回精密試験を実施している。
(2) 浄水場関係
紫島、庭窪、豊野各浄水場に関する水質検査は、平常試験、月例試験及び精密試験を実施している。
(3) 市内給水栓関係
市内給水栓水に関する水質検査は、二九か所の市内給水栓性と七か所の配水場を三コースに分け、毎日一コースの試験を実施している。
(4) 生物学的試験
琵琶湖三井寺沖と紫島、庭窪、豊野各浄水場の原水及び処理水について生物学的試験を毎月一回実施している。
(5) 配水管通水試験
配水管の新設あるいは補修並びに配水管クリーニング後の通水に際しては、その都度塩素消毒効果、その他水質判定試験を行っている。
右に述べたとおり、水道法に定める水質基準に適合する水の供給に努めており、同基準以外の項目についても、淀川流域において水源事故が発生する可能性のある物質については、過去の経験を活用して水質試験を行うなど常に先手の対策を講じているので、どの項目に対しても十分対応が可能である。
なお、突発事故が起きた場合は、淀川水質汚濁防止連絡協議会等において、各行政庁と上下流にある水道事業体が密接な連係の下に連絡体制の整備を行って対応してきている。そして、水源水質調査も行って原水水質の把握に努めており、各水道事業体が協力し合って調査回数も多く行うなど、的確な対応が十分可能である。
さらに、特に水源の水質を保全するため必要があるときには、水道法四三条により水源の水質汚濁の防止について上流府県に要請することが可能である。
(二) 飲料水の水質基準の確保
水質基準とは、水道法四条一項で、
① 病原生物に汚染され、又は、病原生物に汚染されたことを疑わせるような生物若しくは物質を含むものでないこと。
② シアン、水銀その他の物質を含まないこと。
③ 銅、鉄、フッ素、フェノールその他の物質をその許容量を越えて含まないこと。
④ 異常な酸性又はアルカリ性を呈しないこと。
⑤ 異常な臭味がないこと。ただし、消毒による臭味を除く。
⑥ 外観はほとんど無色透明であること。
と定められており、この基準に基づき、生活環境審議会水質専門部会において種々の科学的知見により検討された上で、厚生省令により具体的項目とその値が定められているものである。
これを概括的にいえば、水質基準とは、飲んで安全であること、日常生活における水使用に支障を来さないこと、及び水道施設に被害を与えないこと、という三つの観点から設定されているものであり、さらに、その時代の科学的知見により、適宜、項目の追加、基準値の改定が行われてきているものである。このような水質基準を守ることによって、これまで水道で健康上問題が生じたことはなく、また基準以外の項目(物質)によっても問題が生じたことはないのである。
(三) 次に、飲料水の安全性を確保する上で、原告らは、水道水源の水質環境基準が重要であると主張する。
まず、原告らは、水道水源の水質環境基準をいわゆる原水基準と称し、「水道水源」と「原水」とが、全く同一の概念で規定されているように混同して主張を繰り返しているが、この点はさておき、水道水源の水質環境基準に関する原告らの認識の不当性ないし誤りについて、次のとおり明らかにする。
(1) 原告らは、昭和四五年四月に、厚生省生活環境審議会公害部会の水質に係る環境基準専門委員会が、「水道水源の水質環境基準に関する報告」の中で「水道水源の水質環境基準」を定め、これがあたかも法的強制力があるかのような主張をしている。
しかし、この基準は、公害対策基本法による公共用水域の水質環境基準を定める際の厚生省内部の参考資料とされたものであり、何ら法的強制力のあるものではない。
(2) 原告らは、いわゆる原水基準こそ水道水の安全性を確保する上で極めて重要なものであり、実際、原水基準を越えた原水を浄水処理するには様々な問題が生じ、飲料水として安全性を維持することは相当な困難が予想される旨主張し、それを裏付けるものとして甲へ第一六号証を提出している。
しかし、原水基準なるものは、そもそも存在しないものであり、原告らの主張は出発点において誤りがある。そして、右書証に記載されている水質環境基準とは、公害対策基本法に基づく公共用水域に係る水質環境基準のことであり、この点において、原告らの認識には重大な間違いがある。水道水源をも含めた公共用水域の水質保全については、これまで詳細に述べてきたように、水質汚濁防止法、湖沼法及び各府県の公害防止条例等による排水の水質規制や、下水道整備等による水質保全対策、さらには、琵琶湖総合開発計画による水質保全対策等々、総合的観点に立った各種施策が従来から講じられているところである。さらに、水道事業者においても、先に述べたように、厳重な水質管理、適正な浄水処理並びに水道施設の万全の維持管理を行うことにより、水道水の安全性を確保しているのである。
以上のとおり、原水基準こそ水道水の安全性を確保する上で極めて重要であるという原告らの主張は、何ら根拠がないものといわざるを得ない。
cについて
緩速ろ過方式を廃止し、急速ろ過方式に変えたのは、淀川の水質が緩速ろ過を廃止に追い込む程に悪化したこと、急速ろ過方式は溶解性の有機物、重金属の除去については確実でないとの主張は争う。その余は認める。
これに対する被告の主張はつぎのとおりである。
現在の浄水処理方法
前述の飲料水の水質基準を確保するために、適正な手段として現在実用化されている浄水処理方法には、塩素消毒だけの方式、緩速ろ過方式、急速ろ過方式の三方式があるが、右の急速ろ過方式で対応できないものに対しては、同方式と前塩素処理、活性炭処理若しくはオゾン処理などとを組み合わせて浄水処理を行う特殊処理方式である。
大阪府を始めとする琵琶湖・淀川水系のほとんどの浄水場では、急速ろ過方式に前処理として不連続点塩素処理を組み合わせた処理方法を採用している。この急速ろ過方式の基本的特徴は、前処理として薬品による凝集沈澱を行うことであり、その特徴は、次のとおりである。
① 比較的狭い面積で大量の水を処理できること。
② 原水が高濁度の時や濁度の変動が激しい時にも適正な操作で処理能力を保持できること。
③ 人手がかからず自動化・機械化が可能であること。
そして、不連続点塩素処理は、原水水質にアンモニア性窒素を含む場合に、不連続点より過剰に塩素を加え遊離残留塩素が出るまで塩素を加えて消毒する方法をいい、都市化された淀川水系の浄水場では消毒効果の大きいこの方法によって、原水水質の悪化に対応してきた。
なお、原告らは、原水水質の悪化の象徴として、大阪市紫島水場が緩速ろ過方式から急速ろ過方式に切り換えるという事態に追い込まれた旨主張するが、右方式の切り換えは次に述べる理由によるものであり、原告らの右主張は事態を誤認したもので、失当である。
すなわち、大阪市紫島浄水場は、従前、緩速ろ過方式によって浄水処理をしていたところ、
① 原水中のアンモニア性窒素が増加した結果、硝化バクテリアによってアンモニア窒素の酸化が起こり酸素が消費され、砂層内の溶存酸素が減少し、嫌気性となるため、砂層内の鉄、マンガンが溶出してろ過水の色度が高くなったこと。
② 原水水質悪化により水中の浮遊物質が増加したため、ろ過池の目詰りを起こすようになり、ろ過砂の削り取り、補砂作業等の維持管理が次第に困難になってきたこと。
③ 河川の砂利採集規則の強化に伴い、ろ過池に必要な川砂の確保ができなくなったこと。
などの理由により、急速ろ過方式に切り換えたものである。
このように、進歩した、つまり、急速ろ過方式に不連続点塩素処理を組み合わせた現在の浄水処理方法により、琵琶湖・淀川水系の水を水道原水として浄化しているのであって、衛生的には全く問題ないのである。
dについて
争う。
原告らは、塩素の投入によりトリハロメタン等が生成増加する旨主張するが、トリハロメタンは、主として、原水中のフミン質と浄水処理過程で用いる塩素とが反応して生成されるものであり、この生成量は、①前駆物質(塩素と反応してトリハロメタンを生成するフミン質等の有機物質)の量、②水温、③ペーハー、④塩素との反応時間、⑤塩素の形態(遊離塩素によって形成される。)などに左右されるものである。
すなわち、塩素はアンモニア性窒素を分解するために注入されるのであり、これを分解した後も消毒のための塩素が残るように実際の浄水処理では塩素を注入している。トリハロメタンの生成に関与するのは、この消毒のために残る遊離塩素である。したがって、原水中のアンモニア性窒素が増加すれば、これを分解するために注入する塩素の量はこれと比例して増加するが、この増加した塩素はアンモニア性窒素を分解するために使われるのであり、最終的に残る消毒のための塩素の量は何ら変わるものではない。したがって、生成されるトリハロメタンの量は原水中のアンモニア性窒素の量には何ら左右されるものではない。このことは、八木証人が詳細かつ専門的に証言しているところである。
eについて
トリハロメタンに発ガン性のあることは認めるが、その余は争う。
原告らは塩素消毒に伴い発生するトリハロメタン(特に、クロロホルム)に発ガン性があることから、これを含む水道水が危険であるかの主張をしている。
しかし、塩素消毒は、コレラや腸チフス等の水系伝染病の病原菌の殺菌など、水道水の細菌学的な安全性を高めるために行われているものである。塩素は、消毒効果が大きく大量の水に対しても容易に消毒が可能であること、消毒剤として古くから使用されてきた実績があること、残留性が強く消毒効果を給水栓に至るまで保持させることができること、消毒効果の判定が容易にできることなど様々な利点を持っていることから、水道水においても給水栓で残留塩素が検出されることを義務付けており、消毒には塩素剤が用いられているのである。
このように、塩素は消毒剤として重要性・有効性を有するものであり、その前提に基づき、厚生省では、トリハロメタンの当面の制御目標値を年間平均水一リットル当たり0.1ミリグラムと定めているところであるが、現在、琵琶湖・淀川の水を原水としている水道水中のトリハロメタンの量はこの目標値の半分以下である。したがって、原告らの主張する危険性は誇大であるといわざるをえない。
ハ、aについて
水道法四条一項五号において、水道水に異常な臭味のないことを基準にしていること、昭和四四年四月下旬から五月下旬にかけて京都市の松ケ崎浄水場の給水区域を除く区域の水道水がカビ臭くなったことがあること、昭和四五年の五月下旬から六月中旬にかけて大津市内の膳所浄水場の給水区域においてカビ臭が発生したことがあること、その後数度同様の事態が大津市で生じたことがあること、下流の淀川から取水している大阪府、大阪市、阪神水道企業団などの各水道水も異臭を帯びたことがあること(常に異臭を帯びているかのような表現は誤りである。)は認めるが、その余は否認する。
bについて
カビ臭の発生する機構(環境要因)は、いまだ明らかにされておらず、また、カビ臭の発生と琵琶湖のいわゆる富栄養化との関係も、いまだ明らかにされていない。原告有田本人は、カビ臭発生の機構について供述するが、これは単に事象を系列的に例示しているだけで、各事象間の明確な因果関係、定量的な関係を何ら明らかにしていない。
琵琶湖においてカビ臭を生成する微生物で現在判明しているものは、藍藻類のうち、フォルミディウム・テヌェ、アナベナ、マクロスポーラ、オシラトリア・テヌイスの三種類であり、これらの微生物が分泌する臭気物質(ジオスミン、ニメチルイソボルネオール)がカビ臭の原因であると考えられている。
cについて
争う。
最近の研究によると、これらの臭気物質(ジオスミン、ニメチルイソボルネオール)には変異原性(化学物質が生物の遺伝子に作用して、選択的に化学反応を起こしたり、その分子構造の一部を変えて本来の遺伝的性質を変える働き)は、ないことが確認されている。また、カビ臭物質には、急性毒性はなく、慢性毒性についても問題はない。そして、現在のところ、カビ臭物質の濃度は非常に低く、発生期も短期間に限られているため、人が一生の間に飲む絶対量は少なく、我が国において、これまで健康上問題が起きた例はないほか、諸外国においても、古くからカビ臭発生が見られるが、それが健康上問題となった例は報告されていないのである。
さらに、水質基準では、臭味については異常がないこととなっているが、人が感知する臭気には個人差があり、その適否の判断は非常に難しいものである。
dについて
争う。
現在、琵琶湖・淀川水系のほとんどの浄水場の水道設備において、カビ臭を除去するのに最も効果的な方法の一つである粉末活性炭吸着法を暫定的措置として採用して、カビ臭除去に努力しており、諸外国でも粉末活性炭吸着法は多く採用されている。さらに、その他の脱臭方法として、吹田市では粒状活性炭吸着法が、尼崎市ではオゾン処理法が採用されており、各水道事業体は、現在実用化された処理技術によって臭気除去に努めているのである。これらの措置によりカビ臭除去の効果は上がっている。
ニ、aについて
争う。
bについて
争う。
cについて
争う。
PCB、BHC、DDTはすでに製造、使用が禁止されておりこれによる水質汚濁は考えられない。又、その他の化学物質にしても、野放しの状態で公共用水域に放出されているものではなく、現在、製造・使用されている化学物質は、その製造・使用に至るまでの段階で、「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」や、「農薬取締法」などにより厳しく規制されている。
又、環境中に存在する化学物質すべてが環境水中(原水)に存在するものではなく、環境水中(原水)に存在する可能性のある化学物質であっても、水道水中に存在する可能性のないものも多いのである。さらに、水道水源にすべての汚染源が存在するわけではなく、すべての化学物質によって水道水源が汚染されるようなことは現実的には起こり得ないのである。
右に述べたとおり、水道水源に毒物が含まれているという事実はなく、原告らの主張は誇大であり、いたずらに不安を引き起こさせようとするのみであって、何ら科学的根拠のないものであるといわざるを得ない。
dについて
争う。
重金属の大部分は人間にとって必要不可欠なものであり、問題となるのはその量の多少である。微量であっても人体に有害な重金属は、水質汚濁防止法等によって、公共用水域への排出濃度が厳しく取り締まられており、琵琶湖を水源とする水道水において、これまでその中に含まれる重金属によって問題が生じたことはない。
したがって、原告らの主張は、何ら根拠がなく、失当といわざるを得ない。
eについて
争う。
有害アオコのミクロキスティス・ビリディスの毒成分を水で抽出し、その水抽出液をマウスに腹腔内投与した場合のLD50(均一と考えられる母集団の動物の半数を死亡に至らしめる物質の量であり、急性毒性の主要な指標値)は、乾燥有毒アオコの重量で表すと、体重一キログラム当たり五〇ミリグラムであり、経口投与では、体重一キログラム当たり二〇〇ミリグラムである。したがって、アオコが大量に発生して原水一リットル当たり五〇ミリグラムのアオコが含まれているとした場合、体重五〇キログラムの人間に換算すると、LD50は、一度に二〇〇リットルの原水を飲むことに相当する。そして現実には、昭和六一年度の琵琶湖南湖唐崎沖中央のSSは最高水一リットル当たり一一ミリグラム、最低水一リットル当たり三ミリグラム、平均水一リットル当たり六ミリグラムと少なく、このSSがすべてアオコというおよそあり得ない仮定をしたとしても、前述のアオコ水一リットル当たり五〇ミリグラムという量は現在の琵琶湖のSSの約五倍であり、前記のLD50は一度に一〇〇〇リットルの原水を飲むことに相当することになる。しかし、実際には、人間は、原水ではなく、浄水処理をした水を限られた量しか飲用しないこと、アオコは、これを含む原水を浄水処理、特に、塩素処理することにより除去可能であり、その毒性も激減することなどにかんがみれば、その急性毒性については何ら問題はないといえる。
そして、アオコの毒は、難分解性でも蓄積性でもないことから、慢性毒性についても問題はないと考えられる。
また、原告らは、昭和六二年九月に琵琶湖の南湖で発生したアオコの大量発生において、毒性を有するミクロキスティス・エルギノーザの発生が確認されている旨主張している。
しかし、昭和六二年九月に琵琶湖の南湖で発生したアオコの量は、大量といえるようなものではなく、しかも、ミクロキスティス・エルギノーザには有毒なものと無毒なものがあり、ミクロキスティス・エルギノーザによるアオコが発生したからといって、それが直ちに有毒とするのは極めて短絡的である。
現在まで、水道水に関して、有害プランクトンにより衛生上問題となったことの報告例はなく、将来的にも、既述のとおり滋賀県が琵琶湖の富栄養化防止に努めていることから、衛生上問題となることはないと考えられる。
なお、鈴木証人は、水の華が発生した湖水の水を飲んで、牛、馬、羊、豚、犬などの動物が死亡した例がある旨証言しているが、これは、外国で発生した例であり、また、浄水処理がされていない湖水の水を直接飲んだ場合のことであると考えられる。
fについて
争う。
細菌については塩素消毒により滅菌でき安全であることは常識であり、また、ビールスについては、WHOは、次のように述べている。
① 原水に下水が混ざっていても濁度が一以下、ペーハー八以下、三〇分の接触後も遊離残留塩素が水一リットル当たり0.5ミリグラム以上であるという条件を守ればビールスも除去されると考えてよい。
② 塩素処理を行っていれば、し尿汚染を受けた水を原水とした場合でもビールスのない水を得ることができる。その際、塩素処理の条件は濁度が一以下、ペーハー八以下、少なくとも水一リットル当たり0.5ミリグラムで三〇分間接触させることである。
③ また、配水管内でも水一リットル当たり0.2ないし0.5ミリグラムの遊離塩素を残しておくことが望ましい。
こうしておけば配水管内で細菌、ビールスが復活することを防ぐことができ、配水管内で汚染が生じたかどうかの指標にもなる。
したがって、このような条件を守っていれば、琵琶湖・淀川水系の水道においても細菌、ビールスに対する対策は万全といえる。現在、例えば、大阪市の浄水場では凝集沈澱・砂ろ過をしており、沈澱水で既に濁度が一以下、ペーハー八以下になってる。塩素については、配水池で水一リットル当たり一ミリグラムを残すことを目標としており、また、浄水場の中では数時間の塩素との接触があるので、ビールスや細菌による問題は生じない。
ホについて
争う。
原告主張の実例は海水域のことであり、淡水である琵琶湖では同様に論じられない。
へについて
争う。
トについて
争う。
E、イについて
争う。
そもそも原告らがそこで主張する生活・文化面での被害のほとんどは、その性質上、原告ら各人に個別・具体的に帰属するべき法的利益の侵害ではなく、むしろ広く国民ないし社会全体に帰属すべき社会公共の利益が侵害されるというにすぎないものである。そうすると、法理論上、このような利益侵害は、もともと原告ら各人の個別・具体的な権利であるとする差止請求権の成立を根拠づける被害には該当しないといわなければならない。
ロについて
争う。
既述ののおり、水位がマイナス1.5メートルに低下する場合があっても、それが定常化するわけではないのであるから、琵琶湖のレクリエーション等の場としての役割は失われることはなく、また、湖底遺跡は、底泥にも覆われているため、そのほとんどについて、危険にさらされ破壊されるというようなことは起こりえないのである。
また、水位低下や本件各工事により、琵琶湖の景観に多少の変化が予想されるが、南湖浚渫を行うほか、できる限り湖浜の保全、緑地の整備等を図ることとしているため、原告らの主張とする事態には至らない。琵琶湖総合開発計画では、琵琶湖の自然環境の保全を基調に、自然環境を現代の生活様式に即応させるため、具体的には、都市公園(湖岸緑地)及び自然公園施設の整備、自然保護地域の公有化等の保全事業を計画、実施するなど、景観には十分配慮するとともに、調和のとれた豊かな人間環境を創造することとしているのである。
ハについて
争う。
原告らは、マイナス1.5メートルの水位低下の定常化を前提として立論しているが、このような事態は起こり得ないものであり、原告らの主張は、その前提において誤りがある。また、原告らは、浚渫により破壊された魚介類の産卵、生息の場としての水草帯は再生が不能であると主張する。しかし、魚介類の生息場所としての水草帯は浚渫後においても、回復が可能であり、生息場所が部分的に奪われたとしても、それは一時的現象にとどまるものである。
ニについて
争う。
ユスリカ等の昆虫の発生原因は必ずしも解明されたものとはいい難く、仮にユスリカ等の発生が湖水の富栄養化に基ずくものであるとしても、琵琶湖総合開発は湖水の水質回復のために実施するものであり、本件各工事が更に大量のユスリカ等を発生させることはない。
ホについて
すべて争う。
aについて
自動車の排気ガス規制がされているので、大気汚染に至るような状況が湖岸域で現出されることはない。
b、cについて
しかし、浄化センターで使用される重油の量は、原告らが主張する使用量の数百分の一と予想され、汚泥焼却時に発生する窒素酸化物、イオウ酸化物、悪臭物質等については、排気ガス処理装置を設置することにより大気汚染防止法及び滋賀県公害防止条例の排出基準を満たすことになるから、汚泥の焼却処分により必然的に広範な大気汚染、悪臭がもたらされるとする原告らの主張は理由がないものである。
13、Aについて
争う。
B、イについて
琵琶湖総合開発計画が近畿の住民に対し重大、かつ、広範囲な権利侵害を惹起する危険があるとの主張は、否認する。
特別措置法は、琵琶湖総合開発計画の立案、決定につき、滋賀県知事が案を作成し、内閣総理大臣が決定することにしているが、このような計画の立案、決定を立法によるべきだとする主張は、独自の見解であり採ることはできない。また、当該案の作成に当たり、滋賀県知事は、あらかじめ、公聴会を開催してその住民の意見を聴き、かつ、当該県の関係市町村の意見を聴くとともに、当該県の議会の議を経るべきものとされ、関係住民の意志の反映に遺憾のないよう措置されているのである。
更に、同計画は、琵琶湖の自然環境の保全と汚濁しつつある水質の回復を図りながら、合理的な水資源の開発利用、洪水、湛水被害の防除、地域産業の発展及び大都市周辺における観光レクリエーション利用の増進を図るため、琵琶湖及びその周辺地域の保全、開発及び管理についての総合的な施策を樹立するものである。同計画がその事業計画の遂行に伴ない近畿の住民の権利、利益に対し直接間接に規制を加えるものであるとの見解は失当である。
ロ、aについて
琵琶湖総合開発計画及び「琵琶湖開発事業に関する事業実施方針」並びに「大津湖南都市計画及び甲賀広域都市計画下水道の変更ならびに近江八幡、八日市都市計画下水道の決定」が行政裁量権の限度を踰越したもので違法であるとの主張は、争う。
bについて
琵琶湖総合開発計画が昭和四七年一二月閣議決定されたものであること、同計画が同四四年五月三〇日閣議決定された新全総と調和を保つものであること、同四五年一二月公害対策基本法(昭和四二年法律第一三二号)が改正されたこと、同四六年七月環境庁が設置されたこと、同年ごろから新全総の見直しが開始されたこと、同四七年六月「各種公共事業に係る環境保全対策について」と題する閣議了解があり、これが都道府県知事にも通達されたこと、特別措置法案の一条は、「この法律は、琵琶湖のすぐれた自然環境の保全を図りつつ、その水資源の利用とその観光資源等の利用とをあわせ増進するため」として提案されたが、衆議院通過の際に現行条文のように修正されたこと、琵琶湖の水質を保全、回復するため、下水道事業の早期かつ優先的な実施等の附帯決議が衆参両議院においてなされたこと、以上はいずれも認める。
琵琶湖総合開発計画が新全総の見直し作業、閣議了解、特別措置法案の修正、前記附帯決議を全く無視した内容であるとの主張は、争う。すなわち、琵琶湖総合開発計画は、琵琶湖の恵まれた自然環境の保全と汚濁しつつある水質の回復を図ることを基調とし、とくに水質の保全及び回復の緊要性にかんがみ、総合的な水質保全対策を講ずるものとし、必要な施策も可及的すみやかに行うものとしている。
一部の住民、学者が反対運動を行ったことは認めるが、反対意見に何ら耳をかたむけることなく、強引に計画の策定が進められたとの主張は、争う。琵琶湖総合開発計画は、各界の巾広い意見を基礎にして、十分な討議を経て、法所定の手続きに従い策定されたものである。
同計画の決定プロセスには近畿の工業用水の確保を望む下流府県の思惑や、総工費四、二六六億円の大プロジェクトに群がる土木資本の思惑がからんだこと及び住民の権利、利益が無視された政治的駆引の中で決まったとの原告らの主張は、いずれも否認する。
昭和五七年の特別措置法の延長に伴う計画の変更も、その内容はほとんど変わっていないとの主張は否認する。
昭和五七年の計画変更において、琵琶湖の水質悪化に対処するため、琵琶湖の水質保全に寄与する「下水道」、「し尿処理」事業について、窒素、リンを除去する高度処理施設の整備を図ることとされるとともに、新規事業として、「畜産環境整備施設」、「農業集落排水処理施設」、「ごみ処理施設」及び「水質観測施設」の整備事業が新たに追加され、水質保全対策が一層強化、充実されることとなった。
cについて
否認ないし、争う。
C、イについて
否認する。
ロについて
争う。
環境アセスメントに関しては、その意義、調査対象、方法などが必ずしも確立されていない段階である。
ハについて
昭和四七年六月、「各種公共事業に係る環境保全対策について」と題した閣議了解が発表され、そこには原告ら主張のような内容が含まれていること、同閣議了解の趣旨に沿い、農林、運輸、建設三事務次官連名の都道府県知事あて通達が発せられたこと、昭和四七年一二月、中公審防止計画部会が「特定地域における公害の未然防止の徹底の方策についての中間報告」を発表したこと、同四九年六月、中公審防止計画部会環境影響評価小委員会が、「環境影響評価の運用上の指針」をまとめたこと、同五〇年一二月、中公審環境影響評価制度専門委員会が「環境影響評価制度のあり方について」をまとめ、中公審の環境影響評価部会に提出したこと、我国において一般的に環境アセスメントを義務づけた法令がないこと、現在その法制化について検討が行われていること、滋賀県では、アセスメント要綱が作成され、昭和五六年三月から施行されていることは、認める。
個々の法令で環境アセスメントの義務付けが具体化されつつあること、公共企業体、行政庁等に環境アセスメントを行う法的義務があることは否認する。また、工場立地法は、公害の防止に関する調査等について規定し(同法二条)、公有水面埋立法は、免許の基準の一つとして「環境保全ニ付、十分配慮セラレタルモノナルコト」を揚げ、(同法四条)、また、免許の願書には、環境保全に関し講じる措置を記載した図書を添付することとされており(同法施行規則三条八号)、瀬戸内海環境保全臨時措置法は、特定施設の設置許可の申請書に環境に及ぼす影響についての調査結果に基づく事前評価に関する事項を記載した書面を添付すること(同法五条)等を規定しているが、以上の各法律においてこれらの規定が原告らのいう環境アセスメントを義務づけたものと評価できるかは疑問である。なお、自然環境保全法においては、環境アセスメントを明文で義務づけた規定はない。
ニについて
すべて否認する。
人間が環境の中で生活を営んでおり、環境の変化に関係を有することには、異論がない。しかし、従来の環境が一方的に変更されるならば、いかなる場合にもこれを拒否する権利が憲法一三条、二五条等により保障され、また憲法上、国及び地方公共団体に環境保全義務が課せられているとの見解は失当である。
また、国、地方公共団体に法律上環境保全義務が課せられているとの趣旨が、具体的に環境アセスメントをこれらに課しているという趣旨ならばこれを争う。公害対策基本法、自然環境保全法は抽象的な義務を宣言したのみであり、これらの規定から環境アセスメントの義務付けを引き出すことはできない。
住民に環境権、人格権にもとづき予防請求権があるとか、憲法一三条による事前の適正手続きが保障されるべきとの見解は失当である。
ホについて
すべて争う。
D、イについて
琵琶湖総合開発が予定している新規に最大毎秒四〇トンの水の供給は現実の水需要の動向から大きく乖離した計画であり、実際の必要を欠くデスク・プランであるとの主張は争う。
右新規開発水量は必要なものであり、以下においてその理由を述べる。
水資源開発の課題
水資源計画は、昭和六二年六月に策定された第四次全国総合開発計画に対応して策定された総合的な計画である。
すなわち、第四次全国総合開発計画は、我が国が二一世紀に向けて、技術革新、情報化の進展や産業構造の変化、本格的な国際化及び都市化時代を迎えるなかで、生活水準の向上、高齢化の進展、自由時間の増大等とあいまって、新たな地域課題と経済社会の変化に的確に対応し、おう盛な活力を有している今世紀中に、活力と創造性に富み、安全で美しい国土を形成し、次世紀に引き継ぐことを重要な課題とする計画である。そして、水資源計画は、第四次全国総合開発計画に適切に対応した総合的な計画であって、これからの水資源行政の基本的方向を示すものである。
以下においては、水資源計画に基づき、水需要予測の在り方及び渇水に対する考え方を述べ、これに関連して維持流量の在り方についても述べることとする。そして、これらの点に関する原告らの主張が、新規の水資源開発は行うべきでないという誤った価値判断に基づくものであることを明らかにする。
(一) 水需要予測の在り方
水資源計画は、「昭和七五年の水需要は、給水人口の増加、生活水準の向上、生産活動の拡大及び水田整備・畑地かんがいの進展等により、昭和五八年の八九二億立方メートル/年から一〇五六億立方メートル/年程度に増加すると見込まれる。このような、水需要の増加に対応するとともに、河川の豊水時にのみ取水可能な不安定取水や地盤沈下等の障害を伴う地下水の過剰採取を早急に解消するため、長期的視点に立って水資源の開発を計画的、先行的に進める。また、水資源の有効利用・保全の観点から、生活、産業等からの排水及び下水処理水の再生利用、水利用の合理化等を経済性、地域の状況等に配慮しつつ進める」というものである。
この基本的考え方に基づき、生活用水、工業用水についての水需要予測の在り方を具体的に述べ、これに関連して、渇水、水使用の抑制、節水及び不安定取水についても具体的に述べることとする。
(1) 生活用水について
水資源計画によれば、生活用水の需要量は、昭和五八年から昭和七五年まで、年平均約二パーセントの伸びで着実に増加していくものと見込まれ、近畿地方の生活用水の需要量についても、比較的緩やかではあるが、年平均約1.95パーセントの伸びで着実に増加すると見込まれる。
この生活用水の需要予測において配慮された事項のうち、大阪府及び兵庫県の人口の動向を見ると、昭和五〇年から同六〇年にかけての人口の伸びは年平均0.5パーセントの増であり、今後もこの傾向が続くと予測されているのであり、これは、今後の生活用水需要の伸びをもたらすものと推認できる。
さらに、二一世紀に向けて、生活における「豊かさ」や「利便性」、「快適性」、「健康性」等に対する国民の要望は更に高まるものと思われ、ゆとりと安心感のある質の高い健康で文化的な生活環境の整備が求められている。
また、今後、労働時間の短縮等に伴う余暇時間の増大や情報化の進展、交通網の整備等による地域間相互の多様な交流の進展等に伴い、余暇や交流の場として、文化、教育、スポーツ、観光、保養、レジャー、宿泊に係る施設等の整備、利用が促進されることが期待されるとともに、第三次産業就業者の増加に加え、職業構造においても、組織管理、運営及びサービスに従事する職種の割合が高まり、これらに伴い事務所ビル等の増加も見込まれる。
このような社会的動向を背景として、生活水準の向上、水洗便所やシャワー、全自動洗濯機、食器洗い機等の水使用の普及・利用、核家族化の進行、第三次産業の活発化及び都市化の進展等により、生活用水の需要は、二一世紀に向けて今後とも増加していくものと見込まれる。
原告らは、家庭用水の増加要因として人口の増加、世帯の細分化、水洗便所の普及、自家用風呂の普及を挙げている。
しかし、右にも述べたように、生活水準の向上に伴うシャワーや全自動洗濯機・食器洗い機などの水使用機器の普及が家庭用水増加の重要な要因として無視し得ないものであることは公知の事実であるから、家庭用水の増加要因を原告ら主張の右事実に限るのが正当でないことは明らかである。
また、原告らは、大阪市の第三次産業従業者数を例に取り、昭和四七年から同五六年の一〇年間で一割弱の増加であるから、そもそも都市活動用水を増加させる要因そのものがないと主張する。しかしながら、大阪府の第三次産業従業者数で見ると、同じ時期に26.2パーセントも増加しているのであるから、原告らの主張は、大阪府域の産業の実態を無視した誤った主張であるといわざるを得ない。
(2) 工業用水について
水資源計画によれば、今後の工業活動の展望について、「工業出荷額は、昭和五八年に二三五兆円(五五年価格)だったものが、四全総においては昭和七五年には四八〇兆円(同)程度とされ、今後とも工業活動は我が国経済社会の発展と地域振興の原動力として主要な役割を果たすものと見込まれている。その間、技術革新によって高付加価値化、知識集約化の傾向を一層強め、エレクトロニクス、新素材等の先端技術産業の立地も活発化していくものと見込まれ」と記載されている。
今後の淡水使用量(繰り返し使用される水も含んだ製造行程等で使用される水の総量。工場によっては、塩水も使用していることがあるので、淡水を特に区別して淡水使用量という。)は、工場出荷額の堅調な伸びに伴い、安定した増加基調で推移するものと見込まれる。すなわち、機械系業種や先端技術産業等の拡大が顕著となる等、技術革新を背景とした高付加価値化、知識集約化を伴いつつ産業構造の変化が進展するため、単位出荷額当たりの淡水使用量(使用水量原単位)は緩やかに低下するが、その結果、淡水使用量は全国計で昭和五八年の五五四億立方メートル毎年から昭和七五年には八九三億立方メートル毎年程度となり、工業出荷額の伸びを下回るものの着実に増加するものと見込まれる。一方、用水の再利用の程度を示す回収率(淡水使用量は、新たに河川等から取水される水量(淡水補給量)と繰り返し使用される水量(回収水量)の合計からなる。回収率は、回収水量を淡水使用量で除することによって得られる。)を見ると、大幅な回収率の向上は期待し難く、その向上は小幅にとどまるものと見込まれる。
以上をまとめると、淡水使用量は、工業出荷額の伸びを若干下回るものの安定した増加基調で推移し、一方、回収率の上昇は小幅にとどまるものと見込まれ、その結果、淡水補給量は、今後増加基調に転じ、全国計では、昭和七五年には、同五八年の一四八億立方メートル毎年から二〇八億立方メートル毎年程度と年平均約二パーセントの伸びで増加していくものと見込まれる。
以上の点について、まず、原告らは、大阪・兵庫において全体の約三分の二を占めている鉄鋼業や化学工業といった用水型工業が頭打ちとなって水需要を増加させる要因がなくなる旨主張し、証人嶋津暉之(以下「嶋津証人」という。)は、原告らの主張に沿った証言をしている。
しかしながら、右の三分の二という数値については、嶋津証人は、いったんは鉄鋼業及び化学工業のみで三分の二となる旨証言しながら、直後にこれを撤回し、繊維工業等を追加するなど、その証言内容はあいまいであり、かかる証言に基づいた原告らの右主張は、その前提において既にあいまいなものといわざるを得ない。
また、嶋津証人は、将来先端技術産業が伸びても工業用水全体の水需要を増大させる要因とはならないとし、その理由として、ICの生産工場でも、その水使用量は、用水型工業に比べ一けたから二けた低いと証言している。しかしながら、水需要予測を行う際の基本的な手本である淡水補給水量原単位(一単位の出荷額を得るのに必要な淡水補給量)で見る方法によれば、先端技術産業の水使用量は、鉄鋼業の三〇パーセントから五〇パーセントに上がるのであり、原告らの「将来先端技術産業が伸びても工業用水全体の水需要を増加させる要因とはならない」との主張は、全く当を失したものである。
なお、嶋津証人のように、ある特定の工場を例示して、その水使用量を比較して、これを一般化するという手法は、水需要予測の手法として取り上げるに足りない感覚的な議論であり、このことは、嶋津証人が水需要予測について論ずる資格に欠ける証人であるか、そうでなく事情を知りながら右のような証言に及んだのであれば、その証言全体の信ぴょう性が著しく低いものであることを示すものである。
(3) 渇水に対する考え方
水資源計画によれば、近年の気象は、少雨傾向にあるとともに、異常高温並びに昭和五三年、同五九年及び同六一年に見られるような異常少雨の多発が特徴として指摘されており、近年、渇水が全国的に頻発していることに見られるように、利水安全度が低下している。また、生活水準の向上、経済社会の高度化等に伴い、国民生活や経済社会活動において水に対する依存度が高まり、渇水による社会の受ける影響が増大している。このようなことから、二一世紀に向けて、経済社会の高度化等に対応するため、異常渇水対策の確立を図ることが必要であるとされている。
この点について、原告らは、昭和五九年渇水について、「淀川下流の方は具体的被害があまりなかった。」として、渇水対策の確立の必要性を無視している。
しかしながら、後述するように、当時、旧淀川において塩水遡上が起こり、工業用水の取水ができなくなるという具体的被害が生じたほか、大阪、阪神間の上水道においても、断水一万二二九六戸、出水不良一〇万五〇七〇戸、赤水・濁り水一万二〇四四戸、合計一二万九四一〇戸の被害が現実に生じたのである。このことについて「具体的被害があまりなかった」とするのは、浄水享受権を主張し、飲料水の水質を強調する原告らの立場に照らしてみると、矛盾というほかなく、仮にこのことをしばらくおくとしても、渇水対策の必要性を意識的にか無視する原告らは、新規の水資源開発は行うべきでないという誤った価値判断にこだわるあまり、大局を見誤ったものといわざるを得ない。
また、原告らは、水需要が増加した場合の対応策として、「万一の場合の安全率は節水の徹底で高めるべきである」と主張し、福岡市の例を引き節水の有効性を主張している。
この点については、被告らも住民に対する節水の呼び掛けは必要であると考え、あらゆる機会を通じて節水の徹底を図ってきたところである。
しかし、福岡市は、数か月に及ぶ渇水の被害を現に体験し、日常生活に甚大な被害を被ったものであり、また、同市は最近になって人口が急増したのであるが、大きな河川がなく、水需要に対応し得る水量の豊富な水源が見当たらないという地域的特徴がある。これに反し、大阪府では、過去に福岡市ほどの深刻な被害を体験したことはなく、琵琶湖という一見豊富な水源を抱え、琵琶湖に対する甘えを有する京阪神地域の住民に、福岡市ほどの節水意識を徹底させることは、かなり難しいというべきである。
そして、水資源開発に取り組むことなく、専ら節水による水利用抑制によって水需要の増加に対応するものとするならば、水利用の合理化が極限にまで達し、我が国経済社会を渇水に対し極めて脆弱な体質に追い込む結果をもたらすこととなる。このようなことは、二一世紀に生きる我々の子孫に対する取り返しのつかない罪であるというべきである。
また、渇水に苦しんだ福岡市は、節水の普及に努めている一方で、水資源開発に鋭意取り組んでいることに思いを致すべきである。
(4) 水使用の抑制、節水について
水使用の抑制、節水は、水需要予測を行うに当たって考慮すべき重要な事項であり、過去の水資源開発に関する計画においても、このことが重視されている。すなわち、「淀川水系における水資源開発基本計画」においては、水資源の利用の合理化に関する事項として次の事項を掲げている。
① 渇水の防止、回収率の向上、排水の再生利用等の促進を図り、節水に努めるものとする。
② 生活環境の設備に伴う下水処理水の放流量の増大に対応し、これを水資源として有効に再利用するための方策を推進するものとする。
③ 土地利用及び産業構造の変化に対応し、既存水利の有効適切な利用を図るものとする。
また、水資源計画においても、節水意識の高揚として、次のように述べている。
「水は、そもそも限られた資源であり、人口一人当たりでみれば決して恵まれているとはいえない我が国においては、常日頃から、利便性を損なわない範囲において水使用を節水によって極力抑制することにより、水資源の保全と水需給の緩和を図る必要がある。
また、経済社会の高度化、人口の高齢化、核家族化及び水使用の多様化に伴い、水への依存の度合が一層高まると同時に複雑性を増しつつあり、渇水に対する脆弱性が増していくことが想定されるため、供給側の安全性確保策を推進することに加えて、異常渇水時において少量の水でも最少限の社会的機能が維持できるような節水体質をもつ社会への誘導を進めていく必要がある。
生活用水の将来需要の想定に当たっても、節水意識の定着化、節水型機器の普及、水道の漏水防止等有効率の向上等を考慮したものであり、また、工業用水についても使用水量原単位の低下、回収率の向上等の水使用の合理化を見込んでいる。一方、農業用水についても水田における用水の合理化事業や畑地かんがいシステムの改善等水利用の合理化が進むものと想定している。
今後、更に節水意識の高揚及び節水型機器の普及等のためのPR活動を行うほか、水使用の合理化を促進するために、経済、福祉、教育等多面的な見地からの検討を含め、必要な措置等を積極的に講ずる必要がある。」
原告らも、水使用の抑制、節水についてその必要性、可能性を強調し、「工場内の水使用合理化についてもまだまだ合理化の余地は残っており、今後更に大幅に使用水量を減らすことが可能である。」とし、嶋津証人は、「現に、東京都では地盤沈下対策として地下水を大量にくみ上げる工場やその他の事業所に対して、水使用合理化の徹底指導をした結果、工場の使用水量は改善前の五分の一から三分の一まで減少したことがあり、行政が水使用合理化の推進に取り組めば、工場の使用水量を大幅に減らすことができる。」と証言している。
しかし、同証人が証言のよりどころとしている調査は、地盤沈下防止対策という極めて特殊な行政目的を達成するために行われた水使用合理化事例であって、地盤沈下が現に進行しているからこそ正当化される行政権の企業活動への介入であり、これが他地域にも一般化できるとは考えられない。
また、原告らが挙げる調査事例は限られた数の工場について実施したものである。この点について、嶋津証人は、大阪府下における「一二万の工場全部の工場指導することは無理でしょう。しかし、指導すべき対象というのは水をたくさん使っている工場なんです。ですから使用水量の大きい順に工場をならべて、それで行政的に可能な範囲の数を選んでそれで指導すれば工業用水全体を減らすことができると考えております。」と証言している。
しかしながら、この証言は、以下述べる理由により、失当なものといわざるを得ない。
まず、昭和六〇年工業統計調査に基づき大阪府における回収率を見ると、86.4パーセントとなっており、東京都の73.7パーセント、全国平均の74.6パーセントに比べ、既に著しく節水が進んでいるのである。このことは、水資源計画が、昭和七五年の全国平均の回収率の見込みを七六パーセント台としていることと比べると一層明らかであり、大阪府下においては、既に節水の余地は小さくなっているものといわざるを得ない。
また、大阪府下には、従業員規模一〇〇〇人以上の大規模な事業所が四四か所あり、これらの事業所が大阪府下の工業用水の淡水使用量の50.2パーセントを使用している。これらの事業所は、正に嶋津証人のいう「水をたくさん使っている工場」に当たるものといえようが、これらの事業所の回収率は既に92.7パーセントに達しており、節水は既に限界に来ているといえる。
さらに、従業員規模のやや小さい五〇〇人ないし九九九人の九一事業所及び三〇〇人ないし四九九人の一三一事業所を見ても、昭和六〇年における回収率はそれぞれ87.6パーセント、89.3パーセントと極めて高く、また、最近一〇年間の動向を見ても、微増にとどまっており、これらの事業所についても、節水は既に限界に来ているといえる。
いずれにしても、嶋津証人は、こうした事業所の水の使用実態を調査することなくして証言しているもので、同証言は説得力に乏しく、同証人の証言する方法によっても、工業用水全体を減らす余地は少ないものといわなければならない。
また、嶋津証人は、家庭用水についても、埼玉県所沢市の二〇家庭について水節約の可能性について調査した結果を引用して、三〇パーセントから四〇パーセントくらい節減できると証言している。
しかしながら、この調査は、まず、わずか二〇の家庭について実施したものであり、しかも、炊事用水の削減率は二家庭の実測結果からの推定値に基づくものである。そして、同調査にいう節水プログラムによる洗濯用水の削減率についても、全自動洗濯機のすべてに節水プログラムが付いているわけではないのである。したがって、同証言は、このような現実性に欠ける前提に基づいて節水の可能性を証言するものであって、節水の可能性を客観的に証明するに足りないものである。
なお、本来の節水とは若干異なるが、嶋津証人は、水道事業について有収率という概念を用い、大阪府は福岡市よりも有収率が低いことをもって、漏水防止対策を更に推進すれば無駄がなくなり有収率が向上すると証言している。
しかしながら、漏水防止対策の進捗の程度を見るためには、以下に述べるとおり有効率という概念を用いるのが適切である。
すなわち、水道による給水は、有収水量(生活用水、業務・営業用水、工場用水、船舶給水、他水道への分水等)、有効無収水量(水道事業用水、メーター不感水量等)及び無効水量(漏水等)に分類され、有収水量と有効無収水量を包括する概念が「有効水量」であるのであるが、有収率とは、有収水量を水道による全給水量で除した値であり、有効率とは、有効水量を水道による全給水量で除した値をいうのである。
そして、有収率は、料金収入の対象となった水の量を見るには適切であるが、いわゆる無駄水の量を計るには有効率の概念を用いる方が適切であることは当然である。
ところで、この有効率の概念を用いて、大阪府下と福岡市を比較すると、昭和五九年度において、大阪府下は有効率92.9パーセント、福岡市は有効率92.2パーセントとなっている。このことは、漏水対策については、大阪府下の方が進展していることを示しているものである。なお、有収率と有効率で結果が逆転することについては、大阪府下の方が水道事業の規模が大きく、水道事業用水を大量に用いていること等が背景にあるものと思われる。
(5) 不安定取水について
不安定取水とは、増大する水需要に水資源開発が追いつかず、渇水時には不足することを前提としつつ、水資源開発施設が近い将来に建設されること等を条件に認められる取水形態をいうものである。
嶋津証人は、安定した水利権も不安定取水も変わりないと証言するようであるが、不安定取水は、右に述べたように、渇水時には取水が制限されるものであることから、渇水が生じた場合には安定した水利権に劣後するものであり、同証言はその前提を欠くものである。
原告らは、長期水需給計画における河川不安定取水量について大き過ぎるとしてその必要性に疑問を呈しており、嶋津証人も甲ろ第二六〇号証を示しながら、右と同様の証言をしている。しかしながら、同証人がその論拠とするところは、長期の水需給の計画である「広域利水調査第二次報告」と「長期水需給計画」を単純に形式的に比較しただけのものであり、その結果、形式的整合が図られていないことのみをもって右のような証言をしているものであって、河川取水の実態及び課題を無視した憶測としか評価し得ないものである。
(二) 維持流量について
河川法は、治水、利水と並んで「流水の正常な機能が維持される」ことを同法の重要な目的の一つとして規定している(同法一条)。
維持流量とは、この目的を達成するため、舟運、漁業、景観、塩害の防止、河口閉塞の防止、河川管理施設の保護、地下水位の維持、動植物の保護、流水の清潔の保持等を総合的に考慮し、一〇年に一度程度の割合で起こる渇水時においても維持すべきであるとして定められた流量をいうのであって、極めて重要な機能を有するものである。例えば、昭和五九年の琵琶湖・淀川の大渇水時において維持流量を確保できない事態が生じ、その結果、旧淀川の工業用水に塩水化の被害が生じ、取水が不可能になるなど、顕著な被害が発生したことからしても、維持流量が重要な機能を有することは明らかである。
原告らは、何年に一度起こるかも知れない渇水のために、維持流量を確保する必要はないと主張するかのようである。しかしながら、そもそも維持流量は、右に述べたように、一〇年に一度の割合で起こる渇水対策であるから、これを確保する必要がないとの主張は、渇水対策をする必要がないというに等しく、かかる見解が正当でないことは明らかである。その上、原告らの維持流量を確保する必要がないとの主張の理由として考えられるところは、多量の水を琵琶湖から放出するならば琵琶湖の水位が低下し、水質が悪化するというにあると思料される。この前提に立つならば、維持流量を確保できないということは、すなわち、淀川の河川環境を保つことができないということを意味するものである。環境保全を守ることを最大の価値とし、琵琶湖の環境については過剰なまでの不安感を表明する原告らが、淀川の河川環境の保全の必要性について言及しないというのは、全く矛盾というほかない。
なお、原告らは、昭和五九年に起きた渇水と同程度の渇水が生じた場合に、琵琶湖総合開発完了後の枚方地点における確保流量(前述の維持流量に下流で取水されることとなっている水利権に基づく取水量を加えた流量)を維持できるように琵琶湖からの放流を続けた場合の琵琶湖の水位低下を計算し、琵琶湖総合開発計画は、河川維持用水の削減を前提として成立している計画である旨主張している。
しかしながら、まず、原告らの計算の大前提は、昭和五九年のような異常渇水について、琵琶湖総合開発完了後の枚方地点における確保流量を維持できるように琵琶湖からの放流を続けるというものであるが、この大前提自体、根本的に誤っているのである。すなわち琵琶湖開発事業による毎秒約四〇立方メートルの水資源開発は、一〇年に一度ぐらい起こる渇水を前提として、そのような渇水時においても毎秒約四〇立方メートルの取水が新たに可能となるよう行われているのである。したがって、右以上の異常渇水のような事態においては、確保流量の維持を行うことは放棄せざるを得ず、利水者間における渇水調整により、取水量を減少させることとなるのである。さらに、原告ら主張に係る琵琶湖の水位低下に関する計算の根拠は、淀川、桂川、木津川の三川合流点から枚方地点までの間において、毎秒約二〇立方メートルという相当な量(琵琶湖開発事業による開発水量毎秒約四〇立方メートルの半分に当たる。)の取水が行われていることを見落とし、この取水が枚方地点より下流で行われるものとして確保流量を算定するという基礎的な誤りを、その前提条件において犯しているものであり、このこと自体、嶋津証人が淀川水系の水利の実態について無知であることを示すものである。
また、嶋津証人は、このことについて、枚方地点の上流における取水量は、「わずかと思いました」、あるいは、「せいぜい一〇トンくらいと思いますけどね」と証言している。
この証言が、事実に反するものであり、失当なものであることはいうまでもないが、このことはしばらくおくとしても、この「一〇トン」という相当な量について、「わずか」あるいは「せいぜい」とかいう評価を下していること自体が、嶋津証人において、水管理の重要性に関する認識に全く欠け、水利行政に関するごく基礎的な知識すら持ちあわせていないことを示しているものといわざるを得ない。
以上のように、原告らの主張は、その前提自体において全く誤っており、失当であるといわざるを得ない。
ロについて
湖岸堤及びそれに併設される管理用道路の必要性はないとの主張は争う。
湖岸堤は治水対策として必要なものであり、以下、その理由を述べる。
琵琶湖、淀川の治水
1 はじめに
琵琶湖は、ほぼ滋賀県全体を流域面積とし、これに流入する一級河川は一二五河川(昭和五六年現在)に及んでいる。これら流入河川の大半は流路延長が比較的短かく、降水が比較的短時間に琵琶湖に流入する反面、琵琶湖からの出口は瀬田川のみであり、流入量に比して流出量が小さいため、大雨が続くと湖水位が上昇し、かつ、一度上昇した水位は容易に低下せず、高水位の継続日数が長いという結果になる。
したがって、琵琶湖の治水のみを考えれば、瀬田川の疎通能力を増大させることによりできるだけ湖水位を低下させ、洪水による湖周辺の被害を減少させることにより目的を達成することができる。
しかしながら、琵琶湖の治水については、琵琶湖・淀川の治水を全体として考察すべきものであって、単に琵琶湖の治水のみに着目することは正しくない。すなわち、右方法は、反面において、下流淀川の洪水被害の増大をもたらすこととなるのである。このため、琵琶湖・淀川の治水計画を策定するに当たっては、淀川水系の流域全体を見ながら、全体として水害を最小限に抑えることを目標としなければならない。
2 治水の沿革
(一) 江戸時代、湖岸の田畑が増加してくると琵琶湖の水位変動、特に湖水位の上昇が大きな問題となった。当時の琵琶湖の水位は、常時でも現在より七〇ないし八〇センチメートル程度高かったにもかかわらず、瀬田川の疎通能力は現在よりはるかに小さく、大雨が降ると湖面が上昇するのは無論のこと、いったん湖面が上昇すると、なかなか水位が下がらず、沿湖一帯が数か月も浸水するという状態であった。そこで、この瀬田川の土砂を取り除いて琵琶湖の水はけを良くしたいというのが水害に悩む沿湖農民の宿願であり、水害の苦しみから逃れようと絶えず瀬田川浚渫を訴え続けてきた。その後、明治一七年、一八年、二二年と相次いで大きな水位上昇が生じ、湖辺では田植もできない状態で、沿湖住民は、琵琶湖治水の早期実現、特に、瀬田川浚渫工事の実施を求めて、活発な運動を展開した。
一方、下流淀川沿川住民は、瀬田川浚渫工事は淀川の洪水被害の危険を増大させるものとして、瀬田川浚渫反対と淀川治水の実現を強く求めた。
このように、瀬田川改修問題は、滋賀県沿湖住民のみならず、淀川沿川全住民の関心を集める大問題となっていたのである。
この瀬田川浚渫問題を解決するため、いくつかの琵琶湖治水案が検討されたが、結局、新淀川の開削等淀川下流の治水対策との調和を図りつつ、瀬田川を浚渫して湖水位を低下させることが最良の方策であると考えられ、淀川流域全域にわたる淀川高水防御工事計画が立案された。この計画は、瀬田川の浚渫と南郷洗堰の設置、巨椋池の締切り、新淀川の開削を含む大規模なものであった。
(二) また、この淀川高水防御工事計画による工事は、「淀川改良工事」と称され、明治三三年から同四一年の間に実施された結果、瀬田川の疎通能力は増大し、湖沿岸の水害が大いに軽減されるとともに、新淀川の開削等により、下流淀川においても、明治の末から大正初期にかけては、顕著な水害は起こらなかった。
(三) しかし、大正六年一〇月の出水により、淀川を始め桂川筋、木津川筋で破堤、氾濫し、そのため「淀川改修増補工事」が実施された。
その後、本川には、大きな出水はなかったが、昭和一〇年及び同一三年に桂川出水があったため、「淀川修補工事」が実施された。
(四) また、昭和一八年から同二七年にかけては、淀川第一期河水統制事業の一環として、瀬田川浚渫が実施された。
(五) その後、空前の大洪水となった昭和二八年九月の台風一三号による出水を契機として、翌二九年に淀川水系改修基本計画が策定された。この計画の主要項目は、①琵琶湖沿岸の水害軽減、②大戸川上流の砂防強化、③宇治川付近の水害軽減、④宇治川、桂川、木津川、淀川の高水防御機能の増大というものであった。このうち、琵琶湖沿岸の水害軽減については、湖岸の水位上昇を緩和するため、瀬田川を浚渫するとともに、既存の南郷洗堰に代えて、その直下流に瀬田川洗堰を新設し、疎通能力の増大を図るというものであった。
3 淀川水系工事実施基本計画と琵琶湖の治水
(一) 淀川水系工事実施基本計画
(1) 淀川水系改修基本計画は、昭和四〇年四月一日の新河川法の施行を機に淀川水系工事実施基本計画に引き継がれた。しかし、その直後の同年九月の台風二四号より、各地で多大な被害が生じたが、琵琶湖沿岸でもその例外ではなく、湖岸の治水対策の必要性がより一層強く認識され、湖岸堤を建設する気運が高まった。また、淀川流域は国家的に枢要な地域を形成しており、一たび洪水による氾濫が起こると、人命、財産の損失は計り知れないものがある。
(2) このような流域の状況に対して、当時の淀川水系工事実施基本計画では十分な安全度を有するとはいい難く、安全度の大幅な向上が必要と考えられた。
(3) このため、昭和四六年に現在の淀川水系工事実施基本計画に改訂されたのである。本件訴訟で差止対象とされている湖岸堤の建設等は、右改訂により、淀川水系工事実施基本計画に盛り込まれたものである。
この工事実施基本計画に基づく琵琶湖の治水は、次に述べるとおりである。
(二) 琵琶湖の治水
(1) 治水対策は、流域全体を見ながら、全体として水害を最小限に抑えることを目標としなければならない。琵琶湖の治水対策も、淀川水系全体の治水対策の中で考えるべきものである。
(2) すなわち、瀬田川の疎通能力の拡大のみをもって琵琶湖沿岸の洪水被害を防ぐことは、前述したように、下流淀川の洪水被害の危険を高めることにつながることから、琵琶湖における計画高水位(治水計画において想定された洪水の時の最高水位で、この高さを中心に、河川改修・管理等が進められる。琵琶湖では、おおむね、一〇〇年に一度起こるような洪水を基に決められている。)を基準水位プラス1.4メートルとし、必要な地区については、湖岸堤を建設し、洪水被害を防ぐこととしたのである。
(3) また、琵琶湖周辺の洪水の実態は、かなり複雑である。すなわち、琵琶湖周辺の洪水と一口にいっても、琵琶湖の水位が異常に上昇して周辺に広がるもの、琵琶湖に流入する河川の氾濫によるもの、また、右河川間にある用排兼用水路の排水能力不足から生じる越水によるものがある。特に、流入河川の下流部で、用排兼用水路に枝分かれしているいわゆる尻無川(琵琶湖周辺では地形的特質から尻無川が多く存する。)では、この規模が大きくなる(地元では、これを通常「野洪水」と呼んでいる)。
さらに、この野洪水が流下して湖岸付近の低地に湛水し、排水路の疎通能力不足に加えて、琵琶湖水位の上昇により湖水が排水路に逆流する影響を受け、田面に湛水するものもある。琵琶湖周辺の洪水は、このように諸々の要因が複雑に競合して発生するのである。
(4) したがって、琵琶湖周辺の治水対策を実施する場合においては、次の方策を総合的に推進しなければならない。すなわち、①瀬田川の疎通能力の増大、②琵琶湖水位の上昇による直接浸水被害を防御するための湖岸堤の建設、③野洪水を防御するための河川改修、④低地の浸水を防御するための内水排除施設の建設等である。
これらの事業を総合的に実施しなければ、琵琶湖周辺の洪水を防御することはできないのである。
淀川水系工事実施基本計画においては、以上述べた考え方に基づき、琵琶湖の洪水防御のため、湖水位を調節して、洪水時における湖水位の低下を図るとともに、湖岸堤の建設を行い、あるいは、野洲川等の流入河川についても多目的ダム等の建設、河道の改修を行い、さらには、琵琶湖から瀬田川洗堰までの区間については、洪水時に琵琶湖の水位をできるだけ早く低下させるため、浚渫等により河積の増大を図る等の工事を実施することとしている。
(5) そして、右治水事業のうち、湖岸堤、管理用道路及び内水排除施設の各設置並びに瀬田川浚渫等が琵琶湖総合開発の見地から緊急に必要とされ、琵琶湖総合開発計画に盛り込まれ、その実現が推進されることとされたのである。
(三) 原告らは、湖岸堤設置計画に対し、湖岸の被害のうち湖水位上昇によるものはわずかであり、淀川改良工事以後は、さしたる被害はなく湖岸堤は不要で逆に湛水を招くと主張する。
しかし、淀川改良工事以後も一メートルに近い湖水位上昇が約五年に一回の割合で発生しており、右による被害がわずかであるとする原告らの主張は、失当である。
また、一〇〇年に一度という洪水を対象とした時の湖水位は1.4メートルまで上昇することに照らせば、湖岸の浸水について、原告らのいう野洪水対策や部分的な護岸対策だけでは、到底対処できるものではないことは明らかであり、湖岸堤は不要であるという原告らの主張は、認識不足に基づくものといわざるを得ない。
また、原告らは、湖岸堤を造ることによって逆に陸地の水はけを悪くし、これを排除するための内水排除施設は、能力・管理の上で、疑問であると主張する。
しかし、降雨により増量した河川の水は、湖岸堤に設置された樋門・水門を通じて通常は早い時期に琵琶湖に流入するものである。そして、各河川の洪水を集めた結果、琵琶湖の水位が上昇するのであり、その水位が上昇するころには、琵琶湖に流入する河川の水位は下がっているのが通常であり、琵琶湖の水が逆にそれらの河川に流入する状態となる。この時期に、樋門を閉じて上昇した湖水が逆流するのを防止し、湖水位上昇による被害を防止することができるのである。
以上のことから、内水排除施設は、洪水の全量を排除するものではないのであって、内水排除施設で洪水の全量を排除しなければならないかのように錯覚して逆に湛水を招くとする原告らの主張は、琵琶湖の洪水の実態を知らない一方的な憶測である。
事実、湖岸堤、内水排除施設による治水効果は、昭和六〇年六月の出水において発揮され、湖周辺の洪水防御に大いに役立ったのである。
なお、まだ事業が完成していない安曇川町は、右の出水後、内水排除施設の早期完成を望む記事を町の広報に掲載しているのである。
ハについて
本件浄化センターは過大にすぎ、水質保全対策としての効果はなく、かえって有害であるから、その必要性はないとの主張は争う。
これまでに述べたとおり、浄化センターの設置により琵琶湖、瀬田川の水質が改善されることは当然で、その必要性は明らかである。
14 Aについて
琵琶湖が原告ら主張の価値を有していることは認めるが、その余は争う。
B イについて
浄水享受権なる概念は、原告らが本訴において創出した独自の理論である。成文法主義をとる我が国の私法秩序において、他の者に対する積極的な物権的請求権類似の妨害排除権能を持ち、排他性、絶対性を備えた権利は軽々に認められるべきではない。
まず、河川法との整合性をみるに、河川法二条二項は、「河川の流水は私権の目的となることができない。」と規定し、この河川の流水には「湖沼その他の水面の停留水も含む」と解されているところ、河川の流水自体は私権の目的とならないが、その属性である清浄さについては私権の目的となるという矛盾が発生する。また、もしも、このようのものを認めるとすれば、安らかな眠りを享受する権利、質の良いテレビ番組を見る権利等次々と新しい権利が主張されることになりかねず、その結果は、私法秩序を混乱させ、著しく法的安定性を害することになるであろう。もし、何らかの被害を被っているとして権利主張をするのであるなら、実定法秩序の枠組みの中で具体的な実体法規に基づくべきものであり、浄水享受権なる権利は到底認められない。
ロについて
上水道の浄水処理で大部分の有害物質を除去できず、臭い、色などもほとんど除去できないことは否認し、上水道水源が汚染されることは、直ちに上水道すなわち飲料水が、汚染されることを意味するとの主張は争う。
人の生命健康を保護すべきとの観点からみれば、まず、浄水処理をした水道水の清浄を問題とすべきであり、原告らのように水源の清浄を出発点とするのは誤りである。すなわち、水道水が飲用に適しない状態であれば、水道事業者の浄水処理に瑕疵があるか否かをまず検討し、それに瑕疵がなければ、次の水源の水質に瑕疵があるかどうか、そして最後に水源の水質の瑕疵の原因は何かが順次問題となるのである。したがって、理屈の問題として、仮に浄水享受権なる権利が認められ、これに妨害排除権能が認められる場合を想定したときは、右の思考の順序で検討がされるべきである。またその場合、浄水享受権に基づく妨害予防請求が認められる場合があり得るとしても、予想される水源の汚濁行為のために、浄水処理をしても水道水が飲用に適しない状態にあり、これを飲用すれば健康被害が発生するという高度の蓋然性が認められるときに初めて、水源の汚濁行為の差止請求の成否が問題となるに過ぎない。
ハについて
(水道法関係)
水道法の規定により、国、地方公共団体が水源の清潔保持義務等を負っていることは認めるが、このことをもって直ちに個々の国民が水質について具体的な私権を有していると説くのは論理の飛躍である。換言すれば、行政が前記規定に反し、水質に保全を怠った場合には、行政責任を生ずることがあってもそのことを理由に個々の国民が何らかの私権を侵害されたとは到底いえない。
(刑法関係)
上水道の水源の清浄さが保護法益であるとの点は争う。
刑法一四三条は「水道ニ由リ公衆ニ供給スル飲料ノ浄水又ハソノ水源ヲ汚穢シ因テ之ヲ用フルコト能ハザルニ至ラシメタル者ハ六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス。」と規定しているが、その法文からも明らかなように、浄水やその水源を汚穢するだけでは足りず、「因テ之ヲ用フルコト能ハザルニ至ラシメタ」とき、すなわち、水道水源でいえば水道事業者が浄水処理をしても人の飲用に供することができないようにしたときに、初めて処罰の対象となるのである(故意犯に限る)。したがって、刑法一四三条等の保護法益は「上水道の水源の清浄」ではなく「公衆の健康」でありその手段として上水道の水源の清浄が求められているに過ぎず、刑法の規定は浄水享受権の根拠となるものではない。
(憲法関係)
原告らは浄水享受権の根拠として、憲法一三条、二五条を挙げるが、右規定はいずれも国の国民一般に対する責務を定めた綱領規定であり、これによって直接に個々の国民について侵害者に対する私法上の具体的請求権が発生するとは到底いえない。
ニについて
争う。
Cについて
争う。
人格権が、被侵害者に対し、侵害者に対する作為、不作為等を求める物権類似の権利と認められるためにはその権利が排他性を有する私法上の権利として実定法において承認されていなければならない。現行法上、人格権を認める規定はなく、私法上の権利として認められていない。原告らは、憲法一三条を挙げるが、憲法は国家と国民を規制するに過ぎず、私法上の権利たる人格権を認める根拠とならない。
また、人格権は概念内容が不明確であり、したがって、その要件、効果も不明確であり法的安定性を、著しく害し、到底認められない。
Dについて
争う。
環境権は、実定法上の根拠がなく(憲法は国家と国民を規制するに過ぎず、私法上の権利たる環境権を認める根拠とならない)、その内容、要件、効果、消滅事由等が抽象的で、不明確であり、到底認めることはできない。その詳細は那覇地裁昭和五四年三月二九日判決の判示するところに尽きており、それをここに引用する。
同判決は、「近時の提唱にかかる環境権とは、論者によれば、人の生活を取り巻く環境、特に大気、水、日照、静穏、景観などの自然的素材のほか、社会的諸施設や文化的遺産などの社会的、文化的環境素材は、人間生活に不可欠な要素であって、すべての国民は、よい環境を享受しかつこれを支配する権利を有するが、環境権は、すべての人が共通の財産として享受し得るという意味で、関わりのある地域住民が平等に共有するものであり、それは、絶対権であって、環境侵害の事実が存在するか、または環境破壊のおそれが存在すれば利益較量なしに侵害行為の差止が許されなければならず、侵害の存否は特定の個人に対するものだけでなく、生態系の変化を含めて総量的に評価されなければならないとされるのである。右の見解は、今日の社会状況のもとにおいて、環境価値が基本的人権の一部として優先的に保護されなければならないとの思想に発するものと解されるが、環境全体の問題は、国民ないし住民の民主的選択に従い、立法及び行政の制度を通じて公共的に管理されるべきものであって、環境に関する多様な利益の合理的調整は、当事者主義の範囲内で個別的紛争の解決のみを目的とする民事訴訟制度のよく果し得るところではない。現行法下の民事訴訟は、当事者間の紛争を、客観的な法を基準として解決する制度であり、とりわけ差止請求のように他方当事者の私権又は自由を制約するていの訴訟類型においては、個々人に割当てられた自由領域としてその範囲内では原則として権能行使の自由が保障される私権を、例外的に制約する意義を有するのであるから、一層客観的且つ明確な法的根拠と基準とを必要とするのであるが、右にいう環境なるものの観念自体、その地域的広がり、対象的広がり、各個人とのつながりの点で明確ではなく、環境に対する侵害といってもおよそ人の営為にして自然に対する侵害ないし変容に非らざるものはないのであるし、良い環境といった価値概念に至っては、その内包を規定することが困難であり、要するに環境権及びその侵害の概念の不明確さは掩い難い上、自然環境ないし地域環境が私権の目的たり得るか、絶対権且つ排他的支配権であるとすることと万人の共有であるとすることの私法上の意味内容、万人に属する権利を一部の者が行使できることの法的根拠、裁判の効力の及ぶ範囲などの点でも疑問がある。これを要するに、環境保護に優先的価値を求める環境権論には傾聴すべき点がなくはないとしても、環境権なるものを私法上の具体的な権利として構成できるかについてはなお多くの問題があり、未だ一般の承認により権利性が確立されたものともいえないので、債権者にかかる被保全権利があるとの主張には左袒し難い。」と正当に判示する。
Eについて
争う。
現行法においては、不法行為の効果について、民法七〇九条は、損害賠償請求権のみを明記しており、その方法として、民法七二二条一項は、民法四一七条を準用して、例外規定(民法七二三条)の場合を除き、金銭賠償を原則としているし、他方、妨害排除請求が可能な物権については、その種類、内容等を法定すると共に占有権についてではあるが、民法一九八条ないし二〇〇条が妨害排除請求が可能である旨明示している。すなわち、現行法体系上、不法行為は過去の損害を金銭賠償により填補するものとして構成され、差止請求権は物権などのその物の支配性から導かれているのである。したがって、あえて明文の規定に反して、不法行為に対する損害賠償の一方法としての差止請求を認め、これを更に本来の物権的請求権の領域をもカバーすべく拡張するという、二重の無理を侵して法形成すべき必要性は全く存しないのである。
F イについて
争う。
環境アセスメントの欠如に基づく差止請求権を認めた法律の規定は存しないばかりか、琵琶湖総合開発計画の策定と工事を実施するについて、被告らに環境アセスメントをすべきことを命じた法令上の規定さえ存しない。
したがって、環境アセスメントの欠如に基づく差止請求権が発生する余地はない。
ところで、裁判所法三条一項は、「裁判所は日本国憲法に特別の定めのある場合を除いて、一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。」と規定しており、右の「法律上の争訟」とは、法令を適用することによって解決しうべき具体的権利義務に関する当事者間の紛争をいうものとされている。
原告らのいうような環境アセスメントの欠如に基づく差止が認められるとした場合、一体、原告らは私法上いかなる権利に基づいて差止を求めることができるというのであろうか。仮に、原告らに住民という資格を有するだけで足り、他になんらの私法上の権利も必要でないとするならば、当事者間に具体的権利義務に関する紛争はなく、法律上の争訟は存在しないことになる。法律上の争訟に該当しない場合であって、かつ、訴えの提起が認められているものに民衆訴訟(行政事件訴訟法五条)があるが、これは、法律上の争訟に当たらないものとして、特に「法律の定める場合において、法律に定める者に限り提起することができる。」(同法四二条)のであり、こうした民衆訴訟を裁判所が裁判できるのは裁判所法三条一項にいう「その他法律において特に定める権限」に該当するからである。
本件訴訟において、原告らが差止を求めるにつき、住民という資格を有するだけで足り、他になんらの私法上の権利も必要でないとするならば、それは民衆訴訟にほかならず、行政事件訴訟法四二条により、法律に定める場合において、法律に定める者に限り提起できることとなるところ、環境アセスメントの欠如があった場合において出訴を認める法律上の規定は存しないのである。
ロについて
争う。
浄水享受権なるものが認められないことは、これまで述べてきたところであるので、それに基づく環境アセスメントの請求権もなく、差止を求めるのは失当である。
15について
すべて争う。
これに対する被告らの主張は、次のとおりである。
1 事実解明義務について
西独の判例、学説の見解を直ちに我が国の民事訴訟法の解釈にとりいれることができないことも多言を要しないところ、西独においても右義務の位置付け、法的根拠について議論が錯綜している状況であり、また、右義務の要件(特に、1番目の要件「手がかり」の訴訟上の位置付け、意味内容が間接事実なのか、主要事実の一部なのか、それともそれ以外の事実なのか等)、効果も極めて曖昧であり、到底採用できない。
また、被告らは、右義務が我が国の判例上も認知されていると主張するが、その引用する裁判例は、原告の立証により要件事実の存在について一応の推定が生じたにもかかわらず、被告において右推定の誤りであることを明らかにする間接反証をしないため、要件事実が認定されるに至ったと理解するのが妥当であり、右義務が認知されたとすることはできない。
2 立証責任の修正について
本件のような事案においては立証責任の修正がされるべきとの主張は根拠がなく採り得ない。
3 蓋然性説について
原告らは、証明の程度として、蓋然性説を採用すべきと主張し、これを採用した裁判例を挙げるが、右裁判例は蓋然性説を採用したものでなく、いずれも間接反証理論を採用したものとみるべきものである。そもそも、蓋然性説が証明度の引下げを内容とするならば、誤りといわざるを得ない。すなわち民事訴訟法上、心証の程度については、証明と疎明が明らかに区別され、法が特に疎明としている場合を除き、常に証明が必要なのである。したがって、法律上の根拠もなく証明度を引下げ、証明と疎明の間の心証でよいとすることが許されないことは明らかである。
四 被告の本案前の主張に対する原告らの反論
1 請求の趣旨第1項について
人工島造成工事が完成していることは否認し、浄化センターの施設のうち、管理本館、熱源棟が完成し、被告県が引渡しを受けていることは認めるが、その余は争う。
管理本館、熱源棟は浄化センターの施設の一部にすぎず、浄化センター全体の工事は未完成であり、その一部分のみの却下は許されない。
2 請求の趣旨第3項及び第4項について
すべて争う。
被告らの主張に対する主な反論はつぎのとおりである。
A 請求の趣旨第3項の「財政、金融上の援助」について
「財政、金融上の援助」とは、琵琶湖総合開発特別措置法一〇条にいう「財政及び金融上の援助」をさすものであり、法律上の用語に基づいた特定がなされている。この概念自体が不明確というならば法の文言自体が不明確という非難にならざるを得ないのである。被告らの主張が失当であることはいうまでもない。
B 請求の趣旨第4項の「負担金の交付」について
被告らは、被告府の支出する負担金のどの部分が浄化センター建設工事に充てられるかは特定できず、訴訟上の請求としては不特定であると主張するが、右主張は、原告らの主張を認める判決主文があった場合の執行の具体的可能性について述べたものにすぎない。右負担金が被告のいう各協定に基づくものにかぎられるのか否か、また、前記各協定に基づく負担金が他の本件浄化センター以外の工事その他に対するものと区別できるかどうかについては原告らには不明である。またこれらの協定が変更されないとも限らない。いずれにしても執行の段階で検討すれば足りることであって、請求の趣旨自体の適法不適法の問題でないことは明らかである。被告らのこの点に関する主張も失当といわざるを得ない。
3 請求の趣旨第3項の国の「補助金または負担金の交付」について
国の補助金等の交付の法律関係は、民法上の負担付贈与である。
昭和三〇年の適正化法の制定前は、民法上の負担付贈与と解されており、同法制定後もこの性質は変わっていない。なぜならば、「補助金等の交付の申請、決定等に関する事項その他補助金等に係る予算の執行に関する基本的事項を規定することにより、補助金等の交付の不正な申請及び補助金等の不正な使用の防止その他補助金等に係る予算の執行並びに補助金などの交付の決定の適正化を図る」(同法一条)とあるようにその制定目的は、補助金等の不正不当な支出の防止などをはかるというものであり、その目的実現のための規制として設けられたものである。すなわち適正化法は国の資金交付行政の根拠規範そのものではなく、その根拠規範が別にあることを前提としてその支出及び使途の適正化をはかる規則規範ということができる。このような同法施行前後を通じて、補助金交付の法律的性質は何ら変化はないといわねばならない。補助金の交付が国家の優越的な地位に基づいてなされるものではないのである。したがって適正化法は、法的に平等な私法上の負担付贈与契約中に、若干の強行規定を定めたものと解すれば充分である。このような公法的規制の存在だけをもって補助金交付を行政処分と解することはできない。
従って補助金交付の法律的な効果はすべて私法の理論によって決せられるべきであろう。補助金の交付の申請は、負担付贈与契約の申し込みであり、交付決定は契約の承認であり、交付決定の取消は契約の解除である。補助金交付決定は行政処分であるために、右補助金等の交付にあたるものについての禁止を求める請求は不適法という被告らの主張には理由がない。
仮りに、補助金等の交付決定が行政処分であるとしても、内実は負担付贈与であるから交付決定は形式的行政処分であり、これに対する不服等は抗告訴訟に限られず民事訴訟によってもよいのである。したがって、本件民事訴訟で補助金等の差止を求めることは適法である。
第三 証拠〈省略〉
理由
(本案前の主張について)
一請求の趣旨第1項について
1 浄化センター敷地造成工事について
〈証拠〉によれば、浄化センター敷地造成工事は昭和六一年八月八日に完成したことが認められる。したがって、右工事の差止を求める部分はその目的を失い、予めその請求をする必要性もなくなったもので、不適法であり、却下を免れない。
2 浄化センターの管理本館及び熱源棟の建設工事について
〈証拠〉によれば、浄化センターの施設のうち、管理本館及び熱源棟の建設工事は既に完成し、昭和五六年三月二三日には被告県が引渡しを受け、これを使用していることが認められる。
原告らは、浄化センター全体の工事は未完成であり、その一部の却下は許されないと主張するが、浄化センターの各施設のうち、その施設が独立の建物、建築物であり、他の施設と分離しているならば、完成した部分については、その一部の却下が許されると解するのが相当である。
本件においては、右証拠及び前認定の事実によれば、管理本館及び熱源棟はそれぞれ別個独立の建物で他の施設と分離されているものと認められる。
したがって、右各施設の建設工事の差止を求める部分は、第1項と同様の理由で、不適法として却下を免れない。
3 その余の本案前の主張について
便宜上、その余の本案前の主張について判断する前に、本案について判断することとする。
(本案の主張について)
二原告らの権利
1 原告らは、本件各工事(既に却下する旨を説示した部分を除く。以下同様である。)の差止請求の根拠として、数個の権利を挙げ、被告らは主張自体失当であると争うので、以下この点について判断する。
2 浄水享受権
A 原告らは、浄水享受権なる権利を主張するので、かかる権利が認められるか否かについて検討する。
B 原告らは、浄水享受権の権利内容として、「上水道水源の清浄さ」をいうが、1、水源が汚濁していても、浄水処理により、汚濁が除去され、清浄な、すなわち、飲料水、生活用水として適格な水質となれば、人の健康には影響を及ぼさない。したがって、水源の清浄さを権利内容とする必要性に乏しいこと、2、河川法二条二項により、河川の流水(湖沼その他の水面の停留水も含むと解される。)は私権の目的とならないと規定されているところからすれば、その流水の属性である清浄さも私権の目的となしがたいこと、3、水源の清浄さという属性については、多数の利害関係人、本件についていえば、琵琶湖の水は近畿一三〇〇万人に関係し(この点は当事者間に争いがない)、上流の滋賀県民、中流の京都府民、下流の大阪府民、及び府県民の中でも、それぞれの利害は異なり(たとえば、清浄さの程度、水量、上流民の清浄さを維持するための施策、費用の負担等)、仮に浄水享受権なる私権を認めた場合、これらの利害対立を調整する制度は、私権の紛争解決を図る民事訴訟とならざるを得ないが、民事訴訟はかかる利害対立の調整をするには不適当であり、したがって、私権とするよりは、立法及び行政により公法的規制に服さしめるのが適当である。このように権利内容に着目しても、種々の難点がある。
C 成文法上の根拠にしても、1、水道法上の水質保持義務は、その義務違反が行政責任を発生させても、私権を根拠づけることは難しく、2、刑法一四三条等の規定もその保護法益は「水源の清浄さ」ではなく、「公衆の健康」と解すべきもので、根拠とし難く、3、憲法一三条、二五条の規定にしても、そもそも、憲法は国家と国民との間を規制するものであり、これにより私法上の権利を基礎づけることは困難で、また、憲法二五条は、国の国民一般に対する政治的責務を定めた綱領規定であり、かかる規定からは私法上の権利の発生を根拠づけ難い。
D これまで考察したところからすれば、浄水享受権なる権利はこれを認めることはできない。
3 環境権
原告らは、本件差止請求の根拠として、環境権を主張し、その成文法上の根拠として、憲法一三条、二五条を、その内容として、権利主体は原告らを含む日本人各人であり、その共有に属し、その権利内容は、琵琶湖の自然的、社会的、文化的環境のすべてを含むとし、差止の要件は、良好な環境を悪化させることとするので、かかる環境権なるものが認められるか否かについて検討する。
まず、1、成文法上の根拠についてみるに、浄水享受権のところで憲法一三条、二五条について述べたのと同様の理由で、私法上の権利の発生を根拠づけ難い、2、権利主体についてみるに、日本人各人の共有に属するというが、その具体的意味、内容は何等主張されず不明であり、また、本件では原告ら八名が提訴しているが、かかる極く一部の者が提訴できる根拠についても何等主張されず不明である。3、権利内容も、環境という漠然としたもので明確でなく、4、良好な環境を悪化させるという差止の要件も、価値概念であり、その内容を明確に一義的にとらえることははなはだ困難である。
以上のように、環境権なる権利は、実定法上の根拠もなく、その内容、要件等が抽象的で、不明確である等の多くの難点が存し、到底認めることはできない。環境の問題は、私法上の権利義務についての紛争を解決するために設けられた民事訴訟ではなく、国民ないし住民の民主的選択に従い、立法及び行政の制度を通じて公法的規制により処理されるべきものである。
4 不法行為による差止
不法行為の効果として、差止請求権が発生するか否かについて検討するに、不法行為の効果について、民法七〇九条は、損害賠償請求権のみを明記しており、その方法として、民法七二二条一項は、民法四一七条を準用して、例外規定(民法七二三条)の場合を除き、金銭賠償を原則としており、かかる明文の規定に反して、差止請求権を認める必要性はない。原告らは差止請求権を認めない場合、財力のある者は、違法な行為(たとえば、生命侵害)をあえて行ない、後で金銭賠償をすれば足りるということになると主張するが、右主張は民事責任と刑事責任の役割分担を無視したもので、失当である。
5 環境アセスメントの欠如による差止
A 環境アセスメントの欠如自体による差止
原告らは、琵琶湖総合開発計画及びそれに基づく本件各工事は、その事前においていわゆる環境アセスメントがなされていないので、その一事をもって環境改変工事である本件各工事の差止を求めうる権利を有すると主張するので、この点について、検討する。
現在我が国には、環境アセスメントを一般的に義務付けた法令はなく、また、琵琶湖総合開発計画の策定と工事を実施するについて、被告らに環境アセスメントをすべきことを命じた法令上の規定さえ存しない。したがって、環境アセスメントが欠如していることの一事をもって、被告らの本件各工事を差止めることができるとの原告らの主張は、主張自体失当である。
これまでに、ごみ焼却場の建設工事禁止を求める仮処分申請事件等において、環境アセスメントにつき言及する裁判例があるが、その多くは、当該工事から環境被害が発生し、これにより住民の権利が侵害されることが立証された場合において、それでもなお、その工事の公共性を理由に、工事の続行を許す要件として、立地についての代替案の検討の有無、住民への誠意ある説得の有無等を論ずる際に、環境アセスメントの有無もこの要件の一つとして挙げられているものであり、当裁判所も同様の見解で、環境アセスメントの欠如の一事をもって、当該工事の差止めを認めることはできない。
B 浄水享受権に基づく環境アセスメント請求権
浄水享受権なるものが認められないことは、既に説示したところであるから、それに基づく環境アセスメントの請求権もなく、環境アセスメントの欠如による差止請求権もない。したがって、本件各工事の差止を求めることはできない。
6 人格権
A 原告らは、人格権に基づき本件各工事の差止を求め、被告らは、人格権による差止請求権は、実定法上の根拠がなく認められないと主張するので、この点について、検討する。
差止請求権(正確には、妨害排除もしくは、妨害予防請求権である)が、所有権等の物権に基づき発生することには異論がなく、その根拠は、占有権についての民法一九八条ないし二〇〇条の規定、物権がその物に対する直接の支配性を有するとの理論である。
これに対して、人格権については、私法上、その定義、要件、効果等について、直接の規定がない。しかし、個人の生命、身体の安全、自由が人間の存在に最も基本的なものであることは明らかであり、また、これらを健全に保つため日照等の生活上の利益、財産権等が保障されることが必要であることもまた明らかである。法秩序も右事実を前提としてそれらを法的に保護すべく形成され、財産権等について民法等が私法上の権利として具体的且つ詳細に規定しその保護を図っている。民法の物権の規定もその一例である。しかし、個人の生命、身体の安全、精神的自由、各種の生活上の利益については、明文の規定がなく、日照等の生活上の利益についてこれまでの裁判例により、土地、建物の所有権の内容に含まれるものとして、物権的請求権による差止により保護を図ってきた。しかし、かかる生活上の利益は所有権の内容というより、本来そこに生活する個人の生命、身体の安全と密接に係わりあったもので、その人個人に直接帰属する人格的利益であると解するのが、素直な見方であろう。したがって、これまでの裁判例により名称は異なるとはいえ、人格的利益の侵害による差止請求権は容認されていたとみることができる。
原告らは、人格権を、人間の生存のための基本である個人の生命、身体の安全、自由及び生活等に関する利益の総体であると定義し、人格権による差止請求を主張し、憲法一三条、二五条の規定をその根拠とするが、憲法は、国家と国民との間を規制するものであり、右規定から私法上の権利を基礎づけることはできない。
しかし、法秩序の中で、個人の生命、身体等と所有権等の物権といずれが重要であるかを比較すれば、個人の生命、身体等がより重要であることは明白である。民法が物権に対し差止請求権を付与しているのは、それが個人の生活を維持する手段として重要だからである。したがって、手段である物権に認められる差止請求権が、本来の目的である個人の生命、身体等の保護のために認められないと解するのは、本末転倒であるといわざるを得ない。民法一条ノ二は、「本法ハ個人ノ尊厳・・ヲ旨トシテ・・解釈スヘシ」と規定する。これは、民法が私法上個人の人格的利益を最高のものとして宣言したものと解釈できる。
以上によれば、原告ら主張の人格権による差止請求権は、肯定すべきである。
B 人格権による差止請求権の発生要件
イ 人格権に基づく差止請求権が発生するか否かは、抽象的には、被侵害者の被る(もしくは、被るであろう)人格権の侵害の程度と差止により侵害者の活動の自由を制約することにより発生する損害を比較し、侵害の程度が被侵害者の受忍限度内か否かにより決せられるべきものである。
これを本件に即して、その場所的関係で、具体的に述べれば、まず、被侵害者が生活上大部分の時間を過す場所において継続的に侵害を受け、または受ける可能性がある場合でなければならない。
したがって、たまたま旅行先で生命等の重大な侵害を受ける可能性がある場合でも、それは受忍限度内で、差止請求権は発生しないと解される。
ロ 生活、文化被害
a 漁業の衰退を除く生活、文化被害
原告らは、人格権の内容たる生活、文化被害(請求原因12、E)を受ける旨主張するが、原告辻田、同山本、同有田、同小野、同小幡は、大阪府、京都府の住民であり、生活、文化被害を受ける可能性がないことは明白であるので、同原告らの右主張は理由がない。
原告永島、同中西、同真田は、滋賀県の住民であるが、その住所地と琵琶湖との位置関係が主張の上でも、証拠の上でも、不明であり、その被害を受ける可能性が不明確であるから、理由がない。
b 漁業の衰退
原告ら主張の漁業及び漁獲物は、人格権の内容をなすものとは到底いえず、主張自体失当である。
ハ 水道水に由来する人格権侵害
原告らが、その住所において、琵琶湖の水を水源とする水道水を、飲料水、生活用水として使用していることは、当事者間に争いがない。
右事実によれば、琵琶湖の水が本件各工事により汚濁し、その中の有害物質等を水道水を通じて、原告らが摂取した場合、生命、健康等、原告らの人格権が、侵害される可能性があるので、以下においては、順次これらについて、検討する。
ニ 健康概念
原告らは、健康を「単に疾病や虚弱でないことではなく、肉体的、精神的、及び社会的に完全に良好な状態である。」として、これを広義の健康と定義しているので、まず、この点について判断する。
現代の高度に発展した社会では、人々は相互に制約し合いながら共同生活を営んでいる。かかる社会では、一方の人に利益をもたらす行為は、他方の人には不快感をもたらすことは通常の状態である。例をあげれば、ある人が自動車を運転し、それによる利益を享受すれば、他の人はその騒音により静寂という利益の喪失、またその排気ガスにより異臭、のどの不快感等の被害を受ける。しかし、かかる被害は、一定限度まで各人において受忍しなければならないことは明白である。原告らは広義の健康が侵害された場合は直ちに差止請求権が発生するとの前提でかかる概念を構築し主張しているようであるが、当裁判所は、差止請求権の発生について受忍限度論の立場をとるものであり、原告らの右主張に与するものではない。また、健康概念についても、右立場から広義の健康概念は採用しない。健康を正確に定義することはかなり困難なことであるが、あえて定義するならば、健康とは、疾病でないこと、すなわち精神病学的、生理学的に異常のないことである。
したがって、以下健康というときは、かかる定義で使用しているものである。
三立証責任、証明の程度
原告らは、西独の判例、学説で認められた事実解明義務を採用すべきであると主張し、右義務は我が国の裁判例でも認知されたというが、原告らの引用する裁判例は右義務を認めたものでなく、間接反証理論等を採用したものとみるべきであり、また、右義務の要件(特に、1番目の要件の「手がかり」の訴訟上の位置付け、意味内容が間接事実なのか、主要事実の一部なのか、それともそれ以外の事実なのか等)、効果等も曖昧であり、法的根拠も薄弱で、到底採用できない。
また、原告らは、被告県、被告公団が地方公共団体、公法人であること等を根拠にして、両被告の有する本件各工事の影響予測の資料を法廷に提出すべき義務があり、この義務に反して資料の公開を拒んでいるので、本件においては、被害発生についての立証責任の転換をするか、被害発生の擬制がなされるべきであると主張するが、両被告のかかる地位から具体的な訴訟における訴訟資料の提出義務を根拠づけることはできず、原告らの右主張も理由がない。
続いて、立証責任の修正の主張について判断するに、人格権に基づく差止における差止を求められた行為と被害との因果関係等の立証責任は不法行為と同様に被害を受け差止を求める側にあると解すべきところ、原告ら主張の事情をもってはこれを解釈で変更すべき理由を見出しがたい。原告らの引用する裁判例は、実体法上実質的理由があり、本件とは事案が異なるもので、適切でない。
つぎに、立証の程度として蓋然性説を採用すべきとの主張について検討するに、民事訴訟法は、証明の程度としては、証明と疎明とに区別され、法が特に疎明としている場合を除き、常に証明が必要なのである。そして、証明の意義は、社会の通常人が日常生活において疑いを抱かずに行動の基礎としうる程度の確信を裁判官が形成した状態をいう。したがって、法律上の根拠もなく証明度を引下げ、証明と疎明の間の心証でよいとすることが許されないことは明らかである。また、蓋然性説の位置づけも、論者によっては、証明度の引下げではなく、あくまで自由心証の枠内で心証形成の仕方を意識的に運用させるための注意的理論構成として扱い、証明度については何ら新たなものは付け加えていないとする。原告らが蓋然性説を採用したとして挙げる裁判例も蓋然性説を採用したものでなく、いずれも間接反証理論を採用したものとみるべきもので、あくまで証明度は証明を要求していると解するのが相当である。原告らの主張する蓋然性説が、証明度を引下げるものならば失当であり、採用できない。
それゆえ、将来の侵害を理由とする差止については、受忍限度を越えた侵害の発生が高度の蓋然性をもって立証できたときに、認められるものと解するのが、相当である。
四琵琶湖総合開発計画及び本件各工事の概要
本件各工事を含む琵琶湖総合開発計画の内容が、原告ら主張のとおりであること(但し、大きな経費を要する事業中に環境上大きな問題を持つものが含まれているとの点、同計画の最大の目的が新規に毎秒四〇立方メートルの水資源の開発にあるとの点を除く。)は、当事者間に争いがない。
また、被告公団が原告ら主張のとおりの公法人であり、被告県、被告公団が本件各工事の事業主体であることも、当事者間に争いがない。
五水位低下について
原告らは、「瀬田川洗堰の改築は本件水位低下をもたらし、本件水位低下は、それ自体琵琶湖の生態系を破壊し、自然の浄化能力を奪って、琵琶湖の水質を悪化させ、原告らの権利を侵害する。」、また、「マイナス0.5メートルという水位は、琵琶湖周辺に大きな影響を与えるボーダーラインとしての意味のある数字である。」と主張し、水位低下による種々の水質の汚濁事由を論じ、これに対し、被告らは、「瀬田川洗堰の改築は、直ちに水位低下をもたらすものではなく、右の改築工事と水位低下とは法的因果関係がなく、原告らの主張は、それ自体失当である。」と、主張するので、この点について、判断する。
まず、「マイナス0.5メートルという水位は、琵琶周辺に大きな影響を与えるボーダーラインとしての意味のある数字である。」との主張について検討する。
原告らは、水位低下については、提訴以来本件水位低下を問題にして、主張、立証をし、被告らはこれにたいする反駁、反証をしてきており、一〇数年が経過したことは記録上明らかであるところ、突如、弁論終結の口頭弁論期日の前回口頭弁論期日において提出、陳述の原告ら最終準備書面において、右マイナス0.5メートルの水位低下の主張がされたことも、記録上明らかである。そして、その内容も「琵琶湖周辺に大きな影響を与える」との意味が不明であり、これを明らかにする証拠もない。したがって、右主張は理由のないことが明らかである。
つぎに、本件水位低下について検討する。
本件で問題となっている瀬田川洗堰の改築は、〈証拠〉によれば、既に存するゲートの瀬田川の左岸側に、渇水時に無駄な放流をなくし、琵琶湖の水を有効に利用するため、新たな流量制御のためのゲートを設けるもので、既存のゲートには改変を加えないことは、明らかであり、そして、〈証拠〉によれば、従前のゲートを全開すれば、琵琶湖の水位はマイナス五メートル弱(ゲート設置場所の瀬田川の川底の位置まで)低下することが認められる。したがって、改築によって水位低下をさせる能力が増加するわけではなく、既存のゲートの全開によって本件水位低下を起こすことができることが認められる。また、右改築が完了しても、これまで通りのゲート操作をする限り、本件水位低下が発生しないことも弁論の全趣旨から明らかである。したがって、本件水位低下が発生するのは、瀬田川洗堰の改築完了の後、毎秒約四〇立方メートルの水資源の開発のために、琵琶湖の利用低水位をマイナス1.5メートル、補償対策水位をマイナス2.0メートルとし、非常渇水時における瀬田川洗堰の操作については、関係府県知事の意見を徴し、建設大臣がこれを決定することとするところの、昭和四七年九月二一日総理府告示第四五号「淀川水系における水資源開発基本計画」、昭和四七年一二月一六日建設大臣の水資源開発公団への指示(建設省告示河開発第七一号の五)、昭和四八年一月一八日建設省告示第一〇七号により公表の「琵琶湖開発事業に関する事業実施方針」、昭和四八年二月二七日建設大臣の認可した「琵琶湖開発事業に関する事業実施計画」に基づく、瀬田川洗堰のゲート操作をした場合である。それゆえ、本件水位低下を発生させるのは、淀川水系における水資源開発基本計画等であり、本件水位低下と瀬田川洗堰の改築工事とは法的因果関係はなく、原告らの主張する本件水位低下による種々の水質の汚濁事由(請求原因7、Bの水位低下による巻上がりを原因とする水質悪化も含む)は、本件訴訟の争点たり得ず、理由がないことは明白である。
原告らは、煙突建設工事の完成と排煙の比喩を使い、反論するが、既に従前の施設が存在する事案である本件とは、前提たる事実が異なり、失当たるを免れない。
六富栄養化による有害プランクトンの発生の可能性による原告らの健康被害の可能性
1 富栄養化とは
当事者間に争いのない富栄養化の定義(請求原因4、A、イ)、〈証拠〉によれば、つぎの事実が認められる。
富栄養という用語は、元来は、水中の栄養塩類(窒素、リン)等の増加に伴う藻類生産の増加を中心とする水域生態系の変化、すなわち、プランクトン類の異常発生などを表す陸水学上の用語(以下、元来の定義という)である。それは湖水が水生生物の栄養素である栄養塩類等により肥沃化していく現象を示し、これは、自然条件の下で非常に緩慢に進み、これによりいずれ湖は沼になり、さらに草原へと変化していく。
ところが近年においては、富栄養化という用語は、自然界から流入する栄養塩類のほかに、都市や産業活動の活発化に伴って栄養塩類が多量に加わることになって、湖・湾・内海における富栄養化速度が人為的に加速される現象(以下、近年の定義という、以下、富栄養化というときは、特に示さない限り、近年の定義である)を示すために使われている。
富栄養化が起きた場合、湖水にはつぎのような変化が起こる。すなわち、まず、植物プランクトン、特に、藍藻類が異常に繁殖し、その結果、湖水は緑褐色に濁る。このような変化はさらに他の生物の増殖をよび、またある種の生物の生息を抑制することにもなる。これらの死骸はバクテリアによって酸化分解されるが、その際に水中の酸素が多量に消費されるので、湖底付近の溶存酸素は激減することになる。極端な場合は底生生物はそのため窒息死し、嫌気性腐敗に基く悪臭ガスがブクブクと発生するようになる。
貧栄養湖と富栄養湖の特徴を比較すると一般的には、別紙四のとおりである。但し、窒素については、曖昧な点があり、例えば、別紙四では0.15ミリグラムパーリットルとなっているが、原告らは富栄養化の指標の項(請求原因4、A、ロ)では、0.2ミリグラムパーリットルと主張し、原告ら自身明確な判断基準を有してはいないのではないかと思われ、また、富栄養化等の立証のための証人鈴木紀雄の証言(第四六回三丁裏以下)においても、窒素の増加が富栄養化につながるか否かとの質問に対し、「つながる場合もあるし、つながらない場合もある」と供述し、曖昧なままに終っている。同証人の作成にかかる論文(甲ろ第五一号証)においても、「一般には、窒素は0.2PPM、リンは0.02PPM以上になると富栄養湖になるといわれている」と記述しているのみで、明確さを欠いている。したがって、窒素については、ある程度幅が在り、0.15ないし0.2ミリグラムパーリットル前後が基準となろう。
要するに、富栄養化現象は、原因面では、人為的な栄養塩類の供給の増加、現象面では水域の変化という形で大局的にはとらえられる。
以上の事実が認められる。
2 琵琶湖の富栄養化状況
A 観測項目からみた状況
〈証拠〉によれば、琵琶湖の水質の経年変化は別紙一九の水質経年変化図のとおりであることが認められ、これに反する証拠はない。
右事実によれば、各項目、年度を通じて、全体的にみれば、ほぼ横這い傾向にある。個々の項目、年度を細かく観察すれば、透明度については、北湖は変化が大きくこれといった傾向はみられないが、南湖はほぼ二メートル前後に落着いており、BODについては、北湖、南湖とも、昭和四一年から同四六年にかけて増加傾向にあり、以後同五六年までは横這い傾向にあり、以後同五九年までは横這い、もしくは、やや減少傾向にある。CODについては、北湖、南湖とも、昭和四七年から同五四年まで曲折はあるが増加しており、以後同五九年までは減少傾向にある。総窒素については、南湖は昭和四四年から同五〇年にかけて増加、それ以降は減少傾向にあり、北湖については、昭和四五年から同五六年にかけて増加し、以後は減少の傾向にある。総リンについては、北湖は昭和四六年から同五八年にかけて横這いか、わずかながら減少傾向にあり、南湖は、昭和五三年を最高にして、以降は同五八年まで減少傾向にある。特に同五四年から同五六年までの間は大きく減少している。
原告らは、琵琶湖の富栄養化の原因として滋賀県における昭和四〇年から同四五年の人口増を挙げ(請求原因4、C)、被告らもこれを認めている(原告らは、それ以外に、南湖における湖底泥の巻上げと内湖等の消滅を挙げるが、これらが富栄養化の原因との立証はない。この点については後に述べる。)。その後も、滋賀県が京都、大阪のベッドタウンとして人口増が続き、また、工場等が進出し経済発展をしていることは、公知の事実である。この結果、琵琶湖に流入する汚濁物質の量は増加し、これに伴い琵琶湖の富栄養化も進行する一方となるのが通常と思われるが、かかる状態になっていないので、この点について考えるに、昭和四五年には水質汚濁防止法が制定され、同四七年には滋賀県公害防止条例の全面改正、同五四年の滋賀県の富栄養化防止条例、右条例の制定に先立つ粉せっけん使用推進運動(成立について争いのない乙い第二八号証九四ページ)等の国、滋賀県の施策がある。これらによる汚濁物質の排出規制がされ、その効果が琵琶湖の水質に反映されたものと判断される。特に、富栄養化防止条例及び右運動は、リンを規制するものであるが、その効果は昭和五四年から同五六年の南湖の総リン減少に如実に現れている。
したがって、琵琶湖の水質は、観測項目からみれば、全体としては、被告国や被告県の施策により、富栄養化の進行が阻止された状態にあると判断される。
但し、右のように富栄養化の更なる進行は阻止されているが、窒素、リンの濃度からみて、南湖は既に富栄養湖であり、北湖は富栄養湖に近い状況であることが認められる。
これに対し、原告らは、〈証拠〉に、時季別、地域別、項目別に細かくみれば、南湖東岸、中央、西岸において冬季の窒素の最大濃度が上昇傾向であるとして、確実に富栄養化が進んでいると主張するが、同証人は、窒素の増加が富栄養化につながるか否かとの質問に対し、「つながる場合もあるし、つながらない場合もある」と供述し、曖昧なままに終わっており、根拠が不明確であり、右証拠は採用できない。
その他原告らは、富栄養化が進行していると主張するが、いずれも断片的な観測結果を基にしているのみで主張を裏づけるに足りない。
B 生物相からみた富栄養化状況
原告らは、昭和五二年以降琵琶湖において大規模な赤潮、アオコが発生し、それを構成するプランクトンもウログレナ、アナベナ、アフィニス、ミクロキスティス等の種々にわたっており、ミクロキスティスに至っては毒素をもっていること等から、琵琶湖は富栄養化が進み危機的状況にあると主張するので、判断する。
右主張に添う証拠として、証人鈴木紀雄の供述がある。他方、同証人は成立について争いのない甲ろ第五一号証(同証人の論文である)において、富栄養化によるプランクトンの発生、その著しい例が赤潮であるが、これらについて、数名の学者により窒素、リン以外の原因物質について議論がされていることを紹介し、その中で挙げられた物質をみると、ケイ素、マンガン、鉄等の微量金属、ビタミンB類、炭素その他の多種類のものがある。そして、これらを総合して、「プランクトンの大発生には、これら多種多様の原因物質が存在すると考えられるが、プランクトンの種類によって大発生を招く原因物質は異なるであろうし、また、大発生の機構は単に原因物質の存在の有無や量だけによって決められる程単純ではないので、環境全体の総合的な面から大発生の機構をみてゆかなければならないであろう。」としている。
右記載内容からすれば、現時点で、プランクトンの発生等の細かなメカニズムについては、まだ、研究段階であり、確たる理論が構築、検証されている訳ではないことを推認することができる。
そして、本件においても、右状況に相応するように、原告らからは、プランクトンの発生についての細かなメカニズム等の主張も立証もない。
したがって、赤潮等の発生があっても、これにより富栄養化が従前の程度より進んだとは推認できるものではない。
右認定に反する前掲鈴木証人の供述は採用し得ないものであり、他に琵琶湖の富栄養化が進んでおり、危機的状況にあるとの主張を認めるに足る証拠はない。
C プランクトンの有害性
原告らは、昭和六二年に南湖においてミクロキィスティスを含むアオコが発生したことから、有毒プランクトンが発生したと主張するが、鈴木証人も、ミクロキィスティスは数種類あり、有毒のもの、無毒のものがあり、同一種類でも、有毒のもの、無毒のものがあると述べ、琵琶湖に発生したミクロキィスティスが有毒のものか否かは現在判明していないと供述しているのである。
また、〈証拠〉によれば、琵琶湖以外で発生したミクロキィスティスを含むアオコの毒性試験の結果では、急性毒性については、水一リットル当たり五〇ミリグラムのミクロキィスティスが含まれた水を飲んだ場合、体重五〇キログラムの人間が半数死亡する量は二〇〇リットルであり、昭和六一年度の琵琶湖南湖唐崎沖の最高SS値は一一ミリグラムパーリットルであり、これに換算するならば、約五倍の一〇〇〇リットルの水を一度に飲む必要があり、かかることは到底不可能であり、人間の生命、健康に具体的に危険があるとは到底いえないこと、更に、浄水過程の前塩素処理をすることにより右毒性は激減することが確認され、また、慢性毒性については未だ判明していない状況であることも、それぞれ認められる。
したがって、ミクロキィスティスを含むアオコの発生をもって、人の健康を害する可能性があるとは、到底いえない。また、将来、有毒プランクトンが発生するとの高度の蓋然性を認めるに足る証拠もない。
D 以上によれば、琵琶湖を全体としてみた場合、富栄養化の進行は停止している状態であり、また、琵琶湖に有害プランクトンが発生するであろうとの高度の蓋然性もないことは明白である。したがって、有害プランクトンによる健康被害の主張は理由がないといえるが、念のため本件各工事による富栄養化の進行、更に有害プランクトンの発生があり得るかについても判断する。
3 湖の自浄作用
A 原告らは、湖には自浄作用があり、それは、その過程から物理的浄化作用、化学的浄化作用、生物的浄化作用に分れ、また、水草地帯には独自の浄化作用があるとし、この内、本件各工事は生物的浄化作用、水草地帯の浄化作用を破壊すると主張するので、この点について検討する。
B 自浄作用について
イ 定義
自浄作用の概念について、その主張からすれば、「水中の物質濃度の減少」と考えていると判断でき、被告らもそれを前提に認否をしているので、自浄作用とは「水中の物質濃度の減少」と定義して、以下議論を進める。
ロ 右定義の問題点
原告らの主張するところのどの過程の浄化作用にしても、たとえ湖水中から汚濁物質が除かれても、汚濁物質が湖底なり、湖に住む生物体の形に変って存在し続ける限り、根本的な浄化といえるかの疑問がある。
ハ 生物的浄化作用については、原告らの主張自体から、生物の死亡、食物連鎖の過程において、汚濁物質が湖水中に回帰することを認めているのであり、「水中の物質濃度の減少」という定義での浄化作用からみてもその効果たるや疑問が存する。
ニ 水草地帯の浄化作用
原告らは水草地帯の役割の一として、生物的浄化作用の根幹としての生態系の維持をいうが、生物的浄化作用に前述のような疑問があるので、この面での浄化への水草地帯の役割、効果は、同様に疑問がある。
次に、その役割の二として、沈殿を挙げるが、これも水草地帯に汚濁物質を一時的に固定するのみで、根本的な浄化といえるか疑いがある。
更に、その役割の三として挙げる、特有の生物的浄化作用についてみるに、これもその主張自体から明らかなように、これらは生物体によるものであるから気温、日照、水質等、生物の活動条件に制約され、常に効果的な浄化がされるか疑問である。また、水草は湖水と空気中の炭酸ガスを取入れ光合成を行うものであるが、これは元々琵琶湖にない炭素を水草に有機物として取込み、その枯死とともに琵琶湖の汚濁物質を増加させるもので、浄化とは逆の作用を有するものである。このようにみると、その特有の生物的浄化作用についても、その効果は疑問である。
ホ ヨシ地帯の浄化量
原告らは琵琶湖の水草地帯の代表的なものであるヨシの生物学的浄化量を試算しているので、これについて判断する。
右試算は、鈴木証人がしたものであるが、同証言によれば、その試算の基となる実験については、使用した湖水のBOD、DO、プランクトン量等の水質の計測はなされず、その時期は七ないし八月で、気温は二〇数度で、実験回数は明確ではないという状況であり、客観的な科学的条件が備っている状況でなく、また、右試算の過程においては、光合成による有機物の生成量は計算外におかれたことも、同証言から明らかである。
右試算は、客観的、科学的なものとはいえず、到底採用できない。
ヘ 生物学的浄化による有機物の絶対量の減少
原告らは生物学的浄化により有機物の絶対量が減少すると主張するが、その具体的科学的な計算根拠を示さず、また、その主張するところからみても、食物連鎖により、大型の生物となり、個体数は減り、有機物は減るというが、それに伴う、生物の排泄物による汚濁を無視しており、到底採用できない。
ト 他の植物の浄化作用の例
原告らは、他の植物の浄化作用の例として、ホテイアオイやオランダガラシ等は早くから窒素やリンを吸収することがわかっており、実験的に水の浄化に用いられていると主張するので、これについて判断する。
確かに、〈証拠〉によれば、ホテイアオイ、オランダガラシ、アカウキクサを使った水の浄化実験がされ、効果のある旨報道されているが、その内容を細かくみれば、ホテイアオイ、オランダガラシの例では、その栽培するいけすの下部に絶えず空気を送り込む人為的操作を加えており、しかも、生育した水草を飼料等に再利用する研究も進めているというものであり、最終的には、その水草を除去する作業を予定しており、単に生育したまま放置する訳ではない。また、アカウキクサについては、オランダガラシの欠点である水中の窒素とリンの比が六対一でない場合リンの吸収が低下するということがなく、水中に窒素がなくなった場合は、空気中から窒素を吸収し、リンがなくなるまで生育するという利点があるとされている。この実験も最終的には水草を肥料等に再利用することを予定し研究が進められていることからして、水草を湖沼から除去することを前提としている。
以上の事実が認められる。
右によれば、水草を水の浄化に利用するとしても、単に自然に生育させるだけでは足りず、人為を加えて生育後適当な時期にこれを刈り取り湖沼より除去しなければ、根本的な浄化にならないことが理解され、人為を加えない自然のままの水草では根本的な浄化には役立たないと考えられる。
チ 自浄作用に対する当裁判所の見解
これまで考察したことからすれば、水草地帯を含めた生物的浄化作用に対する当裁判所の見解は、自然のままの生物的浄化作用に水の浄化すなわち富栄養化を防ぐ効果があるかについては、大きな疑問があり、今後の研究により、人為を加え生物的浄化作用を利用し生育した水草等を湖沼から除去する(これを継続的に実現するには、除去した水草の有効な再利用方法も開発されなければならない。なぜなら、そうでなければ、除去した水草の処分に困ることになるからである。)ならば、水の浄化、富栄養化の防止の一方法と充分なりうると考えられる。しかし、現在はその研究途上であり、未だ完成していないことは、これまでに認定したところから明らかである。
したがって、原告らの「水草地帯の破壊により富栄養化が進行する」との主張は採用できない。
また、物理的、化学的浄化作用についても、同様に水中から湖底等に移行した汚濁物質を琵琶湖自体から除去しなければ根本的な浄化にならないことは明白である。
琵琶湖の内湖、内湾、湖辺の自浄作用もその機構は全く同じであるので、内湖、内湾、湖辺の消滅により富栄養化が進行するとの主張も、理由がない。
C 以上の考察によれば、南湖浚渫による水草地帯の破壊、再生不能(請求原因7、B)、瀬田川の浚渫(請求原因8)、湖岸堤、管理用道路の建設による水草地帯の破壊(請求原因9、A、イ及び請求原因10、A)、完成した湖岸堤による高水位維持に起因する沿岸生物相の破壊(請求原因9、B、イ)、完成した管理用道路による被害のうち、水草地帯の活力の喪失(請求原因10、B、イ)、三角洲の消滅(請求原因7、E及び請求原因9、A、ハ、ろ過作用も物理的浄化作用ゆえ、根本的な浄化にならない。)が理由のないことは明らかである。
また、湖岸堤による内湾締切(請求原因9、B、ロ)についても、そもそも人為を加えない限り内湖、内湾に根本的な浄化作用を期待できないのであるから、この主張が理由のないことは明らかである。
4 南湖浚渫
A 南湖の浚渫による底泥のかくはん
南湖浚渫の範囲が別紙二に示した三箇所であり、概算浚渫土量が約八十万立方メートルであることは弁論の全趣旨により認められる。
〈証拠〉によれば、右浚渫に際しては、特別に設計製作した二重の汚濁防止膜を使用し、浚渫による汚濁水が、外部に流出しないようにして工事を実施しており、工事による底泥のかくはんから水質汚濁が生じないよう措置がとってあることが認められる。
右認定に反する証拠はない。
したがって、右浚渫による底泥のかくはんをいう原告らの右主張は理由がない。
B 浚渫後の湖底
〈証拠〉によれば、浚渫に際して湖底に極端な段差をつけることがないように琵琶湖の水深方向の断面は、浚渫した斜面が自然に近い緩い勾配となるように設計、施工しているので、深みが形成されないことが認められる。
右事実によれば、浚渫後の湖底に深みが形成されそこに湖水がよどむことを前提としてドブ化してゆく危険性をいう原告らの右主張も理由のないことが明らかである。
5 湖岸堤建設工事に伴う土砂流入等による被害(管理用道路の建設工事において引用される部分も含む)
〈証拠〉によれば、湖岸堤・管理用道路の建設工事に際しても、前示の汚濁防止膜が使用され、汚濁水が外部に流出しないよう施工していることが認められ、また、使用する南湖の浚渫による土砂に有害物質があるとの証拠はない。
右事実によれば、原告らの主張が理由のないことは明白である。
6 完成した管理用道路による被害
A 自動車の排気ガスによる被害
原告らは、自動車の排気ガス中の酸化物等が琵琶湖に溶け込みその水質を悪化させると主張するが、そもそも、その主張する被害なるものは管理用道路とは法的因果関係がなく、理由がない。
仮に、因果関係を肯定するにしても、右主張にそう証人鈴木紀雄の供述部分は採用できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
B 観光施設増加による被害
原告らの主張する観光施設の増加も、そもそも管理用道路と法的因果関係はなく、主張自体失当である。
7 浄化センターによる被害
A 浄化センターの排水による被害
イ 浄化センターの下水処理
a 下水処理方式
浄化センター下水処理方式は活性汚泥循環変法(活性汚泥法を改良し窒素除去をより効率的に可能とする処理法)に凝集沈殿砂ろ過法(凝集剤を添加し、リン、SS等を除去する方法)を組合せた処理方式であり、その内容が被告主張の本件処理方式と同一であること、その目的が窒素、リンを可能な限り除去することにあること、本件処理方式の基本となる原理は、原告ら主張の活性汚泥法であること、活性汚泥法が現在の日本で最も広く用いられている下水処理方式であることは当事者間に争いがない。
b 除去率の目標値
〈証拠〉によれば、つぎの事実が認められる。
本件処理方式による除去率の目標値である総合除去率(除去された当該物質の率)は、総窒素約68.6パーセント、総リン約94.5パーセント、BOD約97.5パーセント、COD約九一パーセント、SS約97.9パーセントである。これに対し、一般の活性汚泥法の除去率は総窒素約二〇パーセント、総リン約三〇パーセント、BOD約八五パーセント、COD約七〇パーセント、SS約八〇パーセントである。
右認定に反する証拠はない。
したがって、本件処理方式は一般の活性汚泥法に比べ非常に除去率が高いことが認められる。
ロ 現在の処理状況
a 現在の処理量
〈証拠〉によれば、浄化センターは計画処理水量最大日量一〇二万立方メートルのうち日量最大三万七〇〇〇立方メートルを処理する部分が完成し、四市三町からの流入下水(但し、工場廃水の割合は不明である)を処理していることが認められる。
右認定に反する証拠はない。
b 現在の除去率
〈証拠〉によれば、つぎの事実が認められる。
浄化センターにおける過去三年間の実績除去率(年平均値)は別紙二〇のとおりであり、いずれの項目についても目標値である総合除去率を上回っている。
ハ 右イ、ロの条項において認定したところからすれば、浄化センターにおいては良好な下水処理が行われていることが認められる。
これに対し、原告らは、浄化センターの処理水による水質汚濁が発生すると主張するので判断する。
ニ 汚泥処理の必要性
〈証拠〉によれば、浄化センターから排出される汚泥は、土壌改良剤等として再利用されたり、焼却処分され、焼却後の灰は処分地を選定の上、そこに投棄されることが認められる。もっとも、その処分地については証拠上不明であるが、これにより琵琶湖が汚染されるとの証拠もない。
したがって、汚泥処理の必要性を根拠とする原告らの主張は理由がない。
ホ 活性汚泥法の限界
a 適切運転の困難性
確かに、理論的には、生物処理という理由から活性汚泥の機能停止という可能性はあるが、活性汚泥法は現在の日本で最も広く用いられている下水処理方式であり、その運転のための経験、実績、故障に対する対処等は、充分蓄積されていると思われること、〈証拠〉によれば、数百に上る下水処理場で良好な水質結果を得ていることが認められることからすれば、活性汚泥法に由来する本件処理方式の適切運転の困難性は認められない。
右認定に反する証拠はない。
b 処理可能な汚濁物質の限定
活性汚泥法にしても、本件処理方式にしても、重金属、有害化学物質を処理できないことは、当事者間に争いがない。これらについては、浄化センターの処理の問題ではなく、下水道への受入基準の問題であるので別に述べる。
ヘ 工場廃水受入の問題点
a 工場廃水受入量
〈証拠〉によれば、浄化センターの処理量はおおよそ、家庭排水日量、平均三三万立方メートル、最大四八万立方メートル、工場廃水日量、平均、最大とも四六万立方メートル、地下水日量、平均、最大とも八万立方メートルの計画であることが認められる。したがって、工場廃水の割合は五〇パーセント前後であることが認められる。
b 受入基準の必要性
現在の下水処理場の処理方法は、活性汚泥法等の有機物の除去を目的とする生物学的処理方法であるので、カドミウム、シアン等の物質を含む下水は処理することが困難である。このような下水は、事業場等の個々の発生源で事前に処理した上で下水道へ排除させることが必要である。
また、下水道の施設の機能を妨げたり、施設を損傷したりするおそれのある下水については、個々の発生源で事前に処理させることが必要である。
このため、下水道法ではつぎのとおり下水道への排除制限を行うことができるとされている。
排除制限に係る水質基準及び法制度の仕組みは、別紙二一のとおりであるので、以下、これに基づき述べる。
(1) 下水の排除の制限
(イ) 特定事業場
下水道法は水質汚濁防止法に定める特定施設を設置する工場、事業場(特定事業場)は、下水を排除する場合、下水道法所定の基準に適合しない下水を排除してはならないと規定している。その基準の内容はつぎのとおりである。
(a) 有害物質等に係る基準
カドミウム、シアン等の有害物質で下水処理場での処理が困難なものについては、下水道法施行令九条の四第一項で排除基準を定めているが、この基準は水質汚濁防止法三条一項の規定による総理府令で定められた排水基準と全く同一である。
(b) BOD等に係る基準
BOD、SS、窒素、リン等の項目については、下水道法一二条の二第三項、同法施行令九条の五において、政令で定める基準に従い条例で定めることとしている。
(ロ) 除害施設の設置
特定事業場以外のものからの下水についても、下水道法一二条及び一二条の一〇において、条例によりつぎの基準に従い、悪質下水による障害を除去するため必要な施設(以下、除害施設という)を設け、または、必要な措置をしなければならない旨を定めることができるとしている。
(a) 下水道の施設等に損傷を与えるおそれのある物質に係る基準
下水道施設の機能を妨げ、または損傷するおそれのある物質に対しては、下水道法一二条、同法施行令九条において、政令で定める項目及び基準の範囲内で条例で定めることとしている。
(b) 放流水の水質を技術上の基準に適合させることを困難にする物質に係る基準
下水道法一二条の一〇第一項一号における政令で定める基準は、同法施行令九条の八で同法施行令九条の四第一項に規定する基準と同一である。また、下水道法一二条の一〇第一項二号における条例で定める基準についても、各項目において厳しく定められている。
(ハ) 悪質下水に対する規制、監督等
(a) 特定事業場
特定事業場への規制、監督については、以下のとおり定めている。
下水道法一二条の三ないし六において、特定施設を設置しようとするとき等にその内容を事前に特定施設設置者に届出させ、公共下水道管理者が審査する。また、公共下水道管理者は、特定事業場から排除される下水の水質が、排水基準に適合しないおそれがあると認めるときは、同法三七条の三において特定施設の構造等の改善及び排除の停止等を命ずることができる。
さらに、同法四六条の二において、特定事業場からの下水を排除する場合に、同法一二条の規定による排除制限に違反したときは、直ちに罰則が適用されることになっている。
また、同法一二条の一一、同法三九条の二においては、特定施設の設置者に排除する下水の水質の定期的な測定と、その記録を義務付けるとともに、必要に応じ排除する下水の水質に関し報告を徴することができる。
(b) 除害施設
除害施設設置義務に違反した場合には、同法三八条、四六条において、公共下水道管理者の監督処分として改善命令を行い、これにも違反した場合に、罰則を適用することとしている。
(c) 浄化センターにおける規制、監督
〈証拠〉によれば、事業場からの下水は、最初に公共下水道へ排除されることから、被告県は、流域下水道管理者として、「滋賀県流域下水道接続等取扱要綱」を定め、これにより、公共下水道管理者に対して事業場等を監視すべき義務を課し、特に水質等の状況把握に関しては、有害物質及び重金属類に係る事業場については年四回以上、その他の事業場については年二回以上の水質調査を行わせるなどし、常時監視に努めていることが認められる。
このようにして、浄化センターにおいては、法令による規制、監督処分及び公共下水道管理者による監視体制の確立によって水質規制を担保しているものである。
(d) また、〈証拠〉によれば、下水の水質の常時監視のための自動測定装置の研究がなされ、一部では既に商品化されており、水質の常時監視に役立っていることが認められる。
(e) 法による有害物質規制の形骸化
原告らは、下水処理場に工場廃水を受入れることにより、法による有害物質規制の形骸化が発生し、現実の下水道も、工場廃水の不法投棄とたれ流しが常態となっている旨主張するので、この点につき判断する。
そもそも、法の定める基準に違反して下水道に廃水を出すことに対しては、個々の事業者の責任追求(行政上、刑事上の責任、場合によっては民事上の)によって対処すべきものであり、浄化センター建設の差止めを求める本件の争点とはなり得ないから、原告らの右主張は、それ自体失当である。 仮に、争点となり得るとしても、原告らの主張に添う証拠として、成立について争いのない甲ほ第二二号証の四、第三二、第八三、第一〇六号証、原告永島鉄雄、証人奈良進の供述があるが、これらの内容をみると、法違反の状態を根拠付ける情報の出所が不明確であったり、また、他府県の事例であったり、しかも、その時期が昭和四九年ないし同五四年ころのもので、現在とは時期的にへだたっていたりしており、到底、滋賀県下の現状を推認するに足りない。
かえって、前記の法規制、水質監視の態勢、監視機器の存在からすれば、受入基準は遵守され、今後も遵守されるであろうことが充分推認できる。従って、原告らの右主張は理由がない。
また、原告らは、下水道法で規制される有害物質は九項目でその基準自体安全との確証はないとか、数万種といわれる他の化学物質はほとんど規制されていないとか主張するが、人格権による差止めを求める本件では、健康等への被害を及ぼす程度の有害性の証明が必要であり、これを、本件についてみるに、有害化学物質として、原告らは、PCB、BHC、DDTを挙げるが、これらはその有害性のゆえに現在製造、使用が禁止されているものであり、下水道に流入する余地はない。また、本件全証拠によるも有害な他の化学物質が下水道に流入し、また、今後流入するとの立証はない。重金属についても具体的に有害な程度、その程度を超える流入、また、今後の流入の立証はない。よって、原告らの右主張も理由がない。
c 工場廃水による活性汚泥の機能停止等
原告らは、浄化センターが工場廃水を受入れ、かつ受入量、その比率が高いことから、活性汚泥の機能停止等が生じると主張するので、この点について判断する。
〈証拠〉によれば、工場廃水を受入れない状態で、活性汚泥法による除去率は、BODで約八五パーセント、CODで約七〇パーセントであるところ、甲ほ第一〇七号証の例をみれば、工場廃水の受入率が〇ないし四五パーセントにわたる下水処理場の除去率をみると、個々の処理場でばらつきはあるものの、平均値は、BODで約八七パーセント、CODで約七三パーセントとなり、工場廃水を受入れたからといって、必ずしも除去率が低下するものではなく、乙ろ第七七号証においても同様であることが認められる。特に、証人栗林宗人の証言によれば、本件処理方式の活性汚泥循環変法は、活性汚泥法よりもばっ気時間が長く、馴致(活性汚泥が環境に順応すること)という現象もあり、より高率の除去率を得られる可能性もあることが認められる。原告らは、処理水に含まれる数値が高いことを根拠に活性汚泥の機能低下を主張するようであるが、流入負荷に対する除去率からみて活性汚泥の機能低下があるとは認められない。
右認定事実によれば、原告らの右主張は理由がない。
d 工場廃水中の有機物除去の困難性
原告らは、工場廃水中の有機物の処理困難性を主張するので、この点について判断する。
〈証拠〉によれば、確かに、工場廃水中の有機物処理のための活性汚泥法はその運転条件が異なるが、その違いの要点は、ばっ気時間の長いこと、活性汚泥の量が大きいことにある。しかし、〈証拠〉によれば、工場廃水中の有機物の処理方法は、大部分の活性汚泥法であり、しかも、前項で認定したように本件処理方法は、活性汚泥法よりばっ気時間が長いものであり、また、活性汚泥の量を流入下水の水質に応じ調整し多くすることは本件処理方法の運転条件として可能と思われる。したがって、前記運転条件に合致させることは可能と認められること、前項で認定した混合処理における活性汚泥法のBOD、CODの除去率が変らないことからみれば、本件処理方式で工場廃水中の有機物を十分処理できると推認できる。
右認定に反する証人奈良進、原告永島鉄雄の各供述は前掲証拠に照し採用できない。右事実によると、原告らの右主張も理由がない。
e 下水処理場の建設費、維持費の巨大化と処理の手抜き等
原告らは、工場廃水の受入れに伴い下水処理場の規模が巨大化し、建設費、維持費が中小の処理場を数個建設するのと比べ割高となる旨主張するところ、これに添う証拠として証人奈良進の供述があるが、同証人は、その供述するところから、下水道建設の立案、設計等の業務、維持、管理の収支計算等に関与したことがなく、右事項について十分な知識を有していないことが認められ、したがって、原告らの主張に添う右供述は採用し得ず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。
また、維持費の増大が、自治体の財政を圧迫し、下水処理の手抜き等を来すという原告らの主張事実も認めるに足る証拠はない。
よって、原告らの右主張も採用できない。
f クローズドシステムの妨げ
原告らは、有害物質の濃度規制の下で浄化センターが工場廃水を受入れれば、水の大量使用による廃水希釈を招き、重金属、化学物質等の捕捉、回収、再利用を図り、これらを環境に放出しないというクローズドシステムの妨げとなり、その結果、浄化センターに大量の重金属、有害化学物質が流入すると主張するが、下水道に廃水を出すのは、公共用水域に出すのと異なり、使用料の負担を伴うのであり、廃水の希釈を招くとは限らず、また、かかる事態が生ずるとの証拠はない。
従って、原告らの右主張は理由がない。
g 汚泥、処理水の危険性、汚泥焼却による汚染
汚染、処理水が危険となるのは、その中に健康を害する程度にまで有害物質が存在して初めていえることであり、これまで、判示したところから明白なように、これを認めるに足る証拠はないので、右危険性をいう原告らの主張は理由がない。
また、汚泥焼却による汚染の主張も同様に理由がない。
h 三次処理の実施困難性
原告らは、三次処理の実施困難性を主張するが、7、Aのイ、ロ、ハにおいて認定したごとく、浄化センターにおいて良好な下水処理がされている事実、また、原告らの主張する活性汚泥法の欠点等が理由のないこと等によれば、三次処理について困難性はないと認められ、これを覆すに足る証拠はない。
従って、原告らの右主張は理由がない。
i 浄化センター整備による水質保全効果
被告らは、総合浄化残率なる概念を用い、昭和五〇年時点における浄化センター整備のある場合とない場合とを比較し、浄化センター整備による水質保全効果が存するとしているが、右試算は、採用し得ない。なぜならば、その主張、証拠から明白なように、この試算は昭和五〇年時点の資料に基づきされたもので、他の年度における試算はないことが認められる。このような試算による数値が裁判の基礎に採用されるには、多くの年度にわたり試算がなされ、その数値が一定の枠内にあるとか、一定の法則を持つとかの科学的裏付けが必要である。昭和五〇年度のみの試算では、未だ科学的裏付があるとはいえない。
しかし、〈証拠〉によれば、浄化センター整備のない場合その処理対象区域から琵琶湖に流入する家庭系、工場系のBODは一日当たり29.5トン(別紙一七表3(ⅰ)の発生源別汚濁負荷量の家庭系、工場系の計)であるのに対し、浄化センター整備があった場合その処理対象区域内の家庭系、工場系のBODは琵琶湖に流入せず、BODは一日当たり、2.6トン(別紙一七表3(ⅱ)の浄化センターの除去率を掛けた後の家庭系、工場系の瀬田川流出負荷量の計)が、浄化センターの排水口から瀬田川に直接放流されることとなることが認められる。また、浄化センター整備のない場合のBOD一日当たり29.5トンが琵琶湖に流入するまでの河川及び琵琶湖から瀬田川までにおいてどれだけ減少するかの立証はない。 したがって、浄化センター整備によりBOD一日当たり26.9トンが削減されることになる。
右認定を覆すに足る証拠はない。
そして、右の削減による効果が具体的に琵琶湖の水質にどの程度影響するかは、単なる沈殿により水中から除去されるのみにすぎないもの等が存するゆえに、数値では表現できないが、浄化センターの水質保全効果はその削減量の多さからして相当認めることができる。
なお、原告らは別紙一七表3の(ⅰ)と(ⅱ)によって家庭系と工場系の数値が異なる点を挙げて数値の不明確性をいうが、弁論の全趣旨によると、浄化センターの整備に伴い家庭系でいえば、家庭での浄化槽による処理等が不要になり、その結果未処理水が直接浄化センターに流入するため数値が増えるのであり、工場系においても同様のことがあると認められるので、数値の不明確性はない。
よって、水質保全効果を否定する原告らの主張も理由がない。
j 予定放流水質
(1) 浄化センターの放流水に対する法規制
下水道法八条、同法施行令六条一項、二項、水質汚濁防止法二条二項、同法施行令一条、滋賀県の「水質汚濁防止法三条三項の規定に基づく排水基準を定める条例」、「滋賀県公害防止条例」、「同条例施行規則」によれば、浄化センターからの排水基準は、水質汚濁防止法、下水道法よりも厳しい右条例、規則のいわゆる上乗せ(法定の項目について法定の数値より厳しい数値を定める規制)、横出し(法定項目以外の項目について規制数値を定める規制)基準となっている。右基準の数値等は別紙一八のとおりである(但し、下水道法の欄のうち、カドミウム等については0.1ミリグラムパーリットル、シアン化合物については一ミリグラムパーリットル、有機リン化合物については一ミリグラムパーリットル、鉛等については一ミリグラムパーリットル、ヒ素等については0.5ミリグラムパーリットルが下水道法、総理府令による数値で、別紙記載の数値は条例による上乗せ基準値を掲げてあるものである。)。
(2) 予定放流水質の意義
(イ) 予定放流水質とは、浄化センターから放流する処理水質の目標値である。〈証拠〉によれば、その内容は、別紙一八の予定放流水質欄記載のとおりであることが認められる。
(ロ) 放流水による瀬田川の水質悪化
(a) BODについて
国は公害対策基本法に基づき生活環境の保全に関する環境基準(以下、単に生活環境基準という)を定めている。右基準は国や地方公共団体が公害対策を進めるについての行政上の目標値であり、望ましい水質の基準である。その内、河川に対する基準値は別紙二二のとおりであり、瀬田川は河川Aに指定されている。
原告らは、生活環境基準のうち、BODについて基準値を上回ると主張するので判断する。
まず、原告らは放流水のBOD値を下水道法上の排水基準値二〇ミリグラムパーリットルとしているが、浄化センターの予定放流水質は五ミリグラムパーリットルであり、また、現実の放流水は〈証拠〉によれば、昭和五八年度で平均1.7ミリグラムパーリットル、同六一年度で1.2ミリグラムパーリットルである。また、瀬田川のBOD値は成立について争いのない乙ろ第五五号証によれば、別紙二三のとおりであり二ミリグラムパーリットルを越えていないことが認められる。したがって、現在までの浄化センターの処理状況からすれば、BOD値について生活環境基準値を上回ることはないと考えられる。
そして、これまで、認定し、判断したところからすれば、将来右処理状況が悪化する事情は何等認められない。
よって、BOD値について、将来も生活環境基準を上回ることはないと認められる。
河川Aの水質は水道法との関係では水道二級で、沈澱ろ過等による通常の浄水操作を行うものであり、これにより安全な水道水を得ることのできる水質で、淀川水系の浄水場が右浄水操作より高度な前処理等を伴う高度の浄水操作をしていることは、証人八木正一の証言から認められる。したがって、BOD値の面から水道水の安全性が脅かされることはないと考えられる。
仮に、放流水質が予定放流水質である五ミリグラムパーリットルまで低下したとしても、瀬田川の水質が最悪の1.9ミリグラムパーリットルとして、被告ら主張の単純混合方式(〈証拠〉によりこの計算式の妥当なことは認められる)に従い、計算すると(5×10.1+1.9×73.8)÷(10.1+73.8)との式になり、約2.3ミリグラムパーリットルとなることが認められる。これは河川Aの基準値を上回ることになるが、河川Bの基準値内である。河川Bの水質は水道法との関係では水道三級であり、前処理等を伴う高度の浄水操作により安全な水道水を得ることができるのであるから、同じくBOD値の面から水道水の安全性が脅かされることはないというべきである。
右認定に反する証拠はない。従って、BODについての原告らの右主張は理由がない。
(b) 窒素、リンについて
原告らは、窒素、リンの予定放流水質を基準として計算し、瀬田川について、窒素1.2ミリグラムパーリットル、リン0.06ミリグラムパーリットルになると主張するが、窒素0.2ミリグラムパーリットル、リン0.02ミリグラムパーリットルを基準とする富栄養化の問題は、湖、湾、内海等の閉鎖性水域でのことであり、流れの存する河川については別の基準が考えられるべきであり、原告らの右主張は無意味で、理由がない。
また、原告らは窒素の増加は下流地域の浄水処理過程における塩素の過大注入を引き起こすと主張するが、浄化センターの本件処理方式は硝化過程においてアンモニア態窒素を硝酸態窒素に変えていることから、放流水中の窒素はほとんど硝酸態窒素の形をとっているものと推認され、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので、真正な公文書と推定すべき乙へ第三号証、証人八木正一の証言によれば、浄水過程の塩素注入はアンモニア態窒素除去のためにされることが認められる。したがって、塩素の過大注入を招くとの原告らの右主張も理由がない。
(c) 重金属類
原告らは、別紙九のとおり被告らの計算方法に依拠し、放流水中に下水道法一二条の二第一項、同法施行令九条の四の下水道への受入基準値をそのまま採用し、その数値が放流水質の具体的数値であるとして瀬田川の水質悪化を論じているが、弁論の全趣旨によると、これらの物質を排出する可能性のある工場等は一部の業種に限られ、また、家庭下水と混合されるのであるから、実際の放流水質はこれらに比してかなり低くなることは容易に推認できる。従って、原告らの右主張は根拠を欠き、理由がない。同様の理由により、その他法により規制される重金属、有害化学物質も法の定める規制値よりもかなり低くなることが推認される。
B 不測の事態による浄化センターの危険性
まず、工場の事故(故意によるものも含む)による有毒薬品、廃液、重油等の流入、悪徳産業廃棄物処理業者によるマンホールからの有害廃棄物の不法投棄による活性汚泥の機能停止について判断するに、右は浄化センターの問題ではなく、それぞれその原因を発生させた者の責任を追求すればよいものである。原告らの右主張はそれ自体失当である。
次に、浄化センターの設備の運転の誤り、故障による活性汚泥の機能停止について判断するに、確かに、設備等に故障等はつきものであり、また、東京都において原告ら主張のごとき故障の報告があったことは当事者間に争いがないが、他方、活性汚泥法は日本で最も広く用いられている下水処理方法であることも、当事者間に争いがない。したがって、その運転のための経験、実績、故障に対する対処等は、充分蓄積されていると思われること、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定すべき乙ろ第九号証によれば、浄化センターは、完成時には、水処理施設については一六ユニット、汚泥処理施設については八ユニットに分れる形になり、保守点検、一部ユニットの一時的機能低下を他のユニットでカバーすることが可能な構造となっていることが認められる。
右認定事実によれば、故障等があっても未処理水をそのまま放流するような事態は充分避けられるものと考えられる。
したがって、この点についての原告らの主張も理由がない。
地震等の災害による浄化センター自体の破壊等について判断するに、浄化センターの施設等は公共建築物であり、通常の地震等の災害に対してはこれに耐え得る設計、施工がなされることは、経験則上認められ、右経験則を覆すに足る証拠はなく、原告らの右主張も理由がない。
C 人工島造成による琵琶湖の水質悪化
原告らは、人工島造成による琵琶湖の水質悪化を主張するが、人工島造成工事の差止めは不適法として却下されたのであるから、これに関連する主張については判断する必要がない。
8 本件各工事により予想される被害
A 水道水摂取による健康被害
イ 浄水処理過程に起因する被害
a 本件浄水処理方式の限界
淀川水系の浄水場の採用する浄水処理方法が本件浄水処理方式であること、トリハロメタンに発癌性があることは当事者間に争いがない。原告らは、この方式の問題として、第一に、トリハロメタンの発癌性、第二に、浄水処理の事故率が高くなること、第三に、水中から人間に必要な微量元素が失われることを挙げている。
この内、第二については、これを認めるに足る証拠はなく、第三についても、具体的元素名も示されないもので、主張自体失当であり、また、人間の栄養は食物による摂取で充分取れるものゆえ理由のないことは、明白である。
以下、トリハロメタンについて判断する。
b トリハロメタンの生成過程
水道法二二条及び同法施行規則一六条三号は、水道水の衛生確保のため、塩素消毒を義務付け、給水栓における水道水が遊離残留塩素を0.1PPM(結合残留塩素の場合は0.4PPM)以上保持することを定めている。このため浄水場においては塩素消毒を行っている。
〈証拠〉によれば、つぎの事実が認められる。
塩素消毒は、注入した塩素が水と反応し、遊離塩素である次亜塩素酸が生じ、これが水道水中に残留することにより殺菌力を保持し、水道水の衛生を確保している。そして、その濃度を前述のとおり定めたのである。
遊離塩素は水中にアンモニアが存在するとこれと反応しモノクロラミンと水を形成し、また、モノクロラミンは遊離塩素と反応しジクロラミンと水を形成する。そして、モノクロラミンとジクロラミンを総称し結合塩素と呼んでいる。遊離塩素も結合塩素も殺菌力があるが、その程度は遊離塩素の方が格段に強い。そして、更に塩素を注入すると結合塩素が分解されつくし(この段階を不連続点という)、更に、塩素を注入すると遊離塩素が発生する。この遊離塩素が給水栓において0.1PPM残留するまで塩素を加えることが必要となる。
塩素注入に伴い、主に不連続点以降発生した遊離塩素が、水中の有機物の一種で主に着色の素となるフミン質と反応し、生成するのが、トリハロメタンである。
ただ、塩素消毒は給水栓における0.1PPMの遊離塩素の残留という限度があるので、発生するトリハロメタンも限度がある。トリハロメタンの発癌性から厚生省は水道水中の総トリハロメタン量を0.1ミリグラムパーリットルと定めた。現在の淀川下流域の水道水中の総トリハロメタン量は、基準値の半分位である。
また、水道の原水中にアンモニアが多い場合塩素の注入量が多くなるが、それは殆どアンモニア等の分解に使用され、トリハロメタンの生成には殆ど寄与しない。
以上の事実が認められ、これに反する証人半谷高久の供述は採用できない。
右事実によれば、原水にアンモニアが多くなっても水道水中のトリハロメタン量はあまり変らず、厚生省の定めた基準値を越えないことが認められる。
右認定事実に、成立について争いのない乙へ第一三号証を加えて、判断するに、発癌性とは特定の発癌物質を摂取した場合に癌が発生する可能性をいい、それは医学上動物実験等で自然に存在するより大量に投与し、しかも、実験動物の全部でなく、一部に発癌するかを調べ、確認される。したがって、発癌性とは癌発生の確率であるといえる。しかし、現実に生活する人間は単一の発癌物質を摂取するのではなく、多くの発癌物質をごく微量ずつ摂取しつつ生活しているのであり、個々の人間に特定の癌が発生したとしても、その発生について水道水中のトリハロメタンがどの程度寄与したのか否か、否、そもそも寄与したのか否かも、確定することは現在、医学上も法律上も不可能であると考えられる。したがって、トリハロメタンが水道水中に存在するからといって法律上人間の健康等を害するであろうことが高度の蓋然性をもって証明されたということはできない。
従って、原告らの右主張は理由がない。
ロ 原水に由来する被害
a 有害プランクトン、有害化学物質、重金属
既に、判断したように、本件各工事により、健康を害する程度まで有害プランクトン、有害化学物質、重金属が水道水中に含まれるとの証拠はない。したがって、これらの存在を前提とする原告らの主張は理由がない。
b 細菌、ビールス
浄化センターからの放流水に大量に細菌、ビールスが含まれ、それが浄水場でも除去されず、水道水に混入し、伝染病が流行するとの主張は、浄化センターが、良好な下水処理を行っていることと、下水処理場、浄水場の普及により、公衆衛生が増進され、その結果伝染病が激減したとの経験則によれば、右主張が理由のないことは明白である。
B 臭い水による被害
原告らは、富栄養化が進行することにより、藍藻類、放線菌が発生しこれらがカビ臭の原因物質を作り、その結果臭い水による健康被害、生活被害が発生すると主張するが、既に判示したように、本件各工事が琵琶湖の富栄養化を進めるとの立証はないのであるから、右主張が理由のないことは明白である。
C 有害プランクトンによる直接の被害
本件各工事が琵琶湖の富栄養化を進めるとの立証はないのであるから、右主張が理由のないことは明白である。
9 以上によれば、原告らの人格権の侵害(将来の侵害も含む)を、認めることはできず、したがって、本件各工事の違法性、必要性については、判断するまでもない。よって、却下する旨判示した部分を除く本件各工事の差止め請求は、失当として、棄却する。
したがって、本件各工事の差止めが認められない以上、被告国、被告府に対し、本件各工事について補助金、負担金等の援助、融通等の差止めを求める請求も理由がないことは明白であるから、右請求も棄却し、訴訟費用については、民事訴訟法九三条、八九条を各適用し、原告らの負担とする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官西池季彦 裁判官新井慶有 裁判官片岡勝行)
別紙一九
別紙一〜一八、二〇、二二、二三〈省略〉
別紙二一